<29> 反動の狼煙が上がる
なぜ、と問うしかない。
血の約束のアジトから抜け出してはいない。
それなのに、その場所で出会うはずのない人物と巡り合った。
「セラ……? どうしてあなたがここに」
「それはこっちのセリフ。どうしてリリさんがここに?」
「私は、血の約束の刺客を追い払って、たまっていた依頼をこなしたらここに招かれました」
「ええ、リリさん何者……孤児院の職員さんなのに」
無理もないと思う。
セラの知る私は、孤児院務めの一介の女性程度にしか見えないはずだから。
「セラ。その女はリリという名前ではない」
「どういうこと?」
舞い戻ったということは、すなわち血の約束のリーダーもまだそこにいるということだと思うけれど、相変わらず玉座のような尊大な椅子に座ってこちらを見ている。
「ベルサーネス公爵令嬢、ファーステスその人だ」
「あの、リーダーさんできれば私の素性は」
「ファーステス……さま?」
「セラも別にかしこまらなくていいのですわ」
しかも、私の意思に反して、本当の私をセラに伝えてしまう。
暗殺組織のリーダーというのに、暗殺組織に必要な機密意識のかけらがないのは問題でしかないのだけど。
いえ、私は『血の約束』に加入しているわけではない。つまり彼が私に義理立てする理由がないのだ。そう思うと、変に咎めるわけにはいかなかった。
「でも、ファーステス、だと、ご領主様のご令嬢で」
「今はもう、ベルサーネス公爵の令嬢でも、貴族の娘でもありませんわ」
大義名分はあの殿下の裁きがもたらしたものだけれど、私はセラにはけして大それた対象と見てもらいたくなかった。言い訳がましくてもその事情を盾にして、恐れ多さを解きたかった。
「どうして……?」
「どうして、とは」
「どうして、そうなったの?」
「それは」
その理由を問うセラは、とても真剣だった。私のことは深く知らないはずなのに、どうして彼女は、深く踏み入るのだろう?
「婚約を、破棄されましたの」
「婚約を……?」
ただ踏み込まれることは、けして、心地の悪い物でない。ただそう思ったのは、彼女に悪気がないからということではない。
たぶん彼女が、好意のかけらに寄り添おうとするから、だと思う。だから、私は彼女との距離感のおかしさは承知しているのに、強く反発するつもりがなかった。
「破棄する原因になった、オーシアの教会の仕立てた女を痛めつけたことと、この国のためにと思って人選を行ったことが、主な原因ですわ」
なるべく難しくないように、私の本心としてのまま伝えた。
「どうしてそれで落とされてしまうの?」
「この国で主に信仰されているオーシアの教会が、『聖女』と認定したものへの暴力は通常のものより重くなりますの。人選は、お貴族様の力関係がおかしくなると面倒になりますから」
「それは、重罪なの?」
「ええ。死を与えられなかっただけ恩情があったと思うべきですわ」
なおも問われたセラからの質問に、なるべく彼女がわかるように砕いて説明した。
「貴族は難しい……けど、ファーステス、は、良かれと思ってやったの?」
「それは」
スコラをいたぶったのはけしていいとは言えないけれど、ライナルド殿下の判断を誤らせたことを諫めたくて必死だった。
あの推薦の一連の流れも、パワーバランスを考えれば不用意かもしれない。けれど、国が良くなるためには絶対に大切なことだと、今でも思っている。
「良かれと思ったことですわ」
「なら、庶民になっても誇っていい、んじゃないかな……だめかな?」
「そうですわね」
多くを再確認して返答する私に、意見を言うセラはだいぶ萎縮していた。
どうしても、私をベルサーネス公爵令嬢として認識してしまうようだった。
「セラ、あなたに応えて改めて、自分が間違っていなかったと確信できましたわ」
「それなら、よかった」
「ただ、本当に庶民のままであれば良かったのですけれど……」
だからそんなセラや、あるいはヘルガドに引き合わせてくれた血の約束のリーダーや、この場所にきっかけを作ってくれたミカナが、それとなく様子を見に来たのを確かめて。
私は顔を覆うヴェールを外した。
そうするべきではない、とは微塵にも思わない。今は、これを明かすべきときだったから。
その左頬に刻まれた、奴隷の呪いにセラは息を飲んだ。
「それ……」
「ええ。贖罪の性奴隷印ですわ」
「ほう……」
リーダーは新しく知ったと言わんばかりの好奇で私の印を見ていた。
セラは、しばらく言葉を失った口をおさえていると、すぐにほろほろと泣き出していた。
「セラ?」
「その、印……じゃあファーステス、も」
「も、とは」
「だってその印を刻まれた人、っぅ」
「どうしてそんなに、あなたが悲しむのです?」
「ううん……それを刻まれたこ、みんなひどいことをされてて、私も思い出したくないことたくさんされたから、だから……」
想像に難くない印だった。
セラの頬にあるのは、少し形が違うけれど、性の尊厳を奪う以外の何物でもない、私と同じ意味を持つ印だ。
きっとそれで、優しい涙を流してくれたのだ。
「ファーステスはひどいことされてないの? 大丈夫なの?」
「ええ、私はそうなる前に脱出しましたの。私を買った男は王都で貴族を金融で揺すっていた商人でしたけれど、父上に脅しが効かないとわかったらきっと、セラの思うような八つ当たりを、わたくしに差し向けましたでしょうね……なのでその前に」
「そんなに簡単に逃げられるの? どうして?」
「どうしてと言われましても……そうですわね、わたくしがここに呼ばれたのは、それができたから、では足りません?」
「あ……ううん、納得できた」
「なら良かったですわ。ありがとうセラ。あなたは、優しい人ね」
「うん……ぐす、っぅ、うぁぁぁぁ!」
しっかりとした言葉で、私はセラにお礼を返した。
それでもなおセラは号泣しだしたので、どれほど彼女が過酷さに苦労したかを思い起こして、何度もセラの傍でお礼を言って気持ちに応えた。
「それで、話はついたのか?」
「ええ。話がついたとはおかしな話ですわね」
「いや、ヘルガド様と出会った件について、確認したかったのだ。再会に水を差すわけにはいかないだろう?」
「ええ。いろいろと有意義なお話ができましたわ」
セラとのやり取りの一段落を見てから、リーダーが要件を割り入れた。
その有意義とは、セラのことと、ヘルガドのことの両方を意味する言葉になっていた。
「そうか……いや、ここにおまえが来てからずっと、会わせろ会わせろとうるさくてな」
「それはきっと、頭が痛かったですわね?」
「茶化すな」
ヘルガドの食い入るような話し方を思えば、滑稽さが思い浮かんで、思い出し笑いしてしまいそうだった。
「それよりリーダーさん、私を殺す依頼は、繰り返されますの?」
「いや、ミカナがしくじった以上こちらにはお前を殺せる手駒がもうない」
「む……」
気が付くと、ミカナが私たちのすぐそばに来ていた。
不機嫌な息遣いが、すぐ隣で聞こえた。
「ファーステス、セラと知り合いどころじゃなかったの?」
「気が付いたらですわね?」
「ぐすっ、ぐすっ……」
セラも少しずつ落ち着いてきている様子だったので、いったん案じなくても良さそうだった。
「それに、あの面倒だったダルグダの依頼をこなし、葬ってくれた以上、貸しのあるお前をこれ以上狙うわけにいかないからな」
「そう……では、『反動』という形を取りますの?」
「なぜそれを知っている?」
「ヘルガドに別れ際に聞きましたわ」
それによりふたつ、私は言質を得た。
ひとつは私はもう狙われないこと。
そしてもうひとつは、私の代わりに私を殺す依頼をした人間に、『反動』という名の持つ意味を形に変えるということ。
「ならば話は早い。その『反動』については、もうひとり別の物を組織から出す」
「私がやっても」
「ミカナには別の依頼を予定している。この『反動』の人選はこの仕組みの箱によるものだ」
「ぶぅ」
「まあ腐るな。いい舞台を準備しているから、しっかり仕事してこい」
「わかった」
不満を垂らすミカナをなだめているリーダーだったが、彼女は上司と部下という割に、リーダーに物怖じせず接している様子だった。
「リーダー、そろそろファーステス帰る時間」
「いや引き留めたのは俺じゃなくヘルガド様が」
「そうだね。シェリーは怒ると怖いし」
「それは……わかりますわ」
和ましい時間であった。
セラに会い、ミカナと掛け合い、ここのリーダーとやり取りする。
「リーダーさん、『反動』の実行の日は、決めておりますの?」
「具体的には定めていないが、準備期間がいる」
「では、10日ほどでできます?」
「十分すぎるな」
「では、よろしくお願いしますわ」
『反動』の予定についてを手短に示し合わせて、その尊い時間を終わらせる。
それは、けして軽く済む話ではないと思う。
でも、絶対に実行しなければいけない。
コレットの将来をむごたらしく奪ったことの報いは、絶対に受けてもらわなければならないから。
「りーりーさーん? 遅いよー? みんな心配したんだからね?」
「あ、あははは……」
なお、夕食に近くなるほどに帰ったことから、シェレネが不機嫌に、かつ私を案じて問い詰めて来たのは言うまでもなかったのだけど……
コレットの件もあるし、時間に戻らないでいるのはいろいろトラウマになりそうなので、門限は守るように気を付けることにした。
いよいよ2章も大詰めです。
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