<32> 信じて裏切られること
そう、あの糞駄女神が、救いの手を差し伸べるのだろうか? 敬虔な信徒であるはずのカティナがこんなに悩み苦しんでいるのを見ているはずなのに、何の気配もない。
「……教会の命令は、本当だけれど、あなたを殺そうとしたことは、間違いないわ」
カティナの打ち明けは、もはや下がれない自らに気づいた、諦観のようだった。
「コレットを殺して暗殺者を呼んだのも私。暗殺者の呼び方は、ちょっと小耳にはさんだやり方だった」
「儀式の情報の出どころは噂話のようなもの?」
「そう思ってくれてかまわないわ。あの子最後まで、あなたに助けを求めてた」
「……っ!?」
その時の悲痛な、かすれて、とぎれとぎれなコレットの声が聞こえてきそうだった。
「あの孤児院で、私の中で一番気に入らなかったのがコレット。あのこが、あなたや、ブティや、その他何かとにかく助けずにいられないみたいなことして、困らせ続けてきた。そのたびに、イライラして仕方なかったのよ」
「そう……」
傍から見ていて薄々気づいてはいた。院長もシェレネも、コレットの助けたがりはあらあらと言いながら受け入れている様子だったけれど、きっと私に対するカティナの最初にあった怪訝さはそれだった。コレットの持ってきた、多くの面倒ごとのうちの一つだったから。
「そう。コレットが怪我したときあったでしょう? あれは私が痛めつけた。シェレネとうまくいかなくて、あなたのこと気に入らなくて、あの猫だって……」
「そうして……何も罪のないコレットに、まるで弱い者いじめをするように、うっ憤を晴らして、さぞ、気がまぎれたのですわね?」
何か、私の手でカティナにと思い、今できる痛めつけの行為として、彼女の髪を掴んで間近ににらんだ。
「いっ、ぎぃぃ」
「あら失礼。少し、痛めつけずにいられませんでしたわ。これから首が折れて死ぬ人を前に」
「ふ、ふん、こんな、ことしても、気がまぎれるわけ?」
「さあ? ですが、何かせずにいられませんでしたわ」
カティナはもう、顔に巡る血が悪くなって、紫色がにじみ出ている。
「本当、見れば見るほど……王太子様がスコラを選ぶ理由が分かった気がするわ」
「スコラ……」
もうずいぶんと前に聞いたような名前だった。
私の運命を弄び、転落させた、聖女などと謳われてライナルド殿下を惑わした女。
「聖女に選ばれるのわかるわ。あのこ、とても素直でいいこだもの。王太子様もさぞかしお喜びだったわよね」
「カティナ。どういうつもりで言っているのかしら」
「決まっているわ。死ぬ前に少しでも、あなたの心を折ってやりたくて」
それはある程度観念したということを白状しているに等しい。
彼女は、ライナルド殿下を引き合いに、つい私のことを追い込んだつもりでいるときがあるのだけれど、今わの際になってすらそうあろうとするとは。
「婚約破棄がどうだったかは良く知らないけれど、同期のスコラはよく覚えてる。あのことあなたを比べたら、どちらが王太子様にお似合いかは一目瞭然だもの」
「そうですわね。でもなぜ、わたくしの心をそれで折れると?」
「わかりやすいんだもの。王太子様のこととなると、触ってはいけないものに触ったみたいな感じに雰囲気変わったし」
「そう……私が、いつまでも過去のことに引きずられていると?」
「ええ。昔の男いつまで引きずってんのってくらい、滑稽なんだもの」
私の在り方を作った方であるライナルド殿下のことを簡単に切り捨てられるわけがない。
私の人生を預けたいと、想いを寄せたことをなかったことにはできない。
だからといって。
「そうですわね。きっと、あの日ライナルド殿下に捨てられて私は、ファーステス・ノ・ベルサーネスは死んだのですわ」
「その割に、何誇りあるように」
「でもそれは公爵令嬢としての私として。そう、魂を殺してなどいませんわ。今の私が思い描く姿に、王太子殿下が傍らにいない形で作り直そうと、していましたの」
「どういう意味」
いつまでも殿下との関係や思い出に浸っていたら、目的は果たせない。
「彼が私の目的の巻き添えになっても、仕方ないと思っておりますの」
「目的……」
「私、オーシアのことをずっと殺したいと思っておりましたの。たぶんその過程で、彼は無事では済まないと思いますわ」
「なっ、あなた、やっぱり」
「私のことを言えた口ではありませんわよ? カティナ、あなたが頼った暗殺組織、血の約束は」
それに今のカティナはすでに、取り返しのつかないことをしているのだから。
「『苦難と挑戦』のヘルガドの信仰がもたらしたもの。あなたは、邪教と手を組んだ異端者ですわよね?」
「な、なにを根拠に」
「"救われぬものに救いを、呪われしものに安息を、刻まれしものに希望を"」
「っ!?」
私が促すよりも早く、カティナを拘束する剛腕のバレルが彼女の耳元でヘルガドのスローガンを口にした。
「知らなかったで済む問題ではありませんわ。あなたはもう、魂を邪なものに売り渡した、オーシア教団の裏切り者、異端者」
「そん、な、じゃあ教会は最初から私のことを捨てるつもりで……ファーステスを自分の手で殺せない場合の情報源を教えた教会は、私なんかを」
「教会で偉くなれるのは、結局は貴族の子女ということですわ。平民の出のあなたは、聖女になれなかった地点で捨て駒確定だったのでしょうね?」
「嘘……そんなの、嘘……っ、私、いつか戻れるからって」
「身の丈に合わないことをした結果、あなたはコレットをむごたらしく殺した」
結局、琴線に触れてカティナがただで済む未来などない。
この世界線において私とカティナは、決定的にこじれる以外になかったのだ。
「そんな邪教の儀式をしたカティナを、私がここで許しても、教会は異端審問を口実にとてもむごいことをするかもしれませんわね?」
「そんな、オーシア様の教団がそんなこと」
「女を、不本意でも子を産ませて喜んでいる教義がどう転ぶかしら?」
「っっ!?」
オーシアが私を性奴隷扱いして、男の慰み者になれと罵倒していた言葉だ。
敬虔な信仰をしているものにあってそれなのだ。異端に触れたものならなおさら、その罰として、教義を思い出させようとする意図でそう仕向けるに違いなかった。
「もっとも、わたくしはあなたを、そのような可哀そうな目には合わせるつもりはありませんわ」
「な、なに、まって、まってファーステス……さ、ま」
「バレルさん、もういいですわ」
「了解」
話の終わりを、剛腕のバレルに告げて、私は彼女に背を向ける。
「まって、まって、たすけ、たすけ、てぇっ、がっ、あ、が……っ!」
もがいて、助けを求めている声が背後から響いたけれど、すぐにその声は、鈍く折れ曲がる音とともに掻き消えた。
助けて。
助けてと言った。
カティナは。
(だったらなぜ、私に助けを求めたコレットを殺したの……)
私は、亡骸に変わるカティナのことを一切、振り返るつもりはなかった。




