<3> 私の地位は地に消えた
庶民に落ちるような罪ならば、王族との婚約・結婚が可能な根拠を失う。
明らかに彼の後ろに入れ知恵をした何かがいるはずなのに、それを問うことが許されない。
「また、ベルサーネス公爵フアンザースには」
しかも判決を通す殿下の言葉は、私だけに留まることなく続けられた。
「ファーステスをかばいだて、その背信を追認したことを理由とし、『王室顧問と王立議会議長の解任』を命ずる!」
その影響が父上にまで及んだ。
その父上は、不服申し立てなくその裁定を受け止めていた。
けして軽くない、役職解任である。爵位を落とされたり失ったりしないだけ良かった、などということではない。
私が間違わなければ、私が理性を失わなければ、父上は負担を負わなかったはずだから。
判決の行使は、私の心の整理よりも早く行われた。
すぐに会場内を警護する兵が駆けつけて、私の両脇に付いた。
女性の貴人を相手ということからか、その二人もまた女性兵であるのは救いだった。
彼女らは私の両脇を固めるように捕まえると、自由な身動きを封じるように手と肘を極めてきた。
「待ちなさい! 離して! あなたたちの力を借りずともこの場から去れますわ!」
「規則なので」
私の抗議を遮るように、右脇の兵が耳元で囁いた。
父上はともかく、すでに庶民になっている私に、この場を辞するための誇りを選ぶ権利はなかった。
そう。
庶民への降格を言いつけられたのだ。
家の誇りを許される身分ではもうなくなってしまったのだ。
私自身の裏付けが一切、なくなってしまったのだ。
私を引っ立てるこの兵たちの扱いは、今の私に対する分相応なのだ。
周りのものの視線は、完全に冷ややかに私を見ていた。
私が一瞬で落ちぶれたのを、ベルサーネス公爵家の終焉をさも演劇の演目であるかのように観劇する観客のように。
ひそひそとささやき合う言葉の詳細を、やはり聞く気にはなれなかった。
「くっ……」
極められるように拘束された腕がきしむようで、思わず苦悶に声をくぐもらせていた。
向きとして退出口に引きずられると自然に殿下のそばを通るような状態になったため、殿下とその隣の忌まわしき女に対して、視線を向けた。
スコラは恐れおののく目で私を見ていた。私は彼女にとっての恐怖そのものであり、それが取り除かれるまで安心できないといった様子か。
ふつふつと怒りが沸く。
この聖女が現れなかったら。何もかもうまくいくと思ったのに。
「失望したよ。おまえは、心も身体も醜いな」
殿下が不意に、私に吐き捨てるように罵倒した。
言葉の意味を一瞬理解できなかったけれど、今までの彼の、私への態度を思えば、彼としての怨嗟に満ちた言葉としてぶつけてくるのは、当然のことだった。
しかもそれをあえて聞かせるように、私を連行する兵は足どりを緩めていったから、より脳裏に焼き付いてしまう。
婚約が決まって12年、13年か。
人生の大半をかけて、想いを募らせたすべてがそこで、音を立てて崩れていった。
その後のことしばらく、意識があってないような、記憶が抜け落ちたような精神で、私は場違いな存在とばかりに宮廷から連行されていた。
そう。
殿下に、捨てられた。
侮辱された。
私の一切を否定された。
でも、私からすべてを奪い去っただけならまだ、我慢できる。だが父上にまで巻き添えで罰を与えた。
あの場にいるものは全員、誰も抗弁しなかった。父上が苦心をも踏みにじった。
ひいては、それは建国王の弟である私のご先祖様から連綿と続く我がベルサーネスの忠誠と尽力を、あの場にいるすべてのものが否定したに等しい。
このような歪みねじ曲がった考え方をするものを、このまま許しておくことはできない。
できないのに。
私は、殿下の最後の一言にこもった意味を反芻するだけで、ここからどう覆せばいいかの考えが、まったく思い浮かばなかった。
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渡された庶民用の色褪せた服を身に着けるためだけに、私は連行した兵にその部屋へ投げ込まれた。
倒れた私の横には、庶民であるといわんばかりの色褪せた素朴な衣装が投げてよこされた。特に物言わず、これに着替えろと言わんばかりに。
なお着付けが自力で行えない令嬢のためか、あるいは監視のためか、今まで私に仕えてくれたメイドではない別のものがあてがわれていた。きっとお目付けの役割のある王家の使用人だ。
貴族の慎みやたしなみを捨てさせられて、庶民へと身をやつさせんばかりの行為ではあった。その使用人の女性は役割を全うするだけのためだけ、という冷血さでそこにあった。
ドレスに羽織っている貝紫のケープを外す。ライナルド殿下の立太子記念の晴れの日に際し、領都や領民の方々が私のためにと身と心を尽くして染め、織り上げてくれたもの。その製法にかかる負荷と労力は想像を絶し、その制作費用は携わった人全員の年収を足すよりも高いものなのに。私はその真心を無に帰してしまった。
しかもそれは、私の意思ではなく、私を断罪したものの手で剥がされたのだ。
私は、彼らの心に答えるための地位も資格も、失ってしまっていた。
着付けと反対側の方向となる一通りの脱衣のために、役割を当てられていた人が手伝ってくれる。淑女の礼装はいくら練習しても一人で着脱できないから、そこはどうしようもないのが煩わしい。
そうして貴族としての私を、庶民としての私に塗り替えるように衣服を身に着けていく毎に、私は実感として、今までの思い出ある日々を失っていく実感に目頭が熱くなった。
幼き日より、遊具として与えられた弓の形状が本物となり、それを練習することを家訓に沿って当たり前のように実践し、磨きぬいてきた。
同世代の淑女が茶と茶菓子に舌鼓を打ちながら歓談するのを後目に、きしむような肩の痛みが起きるのも茶飯事になりつつも、私は自らを律して鍛錬を続けた。
もちろん子供の遊び盛りにはあまりにも過酷で、何度も何度も、断念したくていたことがあった。
そんな心が折れそうな私の横で、父上自身が鍛錬の弓を引いた。
私の乳母の娘で、私にとって姉同然の専属侍女のエメルーが、常に献身に尽くしてくれた。
でも何より私にとっては。
鍛錬の日々の中、それを観閲し褒めてくださった、ライナルド殿下のお言葉が大きな支えだった。
「さすがファーステスだ。弓を撃つ姿勢、作法。とても美しいです」
「っ! も、もったいないお言葉です、ライナルド殿下……」
特にささやかな想いが芽生え始めていた、両手でまだ年を数えられるころの時にかけてくださったライナルド殿下の言葉が今でも忘れられない。
あの一言があったから私は。
今目の前にある、大鏡に映る、左右の肩の形状が異なるように作られた体となるほどであっても、投げ出さずに鍛えてこれたから。
『失望したよ。おまえは、心も身体も醜いな』
だからあの言葉を思い出すと、背筋が凍り付くような思いだった。
何もかもを捧げるつもりでいた人に、何もかもを奪われた。
鏡を見ることのできる部屋だったことが、まるで追い打ちするかのように殿下の吐き捨てた言葉を思い出させた。
そう、骨格から、筋力まで。幼いころから弓を扱うためだけに洗練してきた結果、弓を扱うために最適化されたアンバランスさをもってそこにあった。
ただ、背中側を広く覆えるほどに長く伸ばせた、自然に波を抱くプラチナブロンドに、琥珀色は時折深き中に黄金を思わせる輝きを讃える瞳に。紅を落としたとはいえ薄く引き締まる唇と、全体のパーツが端正を絵にかいた顔立ち。
鏡に映る自らは、幼いころから今に至るまで、美形の王太子と並び立って恥ずかしくない美貌を褒められた私自身だった。年齢を重ねるごとに豊かに育った胸を含む体型も、品のない男の視線をよく引いた。
それらすべてについて、自画自賛と自分を讃えてしまわずにいられないほど洗練されていた。
殿下は私を見飽きたかもしれないけれど、系譜を重ねて顔立ちに似たものはなくても、髪の色も、瞳の色も同じところに、何か運命めいたものを感じずにいられなかった。私はずっと、殿下に見惚れずにいられなかった。
それなのに。
殿下は私を醜いと。
殿下は私を卑下しぬいたと。
「私の何が、醜いというの……」
私のこの身は、この国を守るために鍛え上げたものであるのに。
私のこの身は、尽くし捧げるべき人のために磨きぬいたものであるのに。
着替えの過程で鏡に映るわが身を確かめて、その一切を否定された言葉が反響し反芻されて、自然と涙がこぼれてならなかった。
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