超弦的解釈における第一位置
■ 第五節 超弦的解釈における第一位置の喪失
——ランダムで動けない直線のなさと、振動として保存される可能度——
世界が有限でありながら、まだ「できないことが存在する」という時間を生んでいないのだとすれば、次に問われるべきなのは、世界がどのような仕方でその未分裂性を保持しているのか、という問題である。有限である以上、世界には形がある。範囲がある。接続の限界がある。ある事象Aが成立するためには、Aを支える条件が必要であり、その条件は無限に広がっているわけではない。にもかかわらず、その有限性がただちに「Aはできない」という一個の不可能性へ固まらないのだとすれば、世界の有限性は、単なる壁としてではなく、接続を保持する構造として理解されなければならない。
ここで導入されるのが、超弦的解釈である。
もちろん、ここでいう超弦的解釈は、物理学における超弦理論そのものを厳密に展開するものではない。超弦理論の数学的な妥当性や物理学上の検証可能性をここで論じるわけではない。本論文がここで借りるのは、粒子を無幅の点としてではなく、振動する広がりとして理解するという発想である。すなわち、存在の最小単位を「位置だけを持つ点」として捉えるのではなく、「振動し、張力を持ち、接続を保持する微小な構造」として捉える見方である。
この見方は、本論文の可能度の議論に重要な示唆を与える。なぜなら、もし存在の最小形式が点ではなく振動であるならば、ある事象Aの成立もまた、最初から一点に固定された結果として理解される必要はないからである。Aは、一つの位置に突然現れるのではない。Aは、振動し、広がり、関係し、方向を持つ接続の中で、Aとして保存される。つまり、Aは点として存在する以前に、振動する可能度として存在している。
この節で問われる中心問題は、次のように整理できる。
第一の位置が失われるとき、世界は本当にランダムな直線へ落ちるのか。
ここでいう「第一の位置」とは、ある事象Aを最初に固定しようとする一点である。たとえば、粒子がここにある、サイコロの目が一である、ある選択が成立した、ある未来状態へ到達した、というとき、私たちはAを一つの位置へ置こうとする。Aはここにある。Aはこの値である。Aはこの結果である。このようにAを一点に置くことによって、私たちはAを理解し、数え、判定する。
しかし、Aがまだ結果として固定されていない現在において、この第一の位置は本当に存在しているのだろうか。Aは最初から、どこかの一点へ割り当てられているのだろうか。それとも、Aはまだ一点としてではなく、振動する接続として保存されているのだろうか。もし後者であるならば、「第一の位置が失われている」という状態は、ただちに無秩序を意味しない。むしろそれは、Aがまだ一点に押し込められておらず、可能度の場の中で直線的に保持されている状態を意味する。
このとき、不確定性の意味が変わる。
通常、不確定性という語は、ある量が正確に決まらないこと、ある位置や運動量が同時に確定できないこと、結果が予測できないことを指すものとして理解されやすい。そこから、世界の根底にはランダム性があるのではないか、あるいは結果は最終的に偶然によって決まるのではないか、という理解が生まれる。しかし、本論文の立場では、不確定性はただちにランダム性を意味しない。不確定性とは、Aがまだ一点に固定されていないということであり、それはAが接続を失ったということではない。Aは不確定でありながら、なおAとして保存されうる。Aは位置を持たないのではなく、点としての位置に還元されていないのである。
ここで「1回目の位置の喪失の不確定性」という表現が意味を持つ。
一回目の位置とは、Aを最初に一つの結果として置く位置である。サイコロで言えば、一が出たと判定されるその位置である。粒子で言えば、ここにあると測定されるその位置である。選択で言えば、この選択が成立したと数えられるその位置である。私たちは、Aを理解するとき、しばしばこの一回目の位置を必要とする。なぜなら、一回目の位置がなければ、Aを数えることも、比較することも、結果として扱うことも難しいからである。
しかし、世界の側から見れば、この一回目の位置は、最初から与えられているとは限らない。むしろ、一回目の位置は、連続した可能度が後から判定形式へ切り出されることによって成立する。Aが一つの位置を持ったように見えるのは、Aへの接続がある条件のもとで局所化され、判定され、結果として読まれた後のことである。したがって、一回目の位置がまだ存在しないことは、Aが無いことではない。Aがまだ判定点へ収縮していないことを意味する。
この理解において、「一回目の位置の喪失」は、無秩序ではない。それは、位置がまだ固定されていないことによる未分割性である。Aはまだここに置かれていない。しかし、Aへの接続はある。Aはまだ数えられていない。しかし、Aを数えうる保存構造はある。Aはまだ一点に閉じていない。しかし、Aとしての直線性は失われていない。この状態を、本論文では、位置の喪失ではなく、位置以前の保存と呼ぶことができる。
超弦的な比喩を用いれば、Aは点ではなく弦として保存されている。点は、位置を持つ。弦は、振動を持つ。点は、一つの場所へ置かれる。弦は、ある広がりと張力の中で状態を保つ。点は、判定しやすい。弦は、関係として読まなければならない。点としてのAは、結果後のAである。弦としてのAは、可能度として保存されているAである。
この比喩において、可能度とは、弦の振動に似ている。Aは、まだ一点として確定していない。しかし、Aへの振動様式がある。Aへ向かう接続の張力がある。AをAとして保持する保存核がある。Aは無方向に拡散しているのではない。Aは、特定の振動として、特定の方向性として、特定の保存形式として存在している。つまり、Aは点ではないが、無でもない。Aは固定されていないが、崩れてもいない。Aはまだ結果ではないが、直線的可能総量として保存されている。
このように考えると、「ランダムで動けない直線」という矛盾した状態を避けることができる。
ランダムで動けない直線とは、Aがどこへ向かうかは完全に無根拠であるにもかかわらず、一度その結果が出ると、そこから動けない固定点として扱われる状態である。これは、真の乱数と固定点的実在が奇妙に結びついた理解である。つまり、AがなぜAになったのかは説明できない。しかし、Aになった後は、それを絶対的な結果として扱う。この場合、世界は接続を持たない結果の列になる。Aはランダムに現れ、現れた後に固定される。そこには、AがAへ向かって保存されていたという直線性がない。
本論文は、このような「ランダムで動けない直線」を否定する。なぜなら、それは直線という語を使いながら、実際には接続を持たないからである。直線とは、AがAへ向かって保存されることである。ところが、ランダムで動けない直線では、Aは保存されていない。Aは突然出現し、出現後に固定されるだけである。このような固定は、直線性ではない。それは断絶の固定である。
存在としての直線性は、ランダムな結果の固定ではない。存在としての直線性とは、Aが結果になる前から、Aへの接続として保持されていることである。Aがまだ一点に定まっていなくても、Aへの振動がある。Aへの張力がある。AをAとして保つ方向がある。この方向が保存されているかぎり、Aはまだ動ける。Aはまだ不可能性へ閉じていない。Aはまだできる/できないへ二分されていない。したがって、世界には、ランダムに固定されて動けなくなる直線は存在しない。存在するのは、振動しながら保存される接続としての直線である。
この点で、超弦的解釈は、本論文の可能度概念を補強する。点的な存在理解では、Aは「ここにある」か「ここにない」かへ分けられやすい。Aがここにあれば存在し、なければ存在しない。この理解では、可能性は結果の手前に置かれる曖昧なものとなり、結果が出た瞬間に初めて実在が成立するように見える。しかし、弦的な存在理解では、Aは一点に置かれる以前から、振動様式として保存されうる。Aは、結果前に接続として存在する。Aは、位置前に状態として存在する。Aは、判定前に可能度として存在する。
このことは、「位置の喪失」を別の仕方で理解する道を開く。位置が失われるとは、Aが存在しないことではない。位置が失われるとは、Aが点的な判定形式へまだ還元されていないことである。Aは、点ではなく広がりとしてある。Aは、固定ではなく振動としてある。Aは、結果ではなく可能度としてある。このとき、不確定性は恐れるべき無秩序ではなく、未分割の接続がまだ保たれていることの徴候となる。
この理解をさらに進めると、第一位置の喪失は、むしろ不可能性を生まないための条件であると言える。なぜなら、Aが最初から一つの位置に固定されてしまうならば、Aはその位置において結果化され、それ以外の接続は非Aとして切断されるからである。Aがここにあると完全に固定された瞬間、Aがここにない可能性は排除される。逆に、Aがまだ第一位置を持たず、振動する可能度として保存されているならば、Aはまだ一つの結果へ閉じていない。Aは未分割であり、Aへの接続はなお保たれている。
つまり、第一位置の喪失は、単なる欠落ではない。第一位置の喪失は、Aがまだ一つの点へ収縮していないことによって、Aへの可能総量を保持する形式である。Aが位置を失うのではなく、Aは位置以前の振動として保存される。Aが一点を失うのではなく、Aは一点へ還元されない接続として残る。Aが確定しないのではなく、Aは確定以前の連続性を保持している。
この意味で、「1回目の位置の喪失の不確定性」は、真の乱数とは異なる。不確定であることは、ランダムであることではない。ランダムであるとは、AがAである理由を接続の中に持たないことを意味する。しかし、不確定であるとは、Aがまだ一点に確定されていないことを意味するだけである。Aが一点に確定されていないとしても、Aへの接続が保存されているならば、そこには可能度がある。したがって、不確定性は、可能度の欠如ではなく、可能度がまだ点的判定へ閉じていない状態として理解される。
ここで、Aの保存という問題が再び現れる。Aが点として固定されていないならば、AはどうやってAであり続けるのか。Aが広がりであり、振動であり、位置以前の状態であるならば、Aは非Aへ溶けてしまうのではないか。この問いは重要である。なぜなら、Aが完全に拡散してしまえば、Aの可能度はAの可能度ではなくなるからである。Aは保存されなければならない。だが、固定されてはならない。この緊張を支えるものが、直線性である。
直線性とは、Aを一点に固定することではない。直線性とは、AがAとしての方向を失わずに保存されることである。弦が振動しても同じ弦であるように、Aへの可能度も変形しながらAとして保たれなければならない。振動は変化である。しかし、無秩序な変化ではない。振動には様式がある。周波数がある。張力がある。境界条件がある。したがって、振動は、変化しながら保存される形式である。この点において、超弦的解釈は、本論文の「固定ではなく保存」という実在理解とよく対応する。
Aは固定されない。
しかし、保存される。
Aは一点ではない。
しかし、方向を持つ。
Aは結果ではない。
しかし、振動様式として存在する。
Aはランダムではない。
しかし、確定点でもない。
この四つの否定と肯定の組み合わせが、本節におけるAの基本形式である。
ここで、もう一つの重要な問題がある。それは、第一位置が失われている状態において、「一回」はどのように成立するのかという問題である。前の議論では、一回とは結果後に数えられる単位ではなく、AをAとして保存する連続の形式であるとされた。では、Aが第一位置を持たないとき、一回は失われるのだろうか。Aが点として置かれていないならば、一回目は存在しないのだろうか。
そうではない。
第一位置がないことは、一回がないことを意味しない。むしろ、一回は、位置ではなく振動として保持される。Aの一回とは、Aが一点に置かれることではなく、AがAとして一つの振動様式を保つことである。サイコロの一回が結果後の「一投」として数えられる以前に、そこには手の動き、回転、衝突、重力、床、時間の連続がある。粒子の一回の測定が結果として記録される以前に、そこには測定装置、場、相互作用、状態の変化がある。選択の一回が「決断」として語られる以前に、そこには注意、記憶、判断、欲望、環境、時間の連続がある。これらは、まだ点としての一回ではない。しかし、一回を可能にする連続である。
したがって、第一位置の喪失は、一回の喪失ではなく、一回の点化の未成立である。一回はまだ点になっていない。だが、一回を支える接続はある。一回はまだ結果ではない。だが、一回として保存される振動がある。一回はまだ数えられていない。だが、一回として数えられうる可能度がある。この意味で、一回目の位置の喪失は、「一回が存在しない」ことではなく、「一回がまだ点として固定されていない」ことを意味する。
ここから、「世界はまだ二回目のサイコロを振っていない」という命題も再解釈できる。世界がまだ二回目のサイコロを振っていないとは、世界がまだAを一回目と二回目へ結果的に分割していないということである。Aはまだ、一回目の位置としても完全には固定されていない。Aが一回目として固定されなければ、二回目との差も固定されない。したがって、Aができる一回と、Aができない一回は、まだ現在内部で二つの種類として分離していない。
この状態を超弦的に言えば、一回は点として並んでいるのではなく、振動として連続している。第一の点、第二の点、第三の点が先にあるのではない。あるのは、点へ切り出されうる振動の連続である。したがって、世界は、最初から「一回目の結果」「二回目の結果」「三回目の結果」を持つのではない。世界は、結果へ切り出される以前の振動可能総量を持つ。その振動可能総量の中で、AはまだAとして保存されている。
この保存があるかぎり、ランダムで動けない直線は生じない。なぜなら、ランダムで動けない直線が生じるためには、Aが接続なしに一点へ固定されなければならないからである。Aが接続なしに現れ、その点から動けなくなるならば、Aは真の乱数的な固定点になる。しかし、Aが振動として保存されているならば、Aは点として固定される以前から接続を持つ。Aは動けない点ではない。Aは動きながら保存される直線である。
この「動きながら保存される直線」という概念は、本論文における直線性の核心をさらに明確にする。直線性は、静止ではない。直線性は、変化しないことではない。直線性は、ある方向が変化の中で失われないことである。Aへの接続が、振動しながらもAとして保たれること。Aが、点へ固定されずともAとして読めること。Aが、位置を失いながらも非Aへ散逸しないこと。これが、動的な直線性である。
この動的直線性を理解するためには、「位置」と「状態」を区別する必要がある。位置とは、Aがどこにあるかを指す。状態とは、Aがどのような関係の中で保存されているかを示す。点的な存在理解では、位置が重要になる。Aはここにあるか、ないかである。しかし、弦的な存在理解では、状態が重要になる。Aはどのように振動しているか、どのような張力を持つか、どのような接続を保つかである。第一位置が失われても、状態が保存されていれば、Aは失われていない。Aは位置を持たないのではなく、位置に先立つ状態として保持されている。
この考えは、不確定性を単なる無知としても、単なる偶然としても扱わない。不確定性は、Aがまだ位置へ還元されていないことを示す。もちろん、観測者の知識が不足している場合もある。測定精度が足りない場合もある。複雑性のために予測できない場合もある。しかし、本論文がここで考える不確定性は、より根本的である。それは、Aが結果としての位置を持つ以前に、Aへの可能度が振動として保存されているという意味での不確定性である。
この不確定性は、可能度を破壊しない。むしろ可能度を支える。なぜなら、Aが一点に早く固定されすぎれば、Aの未分割性は失われるからである。Aがまだ一点へ収縮していないからこそ、Aへの可能総量は保持される。Aがまだ位置を持たないからこそ、Aは非Aへ完全に切断されていない。Aがまだ一回目として判定されていないからこそ、Aができる一回とできない一回はまだ分離していない。この意味で、不確定性は、可能度の保存形式である。
ここで、本節の主題である「ランダムで動けない直線のなさ」を、より厳密に定義しておきたい。
ランダムで動けない直線のなさとは、世界に現れるAへの直線性が、接続を持たない偶然的固定点として成立するのではなく、第一位置が未確定であっても、振動的な接続保存として成立することを意味する。
この定義には、三つの要素がある。
第一に、Aはランダムな固定点ではない。AがAであるためには、A以前の接続保存が必要である。
第二に、Aは動けない一点ではない。Aは結果として点化される以前に、振動し、変形し、接続を保つ状態として存在する。
第三に、Aの直線性は、位置ではなく保存によって成立する。Aへの直線性は、「ここに固定されている」ことではなく、「Aとしての方向を失っていない」ことによって保たれる。
この三点によって、第一位置の喪失は真の乱数へ転落しない。Aは第一位置を失っている。つまり、Aはまだ一点に置かれていない。しかし、Aは接続を失っていない。Aは振動として保存されている。したがって、Aの不確定性は、ランダム性ではなく、未分割の可能度である。
ここで、物理的な不確定性と哲学的な可能度を不用意に同一視してはならない。量子論における不確定性や超弦理論の具体的な数理構造は、厳密な物理理論として扱われるべきであり、本論文の概念だけで置き換えることはできない。しかし、哲学的な解釈の水準では、点的な位置の喪失を、単なるランダム性ではなく、構造的保存として捉える道がある。この道が、本論文における超弦的解釈の意味である。
この解釈において、世界は結果の点列ではない。世界は振動する接続の場である。結果は、その場から切り出される。位置は、その場から局所化される。一回は、その場から判定される。Aは、その場の中でAとして保存される。したがって、第一位置が失われていることは、世界が無秩序であることを意味しない。むしろ、世界がまだ点列へ分解されていないことを意味する。
このことは、できないことの発生にも関係する。もし世界が点列であるならば、Aがある点にないことは、すぐにAの不在として扱われる。Aが一回目に成立しなかったなら、Aはその一回においてできなかったとされる。Aが位置を持たなかったなら、Aは存在しなかったとされる。しかし、世界が振動する接続の場であるならば、Aが一点にないことは、Aが失われたことを意味しない。Aはまだ振動として保存されているかもしれない。Aはまだ一回として連続しているかもしれない。Aはまだできないことへ固定されていないかもしれない。
したがって、できないことが一種類として生まれるためには、Aが単に第一位置を持たないだけでは足りない。Aへの振動的接続が失われなければならない。AをAとして保存する張力が切れなければならない。Aの方向性が非Aへ散逸しなければならない。つまり、不可能性は、位置の喪失ではなく、振動保存の喪失である。
この点が重要である。点的理解では、位置がなければ存在がない。弦的理解では、位置がなくても状態がある。したがって、本論文において「Aがまだ位置を持たない」は、「Aが不可能である」ではない。「Aがまだ位置を持たない」は、「Aがまだ点化されていない」であり、その背後にAへの可能度が保存されているかどうかが問われる。可能度が保存されているならば、Aはなお接続存在である。可能度が失われたならば、Aは不可能性へ近づく。
ここから、実在の理解もさらに深まる。実在とは、位置を持つことではない。少なくとも、位置だけを持つことではない。実在とは、AがAとして保存されることである。位置は、その保存が判定形式へ切り出された結果である。したがって、実在の根本は、位置ではなく保存にある。点ではなく振動にある。固定ではなく直線性にある。Aがまだ第一位置を持たないとしても、Aへの振動が保存されているならば、Aは実在の前形式として存在している。
この意味で、超弦的解釈は、本論文の実在論を次のように支える。
存在は点から始まるのではない。
存在は振動から始まる。
振動とは、AがAとして保存される動的な形式である。
位置は、その振動がある条件のもとで局所化されたものである。
不確定性は、位置が未成立であることを示すが、保存の不在を意味しない。
真の乱数は、保存の不在を主張するが、本論文はそれを世界の根本形式としては認めない。
可能度は、位置以前に保存されるAへの振動的接続である。
この整理によって、「1回目の位置の喪失の不確定性」は、可能度の議論の中で次のように定義される。
一回目の位置の喪失の不確定性とは、Aが最初の判定点としてまだ局所化されていないにもかかわらず、Aへの接続が振動的状態として保存されているため、Aが真の乱数的な断絶へ落ちず、なお一回として連続しうる状態である。
この定義において、重要なのは「局所化されていないにもかかわらず」という部分である。Aはまだ一点になっていない。だから不確定である。しかし、「保存されているため」という部分がある。Aは接続を失っていない。だからランダムではない。そして、「なお一回として連続しうる」という部分がある。Aはまだできる/できないへ二分されていない。だから不可能性へ閉じていない。
この状態こそが、本論文の求める未分割の現在性である。現在とは、点の集合ではない。現在とは、Aが点へ切り出される以前に、Aとして保存されている振動的接続領域である。現在がこのような領域であるからこそ、世界にはまだできないことが一種類として生まれていない。Aはまだ第一位置を持たない。だが、Aは失われていない。Aはまだ結果ではない。だが、Aへの直線性はある。Aはまだ一回目として数えられていない。だが、一回を支える接続は連続している。
ここで、第一章の流れの中での本節の位置をまとめるならば、次のようになる。可能は、Aが排除されていないことであった。可能総量は、Aへの接続が現在内部にどれだけ保存されているかであった。不可能性のなさは、Aが一個の不可能性として固定されていないことであった。そして、超弦的解釈においては、Aが第一位置を持たないことが、ただちにランダム性や不可能性を意味しないことが示される。Aは、位置を失っても、振動として保存されうる。Aは、点でなくても、直線性を持ちうる。Aは、不確定であっても、接続を保持しうる。
この理解によって、世界はさらに明確に、点的な固定の世界ではなく、振動的な保存の世界として見えてくる。世界は、結果が並ぶ場所ではない。世界は、結果以前の振動が保存される場所である。世界は、真の乱数によって点が突然生まれる場所ではない。世界は、AがAとして振動し、保存され、やがて局所化されうる場所である。世界は、動けない直線を持たない。なぜなら、直線とは固定ではなく、動きながら保存される方向だからである。
したがって、「ランダムで動けない直線のなさ」とは、世界の最小構造が、接続を失った点ではなく、接続を保つ振動であるという命題である。Aは、ランダムに現れて停止するのではない。Aは、振動として保存され、直線として連続し、条件のもとで位置へ局所化される。Aが第一位置をまだ持たないことは、Aが無根拠であることではない。それは、Aがまだ点へ閉じられていないこと、すなわち可能度として保持されていることを意味する。
この地点において、可能とは何かという問いは、さらに深い形を取る。
可能とは、Aがまだ位置を持たないにもかかわらず、Aへの振動的接続が保存されていることである。
可能度とは、その振動的接続がどれほどAとして直線化されているかである。
実在とは、その振動がAをAとして保持し、やがて位置へ局所化されうる保存構造である。
不可能性とは、その振動が失われ、AがAとして保存されなくなる過程である。
真の乱数とは、振動的保存を持たない点的出現であり、本論文はそれを世界の根本形式として排除する。
以上の意味で、超弦的解釈における「1回目の位置の喪失の不確定性」は、可能度の消滅ではない。むしろ、それは可能度がまだ点へ閉じていないことを示す。Aがまだ第一位置を持たないからこそ、Aはまだ一個の不可能性へ固定されていない。Aがまだ振動しているからこそ、AはなおAとして保存されている。Aがまだ局所化されていないからこそ、Aはまだ未分割の現在性の内部にある。
この未分割性こそが、世界が有限でありながら、なお「できないことが存在する」という時間を生んでいないことの、最も基礎的な形式である。




