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<5> 底の底に沈みきる

 目を覚ました際、後頭部の痛みに頭を抱えた。


「目ぇ覚ましなさったか、お姫様」

「っ!?」


 いや、正確には抱えようとしたが、できなかった。両腕を拘束され足に鉄球をくくられて、十分な身動きを許されない状態に自分はあった。

 王宮を出た時の庶民服が、罪人か奴隷であることを示すぼろぼろのものに着替えさせられ、靴も脱がされていた。

 幸いなのは、あの人狩りどももこの奴隷商も、最低限の一線を越えていないらしいことを確認できる程度に、体に損傷がないらしいことだった。


「知ってますぜ、いや知らないものはいないと言ったほうが正しいですかな、元王太子の婚約者様よ」

「ここは……」

「卑しきものを売る奴隷商、とでも言っておきましょうか」

「そんなっ」

「おおっと、まだあなたは正式には、商品にはなっていないのですがな」


 周りには同じ境遇の奴隷身分はいない。

 恐らく私の出自的に、何か特別な扱いを行っているのだろう。

 ただまともな明かりもなく、檻のような設備の中で、何か排泄物とも体臭のものとも言い難いむせ返りそうな悪臭が鼻を突いて辛い。


「私がなぜこのような状況かはご存じなの?」

「いいや? 詳しくは知りませんな。だがいつも懇意にしている連中が「公爵令嬢捕まえた」っていうんでまさかと思ったんだが」

「そんな下々まで知られているのですか」


 いや、知られているというわけではなく、あの人狩りが真に「雇われていたこと」の証左だ。

 だが私がそのいきさつについて、知らないふりをするつもりだった。

 あくまでお忍びしていたのに正体がバレた、くらいのつもりで済ませようとした。


「いやはや、本当に令嬢ご本人だったとは。特にベルサーネス公爵といえば、建国王の弟君の直系、国王とその当主は義理の兄弟にも等しい間柄なほどの権限を持たれているお方だ。それを情報通でなければ務まらぬ業種の私が、知らぬとお思いか?」


 だがそんな甘い考えで通じるほど、生ぬるい相手ではなかった。


「もっとも、そんな高貴なお方に粗相があってはならぬので、王宮に確認したところ姫君はすでに「庶民落とし」の刑を受けて、今や姫君ですらないとか?」

「それは……」

「何、私どもは国や教会にお目こぼしを受けて商売を成立させてもらってる身、そう、下手をうって咎められたら、私の身が危ないのでな」

「そ、そうですわ、確かに庶民落としとされる身とは申せ、家のものは健在ですわ、このような場所につないでただで済むと思わないことです」

「ああ?」


 彼が言う通りだ。

 例え刑罰こそ庶民落としといっても、形式的な身分がはく奪されたとはいっても、私がこのような場にいることを知れば、きっと助けに来てくれる。

 来てくれるはず。

 そんな一抹の希望にすがった私のそれを、まるで虚勢であると見破ったかのように奴隷商は私を見下ろすように睨んだ。


「っひゃあっはっはっははは! なんだまだお前、まさか自分が働きかけで解放されるとでも思ってるのか? だいたい、もうおまえはあの公爵家の人間ですらないって聞いたぞ? それで助けに入ろうなどと考えでもしたら、立場が危うくなるのはおまえの家のほうじゃないのか?」

「だったらなぜ」

「上げて落とす。てめえらお貴族様がこんな落ちぶれてしおらしい顔してるのは、最高にすかっとすることじゃねえか! いつもいつも偉そうに、卑しいものを蔑む目で奴隷どころか俺のことも見やがるてめえらを、こうして貶められるなんてな!」

「そんなつもりは、私は」

「てめえも大して変わらねえよ。んで、お前の用途についてあの人狩り連中と打ち合わせてたんだが……お前"性"奴隷以外の使い道ねえんだよな」

「なっっ!?」


 奴隷の使い道という言い方。

 私に慰み者以外の価値がないとはどういうことか。

 淑女教育、王妃教育以外に何も身に着けていないとでも言うつもりなのか。

 いえ、それ以上にそもそも、奴隷に用途を決めるとはどういうことか。


「どういう了見で言っていますの? 奴隷に用途を設定するのは違法なはず」

「さあ? そのことで咎められたことは一度もありゃしませんね? 第一、人狩りが売ってきたお前はこれから奴隷が職業なんだがな?」


 思えば、人狩りというなんの罪もない弱者を奴隷に突き落とす職業自体、治安に反する取り締まるべき相手のはずだ。それが、私を狙うために雇われたのは、王家の権限の元で許されているのか。

 つまりこの男は、人狩りから奴隷候補を買って奴隷に落とし、二度と這い上がれなくする、非道そのもの。

 不認可奴隷商以外の何物でもないはずなのに。

 「お目こぼし」などという言葉を使っていたのは、裏社会における必要悪として、黙認されているからだ。


「何を言って……あなた自分の首を絞めるようなことをしているのがわかっているのですか!」

「ああ? そんな脅しなんか知らねえよ。こちとら、すでに大枚渡してお前を買ってるんだ。いまさら引き下がれねえんだよ」

「大枚……?」

「その元のご身分、その容姿、そして未だ汚されていない体とその教養。金貨千枚でも安い位だな?」


 そのお金、庶民一人の15年以上の給金に相当する。

 平民の金銭感覚をきちんと把握しろと、王妃になる身としての学を修める中で、口酸っぱく教えられたものだった。

 そんな大金が動く裏社会に自分の身が置かれてしまったということを、より強く実感させられるしかない。


「そんな大金……」

「そうさ。もっとも、今から押す奴隷印は、もしかしたら赤字になっちまうかもしれないが、落ちぶれたお偉いさんがもっと落ちるのを見るのはたまらねえんでな」

「それはどういう意味」


 奴隷商の男が、私とのやり取りをしている脇で、何か台のようなものの上で選定した金属片のようなものを、取っ手付きの何かに対して組み立てていた。

 それは、奴隷印として肌に刻むための焼きごてと思われる。

 金属片に見えたのはその印に当たる。印を選定して取り付けて、魔法の輝きのような円を描く粒子状の光が覆うと、それが固着していた。

 彼が、奴隷商を生業とするためだけに身に着けたかのような手際の成果として、その印の象りだけが赤熱していた。

 その赤熱が、私の目元の下あたりに突きつけられる。輻射熱でまだ焼けていないのにやけどしてしまいそう。だがその突きつけの意味を、すぐに思い知らされる。


「これからお前は、一生奴隷として生きる証を刻まれるんだ。そのきれいな顔にな!」

「な、顔に押すなんて、奴隷印は腕か背中か、服で隠れる場所に押す物ではないのですか? ましてや顔は」

「そうだなぁ、特に女の顔に奴隷印なんざ、基本はやらねえらしいけどな……同じ女のお客様方には、そうして落ちぶれたのを見るのがたまらねえ、それを見に来てるだけでもいいって人もいるもんで。お前のように男好きしそうな見た目したやつは特にな?」

「だったら」

「じっとしてろ、でないと余計なやけど跡がついちまうぜ?」

「やめなさい、今すぐに……」


 もう虚勢らしい虚勢もはれない。

 目前に迫った焼き印が、迫りくる熱感の強まるところが、絶望に自分を突き落とすものとして感じられた。

 手足の拘束がまともな身動きを許さない。もがこうとすれば、彼の言う通りに意図しないやけどを被ることになる。


「や、やめ、やめて……嫌……」

「いい顔してんじゃねえか。そのまま、そのまま」

「嫌……いやぁあぁ!! っああああががあああ!!」


 左頬。

 弓をつがえたら、相手にそれを見せる位置に。

 赤熱した焼灼の痛みに顔が捻じれそうだった。

 今まで上げたことのない悲鳴と、交える嗚咽を隠せなかった。


「これで、お前はご主人様に体で尽くすしかない存在に生まれ変わった」

「っぁ、ぁ……あ……」


 痛い。

 焼けついて、頬のひりつきの苦痛が収まらない。

 押し付けられた印を、苦痛にうめく私のことなどかえりみずに奴隷商は確認すると。


「おおっといけねえ、押す印の種類間違えちまった」

「っ!? どういうこと……」

「人狩りに売られてきた奴隷には職業奴隷のきっかけ印を押すのが通例なんだが……犯罪贖罪のきっかけ印になっちまった。まあ、終身刑同然だから対して変わらねえか」

「ぁ……」


 つまり、私は奴隷としての奴隷ではない。服役者としての奴隷にされた。

 きっかけ印とはおそらく奴隷制度におけるルールを指していると思うけれど、彼の言葉尻の意味を把握するだけで、何が起きたかを察するには十分すぎた。


「い、や……いやああああ!!!」

「いい喚きしてるじゃねえか、だがもう逃げられねえよ」


 痛みを紛らわせるつもりの叫びであり、今後受ける苦しみを忘れたい叫びだった。

 私は一生、償いのためだけにしかるべき人に体を捧げ、尊厳を奪われ続けることを定められた。

読んでいただきありがとうございます。

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