<47> 半ばを取り戻す立ち振る舞い
依頼の話を受けて多くを手配した次の日。
エメルーが、孤児院の一角で私の髪を手入れしていた。
私一人ではどうしても難しかった部分の隅々までを、エメルーが癒してくれているようだった。
「リリさん、どうしてこのようになるまで」
「エメルー、さんそれは聞かない約束と何度言ったら」
「いいえ、ファーステスお嬢様はこのような髪のままでいさせたことがありませんので」
「だからといって、ちょ、いた、痛いですっ」
エメルーのことを今の私の立場で接しようとすると途端に機嫌が悪くなった。
それは決して、仲がいいとか悪いとかではなく、ありのままでいられないまま過ごしていることを咎めているんだと思う。
理屈ではわかっても、感情ではその理不尽を認められないのだ、と考えるべきか。
「ここも、ここも、素直に櫛が通らないのは手入れ不足です」
「それはそうかも、ですけど、がしっがしっと櫛をひっかけたら、いっっ!」
「濡らしながらでもこれは、明らかに異常です。どんな風に手入れされてたのですか?」
「それは、張った湯に髪を通すとか、頭皮も薄くまぶした石鹸を使ったりとか、いっっぎ!」
「ここまでひどくなって、それで治ると思ったのですか?」
エメルーの容赦ない櫛入れに、何度も頭皮を千切られかけそうな痛みが走った。
「だからといって、エメルーのこれは、っうう!」
「もう思い切ってバッサリしますか? 無理に長いままにしても、このままじゃありませんか?」
「それは、っく、だめ、髪を落としたらわたくしが、わたくし、んぐっ!! それよりエメルー、優しくやんないと、もっと酷く、なります、っわ!」
「あなたはお嬢様ではなくて孤児院のリリさんですよね?」
「どうして、何か私エメルーにしてましたのっ?」
「してるじゃないですか! どうして、他人行儀なんですか、お嬢様はっ」
不機嫌の極みを髪にぶつけるように櫛を入れていたエメルーが、手を止めて苦痛から解放しつつ訴えた。
そうだ。
赤の他人ではない、そういう接し方であるべきということ。
エメルーの寂しさを、他人行儀でさらに遠ざけるのは明らかに誤りだった。
「そうね……わかったですの、エメルー、なのでなるべく酷くしないで」
「ええ。わかったのなら、いいです。あと私の敬語は今まで通りになります」
「それは」
「孤児院ではまだリリさんでいないといけないでしょうし、そこはわきまえます。でも壁の耳を警戒しすぎてませんか」
親しみの足りなさを寂しかったのだと解釈した。
ただ私の立場はけして油断のできるものではない。孤児院に潜入していることがばれたら大変なのは、刺客を送り込まれるより良くない事象を警戒するからだ。
それでも物分かりを良くしたそぶりをして、エメルーは香油入りの湿潤と修復の効果のある整髪剤を塗り込みながら、私の髪を丹念に整えてくれた。
なお、この整髪剤は時価で金貨10枚する。普段使いはとてもできない代物だった。
「それで、お館様はもう出発されました。およそ10日程度で、オーギュシク伯領都に到着するかと」
「わかりましたわ。エメルー、私もしばらくベイシスを留守にする予定ですの」
「かしこまりました。現地の方もお嬢様の無事を知ればきっとお喜びになるかと」
「そうね」
やり取りは半ばありし日の時を交えた、本当に懐かしみのある時間だった。
洗い清めると、ずっと抱えていた重みが抜け落ちたように心地良さで満ちていた。
風にもたなびく美化がもたらされて、私は感慨深く多くを思い起こした。
「いずれは、エメルーに常にお手入れしてもらえるようになりたい」
「ええ、その日を心待ちにしております」
事を終えたエメルーが、立ち去るのを惜しむようにその場にいた。
「……エメルー?」
「その……どうか、ご無事で」
「ええ、あなたもお元気で」
大げさに聞こえたけれど、私がこれからベイシスを留守にすることを気にしてのことだ。
ぎゅっと私を強く抱きしめるエメルーの想いを、しっかり受け止める。
私は彼女の案ずる心を少しでも安んじることができるよう、これから気をつけなければと決心した。
もっとも、心配性なのはエメルーだけじゃない。
「リリ?」
エメルーを送り出している私のことを目ざとく見つけて、シェレネが声をかけてきていた。
「エメルーさんの用事はおわっ……すご、きれい」
「もともと、ファーステスお嬢様の髪の手入れをされていたので、腕は確かなのです」
「そっかぁ」
「……それ以上何か聞かないのです?」
髪が整った件を評価したところに、あえて振ったネタにシェレネは別段驚く様子も反応を迷う様子もなかった。
「ええ、それなら納得した、ってだけだよ。それ以上何かあるの?」
「いえ、シェレネもノリが良くなりましたね、と」
「もうリリといる時間も短くないよ? 私も事情はわかるよ」
シェレネは、私がファーステスであってファーステスでないことをもうわきまえきってくれていた。
心強くもあり、寂しくもありだけれど、その彼女の機転には今後も甘えるしかない。
「そうですね……そう、シェレネ、私半月から三週間ほど、孤児院を留守にしますわ」
「ええ、だいぶ長くかかるね? 何か、あったの?」
「親族でちょっと大変なことがあったそうなので、それを確認しに」
「大変なこと?」
「はい、そのことでどうしても、要請があったので」
親族はテレシウスで、大変なことはオーギュシク伯家ということに対しての塗りつぶしで嘘を嘘っぽくしないように試みた。
思ったほど声が震えなくて済んだ。
「詳しくはわからないけれど、リリじゃないとだめなんだよね?」
「そうです。なのでシェレネにはしばらく負担をかけてしまうけれど」
「そんな、私は大丈夫。心配しないで。リリ、というより、ファーステス様としてのことだもの」
「ありがとう。心強いです」
気丈にふるまって、なるべく案じさせないように私を送り出そうとしていると思う。
けれど、シェレネの送り出しの言葉が今はどうしても欲しかった。彼女の辛抱にも甘えてしまうのは心苦しくあったけれど、言質無しでは絶対に出発できなかった。
だから、事はなるべく早くに済ませて、まだ無事な姿を見せてあげようと誓った。
シェレネの許しの後には、孤児院の子供たちにも直接留守にすることを伝えた。
小さい子達に寂しがられたりしたけれど、重要な役目をしてくることを丁寧に説いて、なるべく早く帰ることを約束して、理解を得られた。
多くの名残を大切に、私は孤児院を後にした。
そのまま私は、血の約束のアジトに着くと孤児院職員の服を改めて闇の装束に切り替えた。
「ファーステスさん、アジトにこのようなお手紙が入った筒が」
「ありがとう、キャロ」
「いえ、それでは」
その最中に、キャロから筒入りの書簡を受け取った。キャロは書簡を手渡すとまた空に溶け込んで消えて立ち去った。
飛翔体便で目標をテレシウスのいる、ジオブラダの領都付近に設定して飛ばした返事だろうか。
中身を見れば、彼の丁寧な直筆で返答をいただいていた。
「親愛なるファーステスへ
急ぎ、連絡いただいた件、厳しい経済状況で伝えてくれたことに感謝申し上げます。
使いの者の到着の報告感謝いたします。追って、使いの者到着時にその返答を受け取ります。
オーギュシク伯の就任記念式典にはジオブラダ家も呼ばれており、私も参加するために出立するところです。
合流の申し出については問題ありません。無事なファーステスの姿を確認できることは、我らジオブラダ家としても喜ばしい話であります。
つきましては、連絡のあった5日目予定の地での合流でお待ち申し上げます。
どうか、ご無事で旅路を遂げられることをお祈り申し上げます
テレシウス・ノ・ジオブラダ」
届くまでに1日かかっていたけれど、ジオブラダの領都にまだテレシウスがいることの証明だった。
出立に必要な準備を整えていたころのようで、おそらくは今日出るころだろう。
ジオブラダの領都からオーギュシク伯領都までの直接距離は8~9日なので、父上の出立に対して若干の余裕を持てていたということだと思う。
(準備はすべて整いましたわね)
連絡がついた件についての危惧はある。
王家が不穏さに気づいて、テレシウスの独断でジオブラダを危機に瀕しかねない行為になったかもしれない。
それでもなお私に連絡を取ろうと試みて、やっと得ることができたことについて、そういった魔の手からなるべく守らなければならない。
5日目に合流した際にどう擬装するかのプランまで頭の中に思い浮かべながら、私は依頼完遂のための最初の一歩を踏み出すように、ベイシスを離れていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回更新は2026/8/20の21時ごろを予定しています。




