第10話 届いた手紙
雪がちらつき始めた夜ふけ、館の裏口を小さく叩く音が鳴った。
扉を開けると、外套に雪をつけた男がふたり立っています。殿下が寄越してくれた傭兵たちでした。
「今夜の分を受け取りに参りました」
「倉はゴードンが開けています。お願いします」
男たちは黙って頭を下げると、館の裏の倉へ回っていきました。
見張りが立ってからも、取引は続いています。
ただ、やり方は変わって、荷馬車はもう使いません。傭兵たちが夜のうちに品物を背負い、馬の背に積んで、ゴードンの教えてくれた森の抜け道を通って、少しずつ国境の向こうへ運んでいくのです。一度に運べる量は荷馬車のころよりずっと少ないけれど、そのぶん何度も往復してくれるので、倉の品物は着実に減っていきました。
代金は、数日おきに同じ道を通って届きます。
表向きのミルフィールドは、何事もない静かな冬です。
街道の見張りの役人たちも、毎日同じ場所に立って、寒そうに足踏みをしているだけでした。
*
「最近、あの金髪の方がお見えになりませんねえ」
昼下がり、焼きたてのパンとチーズを届けに来てくれたマーサさんが、籠を置くなりそう言いました。
「毎日のように丘の道を上ってらしたのに。村の娘たちも、あの方が通るのを楽しみにしてたんですよ」
「来ないほうが静かでいいです。あの方がいると、仕事が進みませんから」
「あらあら。そういうことにしておきましょうか」
マーサさんは、目を細めて笑います。
何がそういうことなのか、私にはさっぱり分かりません。
マーサさんが帰ったあと、私は籠の中のチーズを切り分けて、ひと切れだけ別の皿に取り分けました。
殿下が来たら、どうせまた欲しがるに決まっています。先に取っておけば、ゴードンが勝手に出すのを止めなくて済むでしょう。
そう思って取り分けておいたチーズは、これで三つ目になりました。
前のふたつは、固くなって食べられなくなったので、結局私が片づけています。
契約を結んだあの夜から、もうひと月近くになるでしょうか。
殿下は、一度もこの館に来ていません。
*
殿下からの手紙が届いたのは、その三日後の夜でした。
品物を受け取りに来た傭兵のひとりが、帰りぎわに懐から小さな封筒を取り出したのです。
「殿下から、ご領主様へと預かって参りました」
封筒には宛名も差出人もなく、蝋の封には何の紋章も押されていません。万一、見張りに見つかったときのためでしょう。
私は燭台の明かりの下で封を切りました。
――セレスへ。
しばらく、そちらへは行けない。
契約は必ず守る。心配はいらない。
ルシアン
たった、それだけでした。
裏返してみても、何も書いてありません。もう一度読み返しても、書いてあることは変わりません。
どうして来られないのか、いつまで来られないのか、肝心なことは何ひとつ書かれていないのです。
「殿下は、お元気なのですか」
まだ裏口に立っていた傭兵に聞いてみると、男は困ったように首を振りました。
「私は、手紙を預かっただけでして」
答えられないのか本当に知らないのか、男の顔を見ても、どちらなのか分かりませんでした。
*
その夜は、なかなか眠れませんでした。
寝台に横になって天井を見ていると、あの夜の殿下の声がよみがえってきます。
――帝国には、この土地の食べ物が必要。ただ、それだけだ。
品物は、今も届いています。代金も、きちんと支払われています。
殿下にとって大事なのがこの領地の食べ物なら、それが届いている限り、わざわざ自分で足を運ぶ理由はありません。
契約を結んで、品物の流れが決まった。だから、もう通ってくる必要がなくなった。そう考えれば、筋は通ってしまうのです。
あれほどしつこく求婚してきたのも、「セレス」と呼ぶのも、チーズを欲しがるのも、全部この領地のためだったのかもしれません。
そこまで考えたところで、私は寝台の上で体を起こしました。
いいえ、違います。あの夜、私は自分で決めたはずです。殿下が欲しいのが領地だったとしても、かまわない。それでも、この方を信用すると。
隣の国の兵を領地に入れる約束までして、今さら手紙一通で揺らぐくらいなら、最初からあんな契約書に名前など書きません。
殿下は、「約束は守る」と書いてきました。
その言葉を信じると決めたのは、私です。
私は寝台を降りて、机の引き出しに手紙をしまいました。
少しだけ、気持ちが落ち着いた気がしました。
*
その冬いちばんの冷えこみだった朝、ハンスさんが薪を届けに来てくれました。
「ご領主様、もうすぐ冬至の祭りですな」
「冬至の祭り?」
「ええ。一年でいちばん夜の長い日に、村じゅうで火を焚いて、朝まで飲んで食べて騒ぐんです。ここ何年かは、買い上げだの騒ぎだので、とても祝えたもんじゃありませんでしたがね」
ハンスさんは、しわだらけの顔をほころばせました。
「今年は、久しぶりにみんなで祝えそうです。ご領主様のおかげですよ」
そんなふうに言われたのは、初めてでした。
うまく返事ができずにいると、ハンスさんは「ご領主様も、ぜひいらしてください」と言い残して帰っていきました。
*
その夜、また傭兵たちが品物を受け取りに来ました。
倉の前で、荷を背負いながら小声で話しているのが聞こえてきます。
「……帝都が、どうも騒がしいらしい」
「おい」
年かさの男が、若い方の男の脇腹を肘で小突きました。
若い男は私の方をちらりと見ると、慌てて口をつぐみます。
「帝都で、何かあったのですか」
「いえ、何でもございません。ただの噂話です。失礼いたしました」
男たちはそれ以上何も言わず、荷を担いで森の方へ消えていきました。
私は、裏口に立ったまま、北の空を見上げました。
雪雲の向こうに、殿下の国があります。
帝都が騒がしいことと、殿下が来られないことは、どこかでつながっているのかもしれません。
手紙の「心配はいらない」という一文が、急に別の意味に思えてきました。心配しなくていいことなら、わざわざ書く必要はないはずなのです。
私はこのとき初めて、領地のことでも品物のことでもなく、殿下ご自身のことが心配になりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もし「面白かった」と思っていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。ブックマークや感想もお待ちしています。




