↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/11

第10話 届いた手紙

雪がちらつき始めた夜ふけ、館の裏口を小さく叩く音が鳴った。


扉を開けると、外套に雪をつけた男がふたり立っています。殿下が寄越してくれた傭兵たちでした。


「今夜の分を受け取りに参りました」

「倉はゴードンが開けています。お願いします」


男たちは黙って頭を下げると、館の裏の倉へ回っていきました。


見張りが立ってからも、取引は続いています。

ただ、やり方は変わって、荷馬車はもう使いません。傭兵たちが夜のうちに品物を背負い、馬の背に積んで、ゴードンの教えてくれた森の抜け道を通って、少しずつ国境の向こうへ運んでいくのです。一度に運べる量は荷馬車のころよりずっと少ないけれど、そのぶん何度も往復してくれるので、倉の品物は着実に減っていきました。

代金は、数日おきに同じ道を通って届きます。


表向きのミルフィールドは、何事もない静かな冬です。

街道の見張りの役人たちも、毎日同じ場所に立って、寒そうに足踏みをしているだけでした。


   *


「最近、あの金髪の方がお見えになりませんねえ」


昼下がり、焼きたてのパンとチーズを届けに来てくれたマーサさんが、籠を置くなりそう言いました。


「毎日のように丘の道を上ってらしたのに。村の娘たちも、あの方が通るのを楽しみにしてたんですよ」

「来ないほうが静かでいいです。あの方がいると、仕事が進みませんから」

「あらあら。そういうことにしておきましょうか」


マーサさんは、目を細めて笑います。

何がそういうことなのか、私にはさっぱり分かりません。


マーサさんが帰ったあと、私は籠の中のチーズを切り分けて、ひと切れだけ別の皿に取り分けました。

殿下が来たら、どうせまた欲しがるに決まっています。先に取っておけば、ゴードンが勝手に出すのを止めなくて済むでしょう。


そう思って取り分けておいたチーズは、これで三つ目になりました。

前のふたつは、固くなって食べられなくなったので、結局私が片づけています。


契約を結んだあの夜から、もうひと月近くになるでしょうか。

殿下は、一度もこの館に来ていません。


   *


殿下からの手紙が届いたのは、その三日後の夜でした。


品物を受け取りに来た傭兵のひとりが、帰りぎわに懐から小さな封筒を取り出したのです。


「殿下から、ご領主様へと預かって参りました」


封筒には宛名も差出人もなく、蝋の封には何の紋章も押されていません。万一、見張りに見つかったときのためでしょう。

私は燭台の明かりの下で封を切りました。


――セレスへ。

しばらく、そちらへは行けない。

契約は必ず守る。心配はいらない。

ルシアン


たった、それだけでした。


裏返してみても、何も書いてありません。もう一度読み返しても、書いてあることは変わりません。

どうして来られないのか、いつまで来られないのか、肝心なことは何ひとつ書かれていないのです。


「殿下は、お元気なのですか」


まだ裏口に立っていた傭兵に聞いてみると、男は困ったように首を振りました。


「私は、手紙を預かっただけでして」


答えられないのか本当に知らないのか、男の顔を見ても、どちらなのか分かりませんでした。


   *


その夜は、なかなか眠れませんでした。


寝台に横になって天井を見ていると、あの夜の殿下の声がよみがえってきます。

――帝国には、この土地の食べ物が必要。ただ、それだけだ。


品物は、今も届いています。代金も、きちんと支払われています。

殿下にとって大事なのがこの領地の食べ物なら、それが届いている限り、わざわざ自分で足を運ぶ理由はありません。

契約を結んで、品物の流れが決まった。だから、もう通ってくる必要がなくなった。そう考えれば、筋は通ってしまうのです。


あれほどしつこく求婚してきたのも、「セレス」と呼ぶのも、チーズを欲しがるのも、全部この領地のためだったのかもしれません。


そこまで考えたところで、私は寝台の上で体を起こしました。


いいえ、違います。あの夜、私は自分で決めたはずです。殿下が欲しいのが領地だったとしても、かまわない。それでも、この方を信用すると。

隣の国の兵を領地に入れる約束までして、今さら手紙一通で揺らぐくらいなら、最初からあんな契約書に名前など書きません。


殿下は、「約束は守る」と書いてきました。

その言葉を信じると決めたのは、私です。


私は寝台を降りて、机の引き出しに手紙をしまいました。

少しだけ、気持ちが落ち着いた気がしました。


   *


その冬いちばんの冷えこみだった朝、ハンスさんが薪を届けに来てくれました。


「ご領主様、もうすぐ冬至の祭りですな」

「冬至の祭り?」

「ええ。一年でいちばん夜の長い日に、村じゅうで火を焚いて、朝まで飲んで食べて騒ぐんです。ここ何年かは、買い上げだの騒ぎだので、とても祝えたもんじゃありませんでしたがね」


ハンスさんは、しわだらけの顔をほころばせました。


「今年は、久しぶりにみんなで祝えそうです。ご領主様のおかげですよ」


そんなふうに言われたのは、初めてでした。

うまく返事ができずにいると、ハンスさんは「ご領主様も、ぜひいらしてください」と言い残して帰っていきました。


   *


その夜、また傭兵たちが品物を受け取りに来ました。


倉の前で、荷を背負いながら小声で話しているのが聞こえてきます。


「……帝都が、どうも騒がしいらしい」

「おい」


年かさの男が、若い方の男の脇腹を肘で小突きました。

若い男は私の方をちらりと見ると、慌てて口をつぐみます。


「帝都で、何かあったのですか」

「いえ、何でもございません。ただの噂話です。失礼いたしました」


男たちはそれ以上何も言わず、荷を担いで森の方へ消えていきました。


私は、裏口に立ったまま、北の空を見上げました。

雪雲の向こうに、殿下の国があります。


帝都が騒がしいことと、殿下が来られないことは、どこかでつながっているのかもしれません。


手紙の「心配はいらない」という一文が、急に別の意味に思えてきました。心配しなくていいことなら、わざわざ書く必要はないはずなのです。

私はこのとき初めて、領地のことでも品物のことでもなく、殿下ご自身のことが心配になりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

もし「面白かった」と思っていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。ブックマークや感想もお待ちしています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
第10話と第11話が前後してしまっていますよー。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。