放火魔を追ったら人質です(なんでよ!?)
ごうごうと、石造りの建物が燃えている。
ティナが炎を睨みつけた。
瞬間、風が止んだ。
直後、炎が消え去る。
「なんだ今の!? 何が起こった!?」
「あんなに勢いよく燃えてたのに、一瞬で消えちまったぞ」
「お、今ごろになって消火隊がきやがった。連中がやったのか?」
駆けつけた魔法使いたちが、すでに鎮火した建物を見て首をかしげる。
焼けた外壁の一部が、ぱらぱらと砕けて落ちてきた。そこから崩壊が広がり、大きな建物は轟音と塵埃を撒き散らしながら倒壊した。
「石造りだぞ!? なんであんなふうに崩れるんだ!」
「普通の火じゃねえ。魔法に間違いねえが、そんだけすげえ威力ってことか」
「で、その炎を一瞬で消したのは誰なんだよ?」
喧騒をよそに、ティナはしずかに目を閉じた。
意識を、いまだ燻る建物だったモノへ向ける。
待つこと数十秒。
ティナはくるりと反転した。
「見つけた」
赤い瞳がぎらりと光る。
「これ辿って行けば、あたしの青春を燃やした犯人がいる。絶対に逃がさないんだから」
タンッ、と地面を蹴る。
ビュン、と風を斬って駆け出した。
『其方、あの微細な魔力を探知したのか。苦手であったろうに。まさか怒りで精度が上がったわけでも――あるのか?』
「さあね」
ティナは前だけを見ている。
フクロウは飛ばされないようしっかりと、両脚に力をこめて踏ん張るのだった――。
王都南地区。
多くの店舗が並ぶ通りに、一風変わった酒場があった。
亜人ばかりが働くそこは『白鹿の灯火亭』。
宿屋も兼ねた店で、まだ陽が暮れたばかりだというのに、三十席ほどある店内はすでにほぼ埋まっている。
(ん? なんだ? 妙な気配がするな……)
頭の上の鹿耳が、ぴこんと跳ねた。
店を切り盛りする姉妹の妹で、名はリゼット。額にはこぶを伸ばしたような角が二つ――鹿人族の女性の特徴だ。スタンダードな黒の給仕服は、本人希望でスカートの丈が足首まで伸びている。
リゼットは盆を片手に、赤茶のポニーテールを揺らして歩き出した。
客から注文を告げられるも「すこし待っていろ」と素っ気なく、裏手の勝手口から外へ出た。
店の入り口は大通りに面しているが、反対側は狭い通用路になっている。店内の喧騒が漏れていても、薄暗く侘しい雰囲気を醸していた。
「そこで何をしている」
低く通る声音にも、相手はまるで動じない。
影がいた。
暗がりに潜む、黒い服の男だ。
片手を隣の店舗へ突き出している。店じまいして誰もおらず、しんと静まり返った店内へ、だ。
しかも手の先にはほんのりと、炎が浮かんでいた。
「貴様……巷を騒がす放火魔か」
男はリゼットの問いには答えず、ゆるりと顔だけ彼女へ向ける。
瞬間、背筋に悪寒が走った。
(なんだ、この男……瞳に生気がない。焦点も合っていないし、これではまるで――)
何かに憑かれているようだ。
確信する。
あれは放置してはならないものだ、と。
「問答する気はないようだな。ならば――」
先手必勝。
リゼットは予備動作なしで跳んだ。鹿人族特有のしなやかな跳躍が、五メートルの間合いをひと息に詰める。
手にした木製の盆で、顎の先を横薙ぎに叩いた。ぐわんと男の頭部が揺れる。
「なっ!?」
驚きの声はリゼットのものだ。
男は脳を強烈に揺さぶられたはずなのに、焦点が定まらぬ目をしたまま、リゼットから距離を取って飛び退いたのだ。
(なぜ、気絶しない?)
魔力は高いが、体術は素人と看破していた。それは間違っていない。
すぐさま追う。あちらの体勢が整う前に、懐に飛びこめた。
相手がこぶしを振り回す。やはり動きは素人。だが風を切る音が重い。当たれば並みの者では、ただでは済まない。
リゼットはしゃがんだ。頭上をこぶしが奔っていく。地面に片手を着き、両脚をそろえて跳ね上げた。
長いスカートが翻り、露わになったしなやかな双脚が、斜め下から相手のみぞおちを突き上げる。
手ごたえはあった。男は吹っ飛んで弧を描き、地面に叩きつけられる。内臓が破裂したかもしれない。
(姉さんを呼んで治してもらうか。放火を企てていたとはいえ、さすがに人死にはまずい)
そのあとは衛兵に引き渡して、と今後の段取りを思い描くも。
「まだ動けるのか!」
男が、のたりと立ち上がったのだ。
「待て!」
そして通用路の奥へと逃げていく。
やはりアレは放置できない。
リゼットは迷わず全速で駆けた――。
十四歳の少女、コレット・クレールは王都中心部にある別邸への家路を急いでいた。
明るい金髪を細かく結って後ろだけ垂らし、緑がかった青の瞳で脇目もふらず薄暗い路地を行く。
王立学院聖女科の入試に向け、受験会場への道のりを正確に覚えようと入念に地図を書き記していたらこんな時間になってしまったのだ。
そこまでする必要があるのか? とは思う。
けれど優秀な姉と違い、自分のような凡庸な者は人一倍、いや三倍は努力し、研磨し、精進し、できうる限りの準備を怠ってはならないのだ。
ただね、そういうのって大抵は、空回りしてしまうのよね――。
「はわわわわ……」
大通りまでもうすこし。脇道から飛び出してきた誰かとぶつかりそうになった。
ごめんなさい、と言う間もなく、その誰か――男はなぜだか自分の背後に回って首元に腕を巻きつけてきたのだ。
そうして今、目の前でナイフが鈍く光っている。
(なんで!? どうしてぇ!?)
叫びは声になってくれない。
突然の出来事に恐怖で竦んで力が入らなかった。首が苦しい。
だが、この理不尽な状況に光明が差した。
暴漢が飛び出してきた脇道の奥。
「おのれ、人質まで取る外道だったか。許せ、少女よ。気絶させれば済むとの甘い考えがこの事態を招いてしまった。だが今、助ける。安心してくれ」
あんたのせいかよ! という訴えは飲みこんでおく。淑女にあるまじき言い方であるし、往来で大声を出すのもはしたないので。
ともあれ、この窮状を救ってくれそうな人だ。
その姿を確認すれば。
高い位置で縛った一束の赤茶の長い髪がなびく。ロングスカートを着てお盆を持った、
「どこからどう見ても飲食店の従業員さん!」
せっかく力がみなぎってきたのに、これは助かる状況なのだろうか?
「む、たしかにそうだが、心は常に剣と共にある」
「剣、持ってませんよね?」
「……そうなんだ。持っていれば、わりとどうにかなる状況だとは思う」
首に巻きつく腕が、ぎりと締まる。
「持っていない今は?」
「君が傷つくことを考慮しなければ、まあなんとか」
さあっと顔が青くなる。
「そうだよな、うん、わかっているとも。自分だって君が傷つくのは本意ではない。だからこうしようと思う」
ポニーテールの給仕さんは、手にしたお盆を放り投げた。
「さあ! 少女を解放しろ! そして代わりに『白鹿の灯火亭』が女主人、その妹であり店の用心棒たるこのリゼットを人質に取るがいい!」
高らかに吠えるも、暴漢はコレットの首元に力をこめ、じりじりと後ずさる。
これもうダメなやつかな? お姉さまに迷惑かけちゃうかな?
またも力が抜けかけたとき、再びの光明が差してきた。
「見つけたーっ!」
ずびしっとこちら――ではなく、その背後にいる暴漢を指差したのは、自分と同じか、より幼い女の子。頭の上のフクロウともども可愛らしい。
なにやら殺気度限界突破なご様子ではあるが、
(やっぱりもうダメかも……)
コレットは三度、脱力するのだった――。




