大聖女、辞めたらどうする?(窓からダイブ!)
『其方、最後の最後で素が漏れておったぞ。もっとも、それまで必死に感情を押し殺しておった様は滑稽であったが』
「む、仕方ないでしょ。油断すると『素』が出ちゃうんだから。ていうか今、『滑稽』って言ったよね? そう感じられるようになったんだ」
『人はあのような様を『滑稽』と表現するものだろう?』
「なあんだ、ようやく感情が芽生えてきたのかと思ったのに」
大聖女セレスティーヌ・ラ・サンクレールは人前ではけして見せない砕けた口調で、虚空に向かって話している。
国外追放を言い渡されて謁見の間を飛び出したのち、まっすぐ自室に戻ってきた。
うーんと伸びをして、そのまま背中からベッドにばふん。
見慣れた天井に手を伸ばし、えへへーと笑みを咲かせた。
『ともあれ、これで其方は晴れて自由の身だ』
――自由。
その言葉に、五年前に見た王立学院の中庭がふっと重なった。
肩を寄せて笑う二人組。噴水の縁で一冊の本を覗きこむ少女たち。廊下を駆ける靴音。
十一歳で山奥から連れてこられて以来、王宮と大聖堂を往復するだけだったセレスティーヌには、眩しいほど遠い景色だった。
――あの中に、交ざりたい。
名声も地位もぜんぶ捨てて、もう一度やり直したい。
今度こそ、あの子たちのような、青春を――。
そんな切実な願いが、それまで気づきもしなかった自らを縛る鎖を浮かび上がらせた。
今、その鎖は断ち切れたのだ。
セレスティーヌは両脚を振って勢いよく立ち上がる。
「ちょっと実感が湧いてきた。あたし、青春を謳歌できるんだよね!」
両手をわきわきさせ、これからの明るい未来を夢想する。が、
(ああ、いや、責任を放棄するつもりは、ないんだけどね。やることはやりますよ、うん)
満面の笑みを消し、きりりと美貌を引き締める。
「そのためにはまず、なにをしなくちゃでしょうか? はい、ルーちゃん」
『その呼び名は……いや、其方の新たな旅路だ。もはや言うまい』
ルーちゃんと呼ばれた天からの声は、ひと呼吸おいて告げる。
『聖王大光壁への、引き続きの魔力供給だな』
「うんうん、そうだよね。我がままを通すんだもの。みんなに迷惑はかけられないよね。さすがに私が魔力供給を止めちゃうと、硬さだけでも二割くらいに落ちちゃうから」
『二割〝減〟ではなく二割〝まで〟、か。そこまで落ちれば壁の外の連中どもめ、喜び勇んで突破を図ろうな』
「そうさせないため、ってね。ていうか、どのみち壁とは直接つながっちゃってるし、勝手に吸い取られちゃうもの。あっちが嫌って言うまでは」
セレスティーヌはにやにやと虚空に笑みを送る。
「って、そうじゃなくはないけど、そうじゃなくて。はい、なにをしなくちゃいけないでしょーか?」
仕方がない、とでも言いたげな気だるい口調で天の声は答える。
『若返りの秘術、であったな』
今とそれほど変わらぬと思うが? と続く言葉に、
「わかってない。わかってないよ、ルーちゃんは。十代と二十代の間にはね、大光壁よりも高ーい壁があるんだから」
『たしか其方はもうさんじゅ――』「はいそこまで!」
見た目の話よ、とセレスティーヌは遮って、
「どっちみち姿は変えなきゃいけないし、目的の場所は十四歳が妥当なところだしね」
言いつつ、腕まくりしてベッドやらの家具を部屋の端に寄せた。
「んじゃ、本命の儀式を始めますか」
部屋の開けた場所の中央に立ち、胸を張って両手を広げる。
「さすがに今の魔力だけじゃ足りないから、ちょっとだけ流してるのを止めちゃうね」
構わぬよ、と虚空の声が応じる。
『壁への影響は軽微なものだ。原状に復すのにさほど時間はかからぬ。異変に気づく者はいるだろうがな』
それは困る、かも?
「ま、ちょっかいかけてきたら追っ払えばいいかな。北の魔王のときみたいにね」
事もなげに言って、セレスティーヌは儀式に意識を沈める。
足元に、巨大な円形魔法陣。色が跳ね、浮かび上がった。
光が荒ぶ。
風が巻いた。
光の嵐が、室内の隅々まで蹂躙していく。
シーツが舞い、キャビネットが倒れた。
その騒乱の只中で。
大聖女はそよ風を受けるがごとく、涼やかに佇んでいた。
艶やかな体躯が、輝きに浮き彫りとなる。
光彩のシルエットが、みるみる縮んでいった。
狂乱が静まる。
光が解けた。
あとには細身の少女が一人、佇んでいた。
着ていた服がずり落ちそうになるのを支えながら、倒れた姿見を起こして正面に立つ。
「おおー、知らない子だー。いや、昔はこんなだったっけ? うーん……思い出せない」
金色の髪はそのままに、身長がかなり縮んでいる。
右を向き、左へ転じ、顎を上げたり上目遣いをしたり。
「低すぎないかな? 十四歳ってこんなもの?」
『さして変わるものでもない、と言いたいところだが、大聖女の面影はずいぶんと薄くなったな』
「薄い? どこ見て言ってる?」
『其方は『胸』と答えさせたいのだろうが――』
「違う、そうじゃないんだよルーちゃん。もっとこう、頬を赤らめて『む、胸などみておらんし!』ってムキになっちゃうのがね――」
『何故、瞳を赤くした?』
声のトーンが一段下がっていた。
だがセレスティーヌはまるで気にせず、あっけらかんと答える。
「カッコいいからに決まってるよ。ほら見て、灼眼。カッコよくない!?」
実際に彼女の瞳は瑞々しい碧から燃えるような灼眼に変じていた。
『他にも理由はあろう?』
「んー、まあほら、赤い目をしてたら元大聖女だとは思われないでしょ?」
『……面倒を背負いこみそうではあるがな。まあよい。して、名はなんとする? 平民になるなら家名はいらぬだろうが、「セレスティーヌ」で通すわけにもいくまい?』
「あ、そうだった。うーん……まあ、『ティナ』でいいんじゃない? うん、これにしよう」
『また安直な……。しかし其方に合っていると評価できる名ではあるな』
「よし、じゃあ今日からあたしはティナ! ってことで」
『ではそろそろ出発せぬとな。奴が来てしまうぞ?』
指摘され、ハッとするセレスティーヌ・ラ・サンクレール改め『ティナ』。耳をすませば廊下の遥か遠くから、重く堂々とした大股の靴音が聞こえた。
慌てて事前に用意していた旅装束を着こみ、他には何も持たずに窓から飛び出す。ここにはもはや、彼女を縛るものは何もなかった。
木の葉をまとって姿を隠し、そのまま天高く舞い上がる。
こうして、大聖女は新たなる旅路に胸を躍らせるのだった――。
たしかにそれはわずかな、ごく短い揺らぎ。
けれど王国の四方で虎視眈々と隙を窺う各勢力にとっては、千載一遇の好機だった。
眠れる四つの脅威が、一斉に動き出す。
そのひとつ――北の氷城、魔王が高らかに言い放った。
「ははははっ! ついに! ついにやってきたぞ、この時が! あの女が俺の邪魔をし始めて二十年。ようやくあの忌々しい壁が揺らいだのだ!」
凍てついた氷の大広間。
朗々たる声が響き渡る。
「だが当然、罠の可能性もある。あの賢しい女のことだからな。ここは慎重になるべきだろう。だが! 二十年も待ったのだ。ここで動かずして何が魔王か! すぐに調査に向かわせよ!」
力強く命じるも、側近たちが深々と下げた頭を戻す間もなく、
「いや! ここは俺自身が行くべきか。そうだな、すぐに準備だ! 待っていろ大聖女セレスティーヌ、今度こそ貴様をこの俺が! 屈服させてやる!」
熱い声音が周囲を凍えさせるのだった――。




