<6> 災いのすべての元凶を悟る
顔が痛くて良く眠れない。
昔からどこか眠りが浅いのか、不眠なのか、寝付くのに時間がかかるところはあったのだが、ここまで明確に痛めつけられて、素直に眠れるわけがない。
食事は鮮度など度外視で、傷んでいるのか傷んでいないのかよくわからないスープと硬いパンという粗末なものだった。食べられるだけましくらいに考えればいいのかもしれない。
排泄もまるで人権のかけらもないツボを使わされた。
刻んだ奴隷印に似つかわしいような待遇だった。
このあと、私はどこに連れていかれどういう風に売却処分されるのか、見当もつかない。
ただ言えるのは、落ちるところまで落ちた、ということだ。
くくられた腕やつなげられた鉄球が体の動きを邪魔してくる。弓を引く鍛錬もままならない。閉じ込めた牢のせいか、魔法の行使もままならない。そう、だから印を刻まれることを避けられなかった。
余暇を過ごす方法が見当たらないので、私は生理的な何かを為す必要がないときは、ほとんど寝て過ごした。眠れないのなら、眠れる時に眠っておく。
その夢うつつの中で、私はふと、意識と無意識の境界で、うっすらと誰かに目の前に立たれていた。夢枕なのか、それとも現実なのか。
「気分はどう?」
「どう、って」
「婚約解消、庶民落とし、奴隷化。落ちるところまで落ちちゃってて、ほんとすかっとしたわ」
私の夢枕に立っているその姿は、既視感で塗りつぶされた何物でもない存在だった。
城にも教会にもその像がある、この国で広く篤く信仰されている神のうちの一柱。慈愛と豊穣の女神様そのお方だった。
「すかっとしたって……」
「当たり前でしょう? あなた、私が大切な祝福を与えた巫女のこと、さんざんいたぶったじゃない。だいたい、あんたの家、私のことないがしろにしすぎてるし」
「そんなこと」
「いいえ、信心足りてない。他の家には私の像があるのに、貴方の家の屋敷にはどこにも置いてないじゃない。 だからちょっと運命を、弄ってあげた」
もっとこう、神々しさや威厳といったものがあるような口ぶりをするのかと思えば、その話し方はとてもフランクな、友人と会話するかのような感じだった。
それでいて、何かとても、サディスティックな嘲笑を浮かべているような。
確かにそれが神であることをうかがわせる後光というか、輝かしい加護で身を包むそれは、神々しいというにふさわしいものであると思う。
それでも、私が慣れ親しんだ教義と教会の教えとはかけ離れた何かだった。
そう、あの憎くてならない聖女スコラをたて、ライナルド殿下を誑かした教会が祀る存在と思えば、何かしっくりくるものがあった。
「運命をいじったって、そもそもあなたはあのオーシア様なの」
「そうよ? 人が慈愛と豊穣の女神様って讃えるあのオーシア様よ」
「そんなはずありませんわ、あなたのようなものが」
「あなたのようなもの? はぁ? あんたらが勝手に私のことをそういう風に思い描いているだけでしょ」
「勝手にだなんて」
「はぁ。だいたい実際運命いじったらあまりにうまく行き過ぎて、気持ちよすぎるのよ」
大体、人の不幸を見て快感を覚えているようなものが、神と言えるのか。
こんなのは女神じゃない。女神の皮を被った悪魔か何か。
「まあ、私からあえて言わせてもらうと」
女神は私に近づきながら、体を起こそうとした私の体を無理やり地面に仰向けに縛り付けた。
そしてそのヒールの角で、私の額を、踏みつけた。
「っ、が、あぁぁ……」
「かわいいうちの聖女いじめた報い受けてざまぁ♪ ってこと。もっと苦しむ様見せて、ファーステス♪」
軽々しい言い方で私を突き放すように告げたその女神の言葉を後目に、意識を現実に引き戻されていたら、どれほど簡単か。
痛みから逃れられない。まるで女神に、この世界に縛り付けられているかのよう。
「どういうつもりなの……っぐ」
「あなたが婚約破棄されたのも、庶民落ちどころか奴隷落ちしたのも」
額が割れそう。頭が張り裂けそうな痛みがこんなに苦しいなんて。
その痛みで引き戻されるように現実に戻る前に聞いた、女神の言葉が忘れられない。
「ぜーんぶ、自業自得ってこと。あーっはははははは♪」
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そうして目を覚ましたとき、額の痛みは嘘のように消えていた。
朝起きて、すぐに私はこの身がオークションにかけられることを知った。あの女神の言葉の意味、女神の出現の意味を整理する時間はごくわずかにしかなかったけれど、でも最後の最後に言った一言は、今でも頭の奥から打ち鳴らすように響き渡って、頭を抱えずにいられない。
オークション会場までのルートを見せられないよう、あるいはどんな搬送手段を取られるかがわからないよう、まるで物を運びだすかのように私はその場所まで、目隠しのまま木箱に詰めて運ばれた。寝かせられ、あるいは立てられる向きは確認できたが、箱を開けられて出ることを許されたときには、すでにオークション会場のステージに自分は立たされていた。
そう、私の感覚からはその場所がステージの上であるかなどとは、目隠しのせいではっきりとはわからなかった。だが、すぐに聞こえてきた第一声だけで、自分が競売を必要とする商売の場に立たされたことを知った。
「こちらは今日もっとも訳ありな目玉商品だ! 目玉だけに、目玉は隠していますが、本当に訳ありなのでご容赦ください」
まさに、オークション会場であるという予測そのものだった。
そう。その場での私がどんな扱いであるかなど言うまでもない。
私は、私の存在は商品と化して、人々の品定めに晒されているのだ。
拡声器のような魔法で会場中に響き渡る音が鳴るのを確かめた。
くだらないジョークを交えて連れ出されたときには、ひりつく頬に視線が集まっている気がする。
そう、今の私は「モノ」だ。
しかも頬の印は晒されている。その意味は誰の目にも明らかな、「牝」という言葉で表現する以外にない侮蔑的な存在として、私をここに縛り付けていた。
「元とあるお偉いところのお嬢様だったが、地位も名声も失い奴隷落ち。旦那方の寂しい夜の慰めでも良いですが、その訳ありは旦那方奥方様方の社会的な地位の安泰を約束する可能性があります!」
とあるお偉い方。
目元こそ隠しているが、髪の長さ、髪の色、背丈、体型、何より他の令嬢にはない肩の形状は、良く知る人間であればすぐに察するかもしれない。
(あれってもしかして)
(ベルサーネス公爵令嬢じゃないのか……? いやまさかな)
(庶民落ちが奴隷落ちとか笑えない冗談じゃないのか)
(あのお高くとまった女が顔印なんていい気味だわ)
(ああ可哀そう。可哀そう。でもあんなきれいな顔が焼かれるなんてたまらないわ)
そんな言葉が聞こえてくるかもしれないひそひそとした小声が、視界を封じられた耳に聞こえてくる。聴覚強化をしたら、ステージの拡声器の音で耳をつぶされそうだったのでやめた。
それでも、きっとこの場にいる客の中には、私と社交の場で出会った人がいるかもしれない。そういう人でなければ、私を買った商人の言っていた額を払えるわけがない。
「さあ売主の希望価格は金貨1100枚から!」
「1200!」
「1500!」
顔印もある。目隠しで正体も割れていない。主取りもあると思ったのに、一瞬で買いの声が付いた。
誰かの予測を信じて、だけで買い手を名乗るものが複数現れたりしない。
私を私と確信して、明らかに買った後の特典を思ってのことだと思う。
金額の多寡など関係ない。
あの女神の言う通り、真に「自業自得」であるとするなら、それはけして看過できない。
「2000!」
「2100!」
本来自業自得とは、利己的なことを行った結果に被ったことに対して向けられる言葉。
確かに私は聖女スコラをいたぶった。そのことは弁明するつもりはない。
でもライナルド殿下を奪ったあの女について、このまま見逃すことはできない。
もっとも、国事を曲げて想いを為すようにライナルド殿下を歪めた教会と国王には、どこかで報いを与えなければならない。ライナルド殿下については……
「2300!」
「2400!」
いいえ、ライナルド殿下はいったん考えない。いいえ、考えられなかった。恥ずかしいけれど、彼を吹っ切れていなかった。
生涯をかけようと思った相手のことをそう簡単に念頭から離せるわけがない。
でも殿下は、殿下は私を。
『心も身体も醜いな』
私の生き方そのものを、あの人は否定した。完全に。
ならば、彼が受けるべき罰は然るべきもの。国を顧みず愛を求めた結果がどうなるかがおのずと彼に降りかかると思う。
だから、彼に私が直接手を下す必要はないと思う。
ただ、何をおいても、けして私は見逃してはいけない相手がいる。
「2700!」
「2750!」
痛みは完全に引いたのに、まだ額が痛い気がする。
オーシアは明確に『運命をいじった』と言った。それだけですべてを悟るに十分だった。
それでいて何が自業自得だ。何がざまぁ♪だ。
聖女を仕立てて、殿下を誑かす結果を作ったのもオーシアだ。
私を貶めるに飽き足らず父上の立場まで危うくさせたのもオーシアだ。
恐らくはアンラルト陛下を歪めたのもきっと、あの女神が起因したことだ。
オーシア教の教義をはっきりと知っているわけではないけれど、アンラルト陛下が特に『多くの妾を抱え』『王妃陛下をないがしろにし』『それを教会が追認』しているのは、豊穣という言葉を歪めたことそのものだ。それがライナルド殿下のお心に、決して消えることのない影を深く落とした。
ベルサーネス家がオーシアを除けていたのは、きっと何かを悟ってのことだ。
ましてや、今の私の身分、"性"奴隷がまかり通っていること。その地点で、もう何も言うことはない。
だから絶対に許してはいけない。
父の忠節を。
殿下のお心を。
何より純粋に『慈愛と豊穣』という言葉に、優しい想いを抱いて真摯に尽くす信仰者を。
それらすべてを、オーシアは女神の皮を被って踏みにじっているのだから!
(絶対に忘れない、必ずこの落とし前はつけてやる……糞駄女神、オーシア!)
ただそんな私の誓いとも呪詛ともとれるような心の言葉とは裏腹に。
結局、私は金貨3000枚の価格で買われた。
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