<37> 同じ歩みと違う道筋
オルヴァに冷静さを取り戻させるのに十分なはずである。
「ファー、すてすさ……」
「キュリオル閣下、私は流れ者で孤児院職員のリリです」
「ですが」
「リリです」
それは、精悍な顔立ちのとても見知って馴染んだ大人の男性の在り方そのものだった。私に気づいた、あの時陳情書を渡した守備隊長であるキュリオルにおいても同様だった。
治安部隊の人が売った喧嘩を、どうにもいけすかない相手だからと、買って応じていたのがまるわかりだった。
「わかりました……」
「なるほど、そういうことか」
「ええ、そういうことです」
今拳を振るわれるのを止められているオルヴァも、血の約束所属者であるなら私には無縁ではないと思う。
「もうやらないから、離してくれるか」
「本当ですか」
「本当だ。興ざめした」
オルヴァを止める手を解放すると、彼は私を振り払うようにしてから、引き払ってくれた。
彼は同じく非番な治安部隊の人のもうひとりのほうに帰っていった。
騒ぎが収拾ついたと判断された結果、野次馬に集まっていた人々は自然と散っていった。
彼にはどこかで後で、改めて話を聞くことにしよう。
今はそれよりも、期せずして再会することとなった人のことを、振り返らずにいられなかった。
「リリ、大丈夫?」
「ええ、私はこの通りなんだけど……」
「リリさんのご友人ですか?」
「え? この人って」
人が散ったおかげで、私のところに近づくことのできたセラが、完全に敬意モードのキュリオルを見て不思議がっていた。
「ちょっと訳ありなのです」
「訳あり」
「それは、何か勘違いを招くのでは」
相応の教養に富む、ちょっと言い回しのしっかりした話し方をする彼は、やや冗談めいたやり取りに当惑しているようだった。
「ともあれ、リリさんのご友人におかれてははじめまして。俺はキュリオル・ノ・テレートといいます。ベイシス城の守備隊長を務めております」
「ご、ご丁寧にどうも、リリの友人でセラです……」
キュリオルの自己紹介にセラはつい萎縮した返答をしていた。お店で会う男性ならともかく、街角で会う紳士には彼女も平静でいられないらしい。
「せっかくなので、ご友人と一緒にお食事しませんか?」
「えっ、リリさ……んと、ですか?」
キュリオルはつい様付けしそうになったり、敬語が抜けてなかったりと、どうも堅苦しい。
(堅苦しいですわ閣下、訓練の日の時みたいに振る舞ってくださっていいのに)
(いや、無理です……)
ふたりでささやきの会話ができる程度の距離にいるところ、私は彼の頑なを解くのに失敗した。
少なくともキュリオルのこの態度とあの前振りは、完全に私を把握している。
「お近づきになれるなら良い機会です。ぜひ御一緒させてもらえますか?」
「いえ、ですが」
キュリオルはなおも躊躇う様子でいた。セラが、何か気持ちを切り替えてなのか、先ほどの萎縮を押しのけた口調で私を後押ししていた。
そこは人付き合いの生業のお陰なのか。
そうセラが応じたとき、今度はキュリオルと一緒にいた、おそらくは部下らしい若い男性が彼に耳打ちをしていた。
「む……そうか。うん、わかりました。せっかくなので食事にしましょう」
「ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
お礼をいう私に追随するセラが、どこか営業風を吹かせ始めているように見えたのは、気の所為か。
酒場に、迷惑料を幾分納めたキュリオルが、客として私とセラを席にエスコートした。
「まるで貴族の方みたいです」
「実際貴族の息子ですよ」
「ふぁ……リリさ、ま?」
「キュリオル、リリかリリさんですよね?」
「う」
キュリオルを慌てふためかせている私の様子が可笑しいのか、特に部下の男性が吹き出しそうになっていた。
「っくくく」
「お前後でわかっているな?」
「えぇ、ひどいっすよ隊長っ」
キュリオルにそれを睨まれている様子もまた微笑ましかった。
改めて、キュリオルの身の上を私はセラに伝えるつもりで、食事の席で伝えていく。
「キュリオル閣下は、ベルサーネス公爵家の衛星貴族であるテレート男爵家の妾腹の長男です。家督の継承権はありませんでしたけれど、直接の主のベルサーネス公爵家の領兵として、昇進してこられています。すでに士官か将校か……」
「あなたの無事を伝えた功績で、守備隊全体を任されるようになりました。たださすがにお嬢様に敬語を外すのは無理です」
「お嬢様じゃなくてリリです」
「そんなっ」
「リリです」
半ばからかい気味にキュリオルの畏まりを正すように、今の私を認識させようとした。
「リリ、気持ちはわかるけどキュリオル様困ってない?」
「誰が聞いているかわからない状況で、閣下ほどの人に改まった態度は面倒があるのです」
セラの問いには、私の正体が晒されることの重大さをそれとなく察してもらう。
「それはそうですが……」
「隊長、ずっと気になってたんすけど、この人孤児院の職員さんっすよね? なんでそんな」
キュリオルと非番の食事についてきていた部下の人が、つい疑問に感じて聞いていた。あの日に私の陳情をはねのけようとした門番の人とは関係ない人のようだが。
「……あとで話す」
「ええ?」
「キュリオル閣下の言う通りにしてくださいね?」
「そんなぁ、なんか俺だけ蚊帳の外っすか?」
察して、今詳細を話さないでいてくれているキュリオルには、心の中で感謝した。
それができるというだけでも、割り切り以上に訓練の成果としての擬装をこなせている分安心できる。
ただ、彼の言う通りでもある。
セラは私を知っている。
キュリオルも私であると認識している。
それを察するあたり、彼も、腐ってもここの軍人ではないことを感じさせた。
「ええ? 私も詳しくは知らないけど?」
「そうなんっすか? っと」
「ああ、私はセラ。リリの友達」
「カルバレオっす」
その部下にあたる若さの抜けない男がカルバレオと、セラの名乗りに応えていた。
「でもセラさんってどこかで見たことあるんっすよね、どこだったかな」
「そう? 知っててもあまり詮索してほしくないな?」
「それはまあ……」
「彼女も私みたいに別の顔があるのですよ?」
「う、そう言われると」
セラが、歓楽街の一角にあるお店の、セラフィという娼婦であるというのも、あまり知られるべき話じゃないと思う。
思わず横から彼をたしなめてしまっていた。
「カルバレオ、この街には知られたくない事情を持った人間が数多く流れてきている。お館様の政治がそれだけ豊かさを実現できているからでもあるが、彼らの行き場を確保するのが追い付いていないということでもあるんだ」
「そりゃ確かに、ベイシスの人口ここしばらくの間に急に増えてるっすけど……」
おそらく、データとして確認できる立場からの物言いだと思う。
「キュリオル閣下、私も孤児院の炊き出しで貧民街の方が常に新しい人を迎えているように感じるのですが……そんなに他の領地が不安定なのです?」
「リリさん、そのことなんですが」
と言ったところで、頼んでいた海鮮魚の包み焼きが届けられたので、堪能しながらお話を聞く。
「実はこの冬を越した後に、ロヴァルドが戦役を起こそうとしている話があって、領主によっては税を上げたり特別徴発を課したりしているところがあるんです」
「戦役?」
「ええ、国境付近のエルベス川の領有をめぐって小競り合いがあって」
「エルベス川……リュイミル王国とです?」
「ロヴァルド側はリュイミルが国境以外の場所の水資源を利用すべき、エルベス川の優先権はロヴァルドにあると主張しています。ですが、エルベス川のリュイミル側に住む者にとってそこは故郷です」
「それがきっかけで国際問題ですか……」
リュイミル王国はロヴァルドの大事な隣国、エルベス川はその国境に流れている、両国の南端を走り入り組んだ形の大山脈を源流としている、多くの支流を抱える大きな川である。
「リリ、どういうことなの?」
「水資源の確保を私たちの国の人が大げさにやったので、お隣の国の人ともめているんです」
「どうして? 仲良く分け合えばいいのに」
「お隣のリュイミル王国は湿地が多い水資源の豊富な地域なんですが、私たちのロヴァルド王国は、雨が少ないので使える水資源がおおよそ川の流域に集中してしまうんです。使える水の量が不公平であるから、どうしてもロヴァルド側がわがままをいいたくなるのですね。幸いベイシス付近は大小の河口があるので、水資源には困りにくいのですが、内陸のほうは水の利用に頭を抱えている領主さんばかりですよ」
「そうなの」
「それに……」
そう、リュイミル王国といえば。
「ロヴァルドの現国王、アンラルト陛下の妃であるユエラ様は、リュイミル王国の出身なのです」
あのユエラ王妃をないがしろにしてきたロヴァルド王に対して、積年の想いが募ってしかるべきはずである。
「それが何かまずいの?」
「ユエラ王妃は、形ばかりで王様の愛がないんです」
「それは、良くないよね」
「そう、ただでさえこじれかけているところに、こうして大き目の衝突があったので、国内がリュイミルをわからせるべき、という意見と穏便に和解しよう、とする意見で二つに割れてしまっています」
どうにもキュリオルは敬語で話すのを抜けないけれど、偉くなったおかげで政治情勢についての情報も入るようになっているというのは、とても重要なことだった。
そのため私は、海鮮の味を堪能する感動を表現しているどころの話ではなかった。
「主戦派と非戦派はどなたが」
「主戦派は法衣貴族の代表であるクオラボロ公爵が中心となっていますが、非戦派の代表は……われらの主ベルサーネス公爵です」
その上で、私は込み入った事情が新しい火種につながりかねない予感を、そこに覚えていた。
政治色強い今日この頃。
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