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<7> 優しき主の腹の底を疑う

 私は主従契約の呪いを、まだ痛ましい傷に刻み込まれた。

 表面上は契約魔法などとのたまわれているが、呪いと言わずにいたら心が砕けそうだった。

 あれだけ人目のひどい醜悪な環境に置かれたあと、競売場で奴隷商が私を購入者と結びつけるための儀式を行って、名実ともに主の存在する奴隷身分にされた。

 それはけして忘れられぬ屈辱、失われぬ心への焼印。


 おそらく奴隷の競売が終了したようで、購入者に手を引かれて退出者の人の流れと合流するように歩み出てきた。

 そして、おそらくは待たせていたであろう購入者の所有する馬車に、私は供だって乗せられた。

 相応に資金力のある人間が乗れそうな車体の中で、購入者が自分の身内以外に視線のないことが明確である中で目隠しを外された。


「やはりファーステス嬢でしたか。落札できて何よりだった」

「落札……」


 思わず、私はモノではありませんわと抗議しかけたが、ぐっとこらえた。

 そんな憤りをぶつけて何になるか。

 目の前に座る男は、暗がりの中とはいえ、それほどすさんだ感じのないように見えた。だが、私の態度一つでどれほど豹変するかわからない。いったんは、しおらしくあるべき。


「申し遅れました。いえ、もしかしたら出会っていたかとは思うのでお久しぶりではあるかと思うのですが、ソクラト商会の主、イヴェル・ソクラトと申します。ファーステス様」

「イヴェル……」


 いえ、どこかの社交会場で出会った記憶はなくても、その名前はとてもよく知られた豪商だから、十分に存じ上げている。

 顔と名前が一致していなかったからいまいちぱっとしなかっただけで、改めて聞かされて理解した。

 彼は商会の主というだけあって、30から40代くらいの男であったはず。声色でそれはうかがえたが、その面持ちはけして優しい主とは言い難い。見目の良さはほどほどで、短く刈りまとめた褐色髪も含め、中身が許容できれば思いを寄せる女性はいないわけではないだろうか。

 イヴェル・ソクラトといえば、貴族の間でも不足する資金を賄うための金を無心して、その利息を利益としていることも聞いている。つまりは政界に財力で裏から影響を与えているといっても過言ではない男だ。つまり、相応に曲者感しかない。


「その様子だといろいろご存じなようで」

「ええ。そうですね、今はご主人様といえばよいでしょうか」

「そんな打算で敬称を言われるのはむずむずしますね、まあいいでしょう」

「ありがとうございます。ご主人様、ご主人様のことはこの身であるため良く存じております。おそらく、私がどのような経緯かも把握されていらっしゃると」

「これはなかなか食えない令嬢のようですね、ファーステス様。もっとも、今のあなたの身の上をよく考えて、言葉には気を付けられることですな」

「む、も、申し訳ありません」


 このやりとりで甘えが効くわけがないことを理解した。

 彼も相応に修羅場を潜り抜けてきていると思う。


「もっとも、あなたを私個人の感情のみでひどく扱うようなことはしないと約束いたします」

「それはありがたくはあるけれ、ありますが……つまりこの頬の印の意味は考えなくて良いのですね」

「あなたを買った理由はそれを目的としたわけではありません。そのことはご理解いただけているかと」

「わかりまし……承知いたしました」


 言葉遣いがどうも抜けきらない。

 丁寧であろうとふるまっているのに、どうしても仕えるものという感じの敬意がない。それは在りし日の時の、令嬢風の言葉遣いが自然と出てしまう。

 前提として提示された条件はとても助かるものだったが、不用意な言葉遣いを行った時に彼が与えかねない罰のリスクは留意が必要だった。


 馬車の乗り心地自体は在りし日に使っていたものとそれほど変わらない、そこそこ快適なものだった。

 金貨3000枚を出せる財力の高さをまざまざと思い知るところだった。

 また、その馬車が到着した屋敷は、その財力の裏付けをそのまま反映したようなものだった。

 馬車の窓から外を伺うのは、不審な動きと取られそうだったのでできなかった。

 イヴェルが下車するところ、降りて問題ないかを伺うと私も供だつことを促された。

 当然お手を拝借などされない。そのやり取りを想定するように、無意識に手を差し出しそうになったのを抑えて、私は自力で下車した。

 周囲を見ておくことも、奴隷らしくという観点からやめておいた。


 今身に着けている衣服は粗末の極みな奴隷のそれだと再確認する。風通しがどうしても落ち着かない。


「家のものにいろいろ手配させますので、お部屋についたらゆっくりなさってください」

「はい……ありがとうございます」


 契約上は主従関係であるからこそ、その丁重な扱いがとても不自然に感じる。

 でもそれは、彼が私の扱いを『ベルサーネス公爵令嬢だった人』として配慮しているに過ぎないと思う。

 彼に追随して、屋敷の棟内に足を踏み入れれば、出迎えするのは彼の屋敷管理などをしていると思われる、執事風の男。


「おかえりなさいませ」

「ただいま、セヴァン」

「そちらは……今日買われた奴隷ですか」

「ええ、やや訳ありなのだがな。とにかく彼女に部屋を」

「承知いたしました。さあ来なさい、部屋まで案内す……」

「よろしくお願いします、セヴァン様」


 イヴェルが呼んだ名前に沿うように私も敬称であいさつ申し上げた。

 ふるまいを主従らしくあるようにしなければと、平静かつ神妙にと努める。


「旦那様、このお方はっ……」

「フアノンと申します。ご主人様のご慈悲を賜ってここに身を置く許しをいただきました」

「ああ……なるほど、人違いでしたか」


 主に多くを任されているだけある。私を見るなり気づいたかもしれない反応をしていた。

 つい数日前まで、王太子の婚約者として公に立っていた私だ。しかもベルサーネス公爵家なら、たとえ婚約者でなくても相応の情報通ならすぐ気づくはずだったから。


「しかし随分と作法のできた奴隷ですな?」

「だから訳ありといっただろう?」

「なるほど」


 今は誰かの機嫌を損ねたら、主だけでなくその関係者の心情を傷つけかねない。

 特に言葉遣いとふるまいは、立場をわきまえたものとして扱わなければならない。

 私はなるべくそれらしいように装って、偽名まで名乗ってみせた。

 売りに出される前に最低限身を清めたとはいえ、髪留めはおろかまともな整えも許されていない今の髪型なら、よく知る人間以外は騙しとおせるはず。


「もっとも、その訳ありがあるので彼女を不遜な態度で扱ってはいけないぞ、セヴァン」

「は、承知いたしました」


 そうして主となった男の指示により、私はその初老の執事の背を追うように部屋に案内された。


「フアノン、といったか」

「はい」


 その道すがら、案の定私はその執事に声をかけられる。

 大階段を上り、廊下を歩く道は執事が手に持つランプが明かりの頼みになっていた。


「まさか頬に性奴隷印を刻まれているとは」

「これは」


 窓が外と隔てているそれは、財力の限りを尽くしたといわんばかりの透明な板ガラスだった。

 透明な板ガラスの枚数を見るだけでわかる。真に財力だけで、貴族家どころか王家、あるいはこの都、ひいては国の財政にすら多大な影響力を発揮していることを感じさせた。

 少し暗視の魔法を効かせて、その窓に反射する私の顔を見た。

 改めて確かめたそれは、頬の輪郭に沿って独特の曲線を赤紫にかたどっていた。知る中だと、ハートの形状を半分に切ったような。

 その横に、円を線でつないだような模様が添えられていた。

 つかまっていた時には自分の顔を確かめる手段がなかったので、見ることができたのはこれが最初だった。

 思わず頬を撫でると、まだ焼き印のやけど痕を擦ったような、ちりつく痛みが残っていた。


「それを晒したまま不用意に街にはでないことですな」

「ええ、肝に銘じます」


 とても分かりやすい記号だ。知る人が見れば、思う存分好きにもてあそぶことを許可されているような証だったから。


「ところでファーステス様」

「はい……っっ!?」

「やはり」


 不意に答えたときには手遅れだった。

 この執事、ずっと私の正体を暴くことを狙っていた。

 つい本当の名前を言われたことに、無意識に反応してしまっていた。


「あれほど()()()と旦那様が念を押されていたので、もしやと思い。そうですね、ファーステス様ならなおのこと、下手なことを考えないことです。それが無事に生き延びるのに重要なことなので」

「なぜあえて私のことを」

「それは私の口から申し上げることでは。ただ、今こうしてしおらしく奴隷を装っていらっしゃるのは、どこか不気味に感じましたので」

「それは、処世術としてやむを得ないことですので……セヴァン様、ここでは私は旦那様の奴隷のフアノンなのです。それ以外の何物でもありません」

「そうですね、そういうことにしておきましょう」


 それは、彼にこの後の私が起こす可能性のある行動への大きなくさびとして打ち込まれたものとなっていた。

 部屋の前につくと、執事は鍵を開けて私をそこに促した。

 部屋に踏み入ると、鍵をかけて封じていただけあって、埃が払われておらずむせ返りそうだった。


「今日は遅いので、詳細は明日に」

「はい……おやすみなさい、セヴァン様」


 私が見送るのを目の当たりにしながら執事はドアを閉めてくれた。

 振り返ってドアを確かめれば、内側からも鍵を動かせる構造となっている。懲罰を与えるための閉じ込め部屋ということではないが、鍵がかかる部屋という点は『一部の使用人だけが出入りを許される部屋』にできる構造なのだと思う。

 さすがに埃まみれの空気の中で寝るのはためらわれる。窓からのぞく外の明るさでは到底足りないほど部屋は闇に閉ざされていた。

 暗視の魔法を動作させる。執事が部屋に明かりを灯して去らなかったのは、奴隷への扱いという点によるところだろうか。安宿の一間のような、飾り気の何もない中に埃まみれのベッドが、シーツとマットとともにそこにあった。

 窓に近づいてそれに手をかける。上下スライド式で、蝶番式に開くものとは違う。止まるところまで引き上げて、換気を試みながら窓の下を伺う。


「下手なことをしない……か」


 屋敷の2階。

 下にクッションとなるもののないそこは、もちろん飛び降りたら無事では済まない程度に高かった。

 おそらく『心得のないただの奴隷』なら、鍵のかかる部屋でもこの高さがハードルとなって脱走などできないだろう。

 でもここにいるのは、多くを修めて、この高さを軽く克服可能な手段を持った私である。


「案内するお部屋間違えてませんか、あの執事さん」


 もっとも、買われたその日に脱走するような真似をするほど私は大胆ではないし、それは下策以外のなにものでもない。

 埃を払えそうな道具はなさそうだけれど、奴隷商のところにいたときに比べればまだましな屋内であること、みすぼらしさの塊のような今の身なりを思えば今更埃をかぶることなど些末なことのようで。


「私、掃除などできるのかしら……」


 私は眠気に負けてベッドに身を預けたままうたたねしてしまっていた。



 次の日からしばらくは、暇だけを持て余す日を過ごした。

 奴隷服から、そこそこ彩のある衣装に着替えさせてもらった。丈のあるスカートがどうにも使用人と一線を画する扱いに感じたものの、その扱いの差を理解するに十分だった。

 私のお世話には、ベリーダという名の、中年の女性の使用人が就いた。彼女が、私の着付けもお部屋の掃除も身の清めも携わってくれた。ただ私が何かしようとしても、「お手を煩わせてはいけないと旦那様に銘じられているので」と断られてしまった。

 世話の初日として、埃を払いベッドのマットやシーツもきれいなものと取り換えてくれたので、しばらく眠るのには困らなさそうではあった。


 朝起きて、外を眺めて、食事して、ぼんやりすごして、食事して、弓を射る姿勢をとってみて、食事して、夜空を眺めて、庭で駆け回る犬の様子を見て、警護に励む歩哨の規則正しさを見守って、身を清めて、寝る。

 ベリーダと話をしようとしても、「私語は厳禁と言いつけられていますので」などど取り付く島もなく。

 部屋にいるだけでは退屈といっても、「外出させてはいけないといわれているので」と止められてしまう。

 せめて弓の弦を引きたいと言っても、「このお屋敷に弓はありません」と返答される始末。


「旦那様がお優しいのはわかったのですが、もう何日退屈を持て余せばよいのでしょうか? 私は奴隷なので、何かお仕事をしなければいけないはずなのに」

「あなたの奴隷契約は『夜のご奉仕』のみでしょう? それを旦那様は禁じていらっしゃいますので」

「でも他のお仕事するのは」

「労働奴隷以外は奴隷として労働してはいけないと聞きますが」

「えぇ……そうなんですか」


 部屋のメンテナンスに来たベリーダに、すこしいらだち気味に言えば、変な正論でびしっと切り捨てられる始末。

 こうした単純な応答なら、『私語』の判定から外れているようだった。だからと質問攻めにしているくらい、私は退屈に苦しんでいた。


「私はどうしたらいいのです」

「さあ」


 そこでベリーダに閉塞感のあまりのことをぶつけても、完全にスルーされてしまった。


「ただ、旦那様はお優しいのでけして悪いようにはなさらないはずです」


 そんな行き詰まりを解消してくれるように、ベリーダは仕事納めの前に助言のように伝えてきた。

 そうして彼女がいなくなった後、私は完全に持て余した時間の使い方に悩まされた。

 その日は日中になっても暗く雲に閉ざされていて、その空模様が晴れぬ心を思わせるようだった。

 ただ、何もせず、暇をベリーダにぶつけるだけの日々は。

 しおらしく奴隷のような人質として振る舞う姿は。

 この屋敷の人に、私というものの本質を見せず、決行される可能性の薄さによる油断を誘うには、十分なものとなっていた。私は思わずほくそ笑みそうなのを堪えて、機を得る日を伺っていた。


読んでいただきありがとうございます。

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