<36> 平らかなるを乱すもの
その日、酒場の前は戦闘につながりかけた空気を漂わせていた。
小さな子たちのお昼寝の面倒を見る当番でない日に、私はセラにお昼をお呼ばれした。
シェレネを連れていくには孤児院の人手が空かないので、私だけ、彼女に応じることになった。
「孤児院の職員服のままではいられませんのに」
「別に気にしないよ?」
アジトにいるときや、メインの仕事をしているときと違い、今日のセラは私と同じように頬を隠すヴェールをつけていた。
彼女の場合は私と違い、今はオフであるということの証だと思う。
不用意に声をかけてくる不届き者を避けるには正しいサインだけれど、真の不届き者がそれを聞き入れてくれるかは、不安なところである。
「こっちではリリって呼ぶほうがいい?」
「お願いしますわ」
お店に向かう道すがら、お互いの話を示し合わせるようにする。
今の私は孤児院の職員のリリ・ヴァルディである。この領主の娘であると割れるのは、あまりにも騒ぎが大きくなりすぎる。何より、イヴェルの手の物の影響が私をかぎつける危険性が高すぎる。
「ベイシスって魚介料理が安くておいしくていいよね」
「セラはこちらの出身ではありませんの?」
「うん。もっと山に近いところの村の生まれって、聞いた」
セラの地理知識が及ばないことについては、特段驚かなかった。
ただどこかで、彼女の学術のフォローは、しなければならないと思う。
それよりも、セラの目的は、そういう海鮮のお店の心当たりをたどってのことだ。
「そうなのですわね」
「そこが、ベイシスから見てどこにあるのか、私にはわからなくて。人狩りにあったらこうなっちゃったからね」
そう、セラはヴェールの下に刻まれているそれを、布越しに示していた。
「人狩り……」
「ファーステスも、人狩りにそうされたの?」
「ええ、わたくしも、対処が間に合いませんでしたわ」
「ファーステスくらいのすごい人でも、だめだったんだ」
「彼らは、何か特別でしたわ」
そう、私が今の身分となった直接の因果が、あの時の人狩りにあった。
もっと気を付けて、避けて通れたかもしれない。でも彼らは、私の想定の上から取り囲んで、意識を刈り取っていた。
いずれは彼らにこの分の落とし前をつけて差し上げなければならないけれど、そこまでになるにはもう少し、時間が必要かもしれない。
あまりにも立場が、がんじがらめ過ぎるけれど、それは目的が目的だから。
セラと込み入ったことは、お店についてから話すつもりで来たのに。
お店の前には人だかりができていた。
「おまえ、わかっているのか?」
「ああ、王家の送り込んだいけ好かないやつらってことくらいな?」
「ふん、だったらおまえ、ここで捕まって連行されても、文句は言えないだろう?」
「何言ってんだ。お前も俺も非番だ。ここにいるのは、ただいがみ合った男二人ってこと。捕まるなら一蓮托生だな?」
誰かが、特権を振りかざすように言い争っていた。
それは、酔った勢いの行為かもしれない。喧嘩でテーブルを荒らさないための配慮から、こうしているのか。
「はっ、お前なんか眼中にねえよ」
「言ったな? ずっとお前ら治安のバカが気に入らなくてな、一発殴らずにいられなかったんだが」
「ほう? じゃあこのまま捕まりてえんだろ?」
人だかりの頭が高くて、誰が言い争っているかわからない。
周囲を見やって、屋根に飛び登れそうな場所を見繕うと、何かの収納箱が屋根に足場替わりになっていそうな様子。
「リリ?」
「ちょっと、見てきますね」
認識阻害を自らに覆ってから、その足場の頑丈さを確かめてから、それを足場に何段階かの跳躍をして屋根に上る。
姿勢を安定させられる位置に身を置いてから、修羅場の現場を望遠視覚すると。
「馬鹿か。てめえらに後れを取るタマじゃねえよ」
「それは、大人しく捕まってから言ってもらおう、かっ!?」
その、非番を名乗ってる集団の代表らしい男二人が、暴力的な要素も含めての争いに発展していた。
片方の拳が空を切った。
続けざまに、姿勢を安定させて大振りにならないコンパクトな直打の拳を幾度か放つそれを、受けている側は容易く回避していた。
実際に争っている二人のそれを見ると、どちらも見覚えがある。むしろ見覚えしかない、という方が正しいか。
一人は治安部隊で、血の約束の側についている男で、私にミカナが仕掛ける前に孤児院を調べていた。状況証拠をたどると、確かオルヴァという名前のものが彼だと思う。
そのオルヴァに拳を振るわれても、余裕で回避しているもう一人の男は、確か私の陳情を送り届けてくれた守備隊長さんだ。
「なんだ、俺を捕まえるんじゃなかったのか? というか、掴みかかるんじゃなくて、殴りかかるのか?」
「う、うるせえっ!」
オルヴァに心得がないわけじゃない。
治安部隊に所属し血の約束とのパイプを繋ぐことを伊達にやってない感じはする。
でも、彼が。
そう、あの時の守備隊長が、喉元に出かかっていた名前のあの人であるなら、分が悪い要素はあると思う。
ただ、そのまま放っておくのは、あまり好ましいとは言えない気がするので、介入しようか。
奴隷落ちして捕まった時と比べたら、体力が戻った。この屋根の高さから直接飛び降りる分には、どうにでもなりそうだった。
「リリ、どこ?」
「セラ、ここにいます」
認識阻害が効いて、セラが私をたどれなくなって、きょろきょろと私を探していた。なので、一度屋根の上に登った時のルートをたどり直して戻り、彼女の傍に降りて、認識阻害がかかったまま彼女の肩に手を置いた。
「いきなりいなくなるんだもの、びっくりした」
「分かりにくくなる魔法を使っているのですわ。今セラ以外に私は『いないもの』として受け取られていると思います」
彼女の耳元で、他の観客に聞こえないように伝える。
安堵したように、セラは私の顔を振り返っていた。
「そんな魔法があるんだ」
「ええ、私が血の約束に入れている理由の一つでもありますわ。それより、ちょっとこのまま争わせていると良くなさそうなので、止めてきますの」
「どういうこと? 誰と誰が争ってるの?」
「治安部隊の人とベイシスの守備隊の人ですわ。どちらが傷ついても面倒しか起きませんの」
「それは、そうだよね」
「さっさと終わらせて、お昼食べますわ。少し、待っていてくださいませ」
私はセラを安心させて、また屋根の上に登るルートをたどって登ったあと、その屋根を伝って乱闘しているところに走っていく。
幸い、まだどちらにも、一撃が入っている様子はなさそう。
「な、なんだ、交わすんじゃねぇ」
「もう息上がってるのか? 治安部隊もぬるいものだな?」
「ふ、ふざけんなっっ!」
どちらも、実際にやり合ってる1対1に対し、その仲間に当たるものが止めに入る様子がない。
おおよそ、彼らの心情を思えば何らかの示しをつけたいところだろうけれど、これを放置しておいていいことがある気がしない。
私はそのまま屋根から飛び降りた。
いつぞやの、イヴェルの館からの飛び降りよりも高さはややあったと思うそれは、今の私にはなんら障りにならなかった。
その結果ちょうど、争いをしているふたりのすぐ間近に降りる結果になり。
「そこまでです」
守備隊長に、いい一撃を入れようと試みるオルヴァの右手首を、私の右手でつかんで止めた。
「っ!? は、はなせっ」
「いいえ、離しません」
張力を引くために膂力を付けた右手は、きっと筋骨が十分なはずのオルヴァの右腕を完全に封じた。
「あなたは……」
「お久しぶりですわ。キュリオル閣下」
ヴェール越しに視線を送って、守備隊長に思い出した名前をぶつけると、彼は私の姿を確かめるなり、目の色を変えていた。
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次回更新は8/1を予定しています。




