<21> 大切な物が崩れる
弓を射る練習、その場に向かうための走り込み、やや本番のつもりで挑む野生動物の狩猟。
私個人の取り戻した普段は普段通りであるのに。
新たに得た普段が普段通りを失っていた。
今まで何ということのなかった、それとなくうまくやっていたシェレネとカティナ。虎の尾を踏んだ、という表現が合うかはわからないけれど、弓の弦を張る時も、練習から戻って狩果を見せていた時も。シェレネもカティナも、私には普段の反応をしていた。けれど、数日前に偉い人が来た後くらいから、やや距離感が変わったようだった。
エリート街道をひた走った結果が、『田舎より小さな教会への派遣』で不遇を感じていたカティナと、その『小さな教会が故郷で、多くの思い出を大切にしていた』シェレネ。
カティナはシェレネと仲違いしたくなさそうで、不本意でも折れた様子で私との間柄、シェレネのいるこの教会を受け入れようとしていた。
カティナがあの後、いつもの強気姿勢がどこか崩れてよそよそしくなった感じがしたものの、それ以外はいつも通り進んでいるようだった。相変わらず私はなかなかうまく野菜の皮むきも切りそろえも上手くいかなくて、子供たちに不評を買っていたけれど、それは新鮮なジビエでフォローした。その日に孤児院で消化しきれなさそうな分量は肉屋でお金にしたし、皮革も同様とした。
私個人で必要なお金はせいぜい狩猟用と練習用の矢の買い足し程度だったので、最低限を除いて教会に寄付した。
そんな、何気なく過ごす日々は、夏の暑さを迎えるかもころ、およそ孤児院勤めを始めて月をひとつふたつ跨ぐ頃を得たときに変わった。
ただ、その年は思ったよりも夏の訪れが遅いのでは、と感じるような、不自然な朝の冷え込みがあったりしたのだけれど。
まずネズミの発生に悩まされた。
孤児院の壁裏を走る彼らは、時折私たちの目の届かないところで食べ物の蓄えに手を出し、野菜や果物に噛み跡を残した。
見過ごせないので、その一掃作戦を検討する。
まず素手の掴み。生命感知でその軌跡を丁寧にたどって追い立て、もし目視で発見できたら焦らず息をひそめ、認識阻害、消音、消臭、迷彩のフルセットでその背後から忍び寄って、その身を手づかみした。顎の下に指を通して噛みつきの反撃を封じ、拘束にもがいているその薄汚い灰被りな色のネズミを見る。痩せ気味でも思った以上に大きかった。
「おおお!?」
「すごい!」
「ネズミだー」
捕まえて見せたら子供たちが賑わってた。
捕獲した生きたネズミは適切な皮袋に一匹ずつ詰める。生け捕りだとなんと雑貨屋に売れるのだから不思議なもの。それでも銅貨2〜3枚程度ではあるけど、どうやらそれを餌にする動物を飼ってる人に随分需要があるらしい。
ただやはり、私がずっと張ってネズミを捕まえるのには限界があった。私だけ気配を消しても仕方ないくらいに、孤児院は人の気配が多い。もっと労力を減らして、楽になる方法はないだろうかと模索する。
「ふぁーす……リリ、ネズミ対策にネズミ殺し買って……」
「リリさーん、このこ捨てられてて可哀想だから拾ったの」
その代替案の提示は、ネズミを売って戻ってきた私の目の前に、同時に訪れた。
前者はカティナ、後者はコレットのもの。
私が決断する権限を持つわけではないはずだけど、これはもう即決だった。
ネズミ殺しは孤児院のような『小さな子がいる場所』では危険すぎるので却下した。大人だけとか、そこそこ大きな子供だけならともかく、まだハイハイしたり、とてとてと歩き出したり、それくらいの子供が不意に毒団子を見つけて興味津々に口に入れようものなら取り返しのつかないことになる。
その点で猫なら、子供たちにきちんとお世話させることや、構いすぎないことなどを躾けてあげれば、遊び半分にネズミを弄んで仕留めてくれる。
そう。実家の城が厨房で、ネズミに悩んだときには、やはり猫が役に立った。
有力な猫の気配があると知ったネズミは、その建物には一切近づかなくなったから。
「すみませんねカティナ、せっかくの申し出なのに」
「い、いえ。私がちょっと、配慮不足だったから」
「あとコレット。そんな風に抱きかかえてると猫は辛いのです。お尻のあたりを支えて、こうもって上げるの」
後ろから前足のところだけ支えるような抱き方をしていたコレットに対し、私は安定を取れる抱き方をお手本してみせた。白黒のぶちな、体格的に成猫のそのこを、前足で私の肩を支えになるように寄せてやった。私の掌には、ガレた肋骨を触れていた。オスのようだったので、おそらくは喧嘩に負けて動くに動けなかったのかもしれない。
「リリさん猫の飼い方知ってるの?」
「ええ。実家で何匹か飼ってましたし」
「へぇぇ、ね、私も抱きたい」
「ええ、どうぞ」
コレットにその子を預け直すと、見せた通りの抱き方をやろうと試みるも、力と体格で少し大変そうだった。
それでも、彼女の腕の中になじんでいた。疲労からか眠気からか、あまりのたうつ様子もない。ロゼリアやミリナがコレットに寄り添って、力ないその猫を休ませるための毛布や籠を手際よく準備していた。
猫にお株を奪われた様子で、取り残されていたようなカティナだった。でもネズミ殺しを使うリスクに気づけなかったのは、カティナらしくない感じがした。彼女は確かに、孤児院のお世話に入ることは十分ではない部分はあるけれど、まったく関わらなかったわけではない。だから、本当に小さい子の危うさくらいは気づくはずだったのに。
カティナに視線をやると、どこか気まずそうに彼女が視線を外し、教会の方に走って行ってしまった。途中でシェレネとすれ違うが、一瞥すらしなかった。
猫が体力回復の眠りについているのを、子供たちもシェレネも案じて見ていた。
「起こさないように、静かにしていてくださいね?」
と私が小声で呼びかけると、みんなその通りにするようにうなずいて従ってくれた。
「撫でていい?」
「少しだけ、静かに。 嫌がったらやめるのですよ」
「はぁい」
片手で数えられるくらいの年の女の子の質問にこたえると、そのこは目を輝かせて他数名とともにそこに残って群がっていた。
今日の夕食当番はカティナだったはず。それが出来上がるまでの余暇時間を、なるべく有意義に過ごそうとシェレネと示し合わせた。小さい子の面倒はシェレネに預けて、私は大きい子のほうの勉強などを見てあげることにした。
そう、初対面の時の失礼があったプレスマーは、強くなってみんなを守る、という意欲にあふれていたので、剣術の稽古をつけてあげた。私も、「本物」にはかなわなくても、子供の剣術に後れを取るようなことはない。適度にあしらいながら、彼の癖などを確かめて助言していく。
プレスマーは少し力んで打ち込むところがあったので、振り上げてから振り下ろすまでのリラックスをやって見せるなどした。資質はともかく、気持ちが前向きだからその点を丁寧に伸ばしてあげよう。
「リリせんせー、剣強い……弓だけかと思ったのに」
「ロゼリアは筋がいいと思うから、とても強くなりますわ」
「ますわ……?」
「う……ふふ、強くなれますよ?」
「ふーん?」
ロゼリアは私の弓を張った時にあった体力不足を感じてか、こうして体を動かすことに積極的に参加していた。当然、この件の稽古にも。
ちょっと口をすべらせてしまったので、その点は甘く見てもらえれば助かるのだけれど。
コレットとミリナ、それにアラディは、視界のあるところで魔法を鍛える精神訓練を続けていた。
そうして健やかに体を動かしてお腹を空かせたので、カティナの料理もきっとおいしいと思う。
そう思って私は、配膳を手伝おうとしたのだけど。
「い、いいよ、今日は私の当番なんだから」
同じように願い出ていたロゼリアの申し出も、同様にカティナは断っていた。
その声色がどこか震えていて、いつものカティナらしい張りのある堂々とした響きがない。
気にはなっても、それをあえて問い直すことができなかったのは、すぐ後にびりびりと感じる悪い予感に対する後悔になった。
私の席に置くカティナの手が、声のように震えていた。お礼を言うと、大げさに応えるかのようにうなずいていた。
その、カティナの挙動不審ですぐに察する。
「では、オーシア様に恵みある食事をいただくことへのお祈りを捧げましょう」
そうして、院長の宣言で捧げる祈りを、私は心の中で呪詛と変えるいつもの食卓に望んだ。大急ぎでかきこむように食べてる男の子たちをよそに、私は木皿によそわれたスープ煮をスプーンですくって口に運んだ。
匂いらしい匂いはない。
でも舌に違和感がある。嗅覚強化をかけると、ありとあらゆる味が舌を丸め込んでくるけれど、それ以上に普段は口に含むことすらない金属のような味が、舌先を刺し貫いてきた。
これ……口に含むことすらいけないものじゃ……
味の強さを思うに、あまりにも量が多い。下手をすると一口でも持っていかれるくらい。感じる味を強めなかったら、このひとすくいを呑み込んだだけで中毒にかかり、皿を平らげる前に胃を口からひっくり返そうとするのがかなわないまま、死ぬところだった。
でも、考えるのは後。
口に含んだ分は喉を通さず、喉を通したようなそぶりだけ動かしてみせて。
私は肩を震わせ悶えるようなそぶりを見せて、スプーンを取り落とした。
「……リリ?」
「リリさん!?」
シェレネとカティナが私の異変を知って、それぞれで声をかけてくれる。
特にカティナは、私がそれを口に含むところの一部始終までを確かめるように目で追っていた。
その観察を働かせられる状況じゃないと見せかけるつもりで私は、椅子から転げて、胃の中身を徹底して吐き出そうとするように、腹の底からの吐瀉を口から導こうとうめいた。
できるだけ、体に入れないように努めたつもりだけれど、本当に気持ちが悪かった。
できるかぎり取り込むのは避けられたと思うのに、胃が言うことを聞いてくれなさそうだった。
シェレネが背をさすってくれていて、院長が子供たちの不安を除こうとしてくれている。
「うぇぇ、だ、大丈夫、心配しないで、っ、その、うっ、っ、その、多分これネズミ殺しの」
「どういうこと?」
「と、同じ毒はいて、っぐ、はいってて……はぁ、はぁ、っぐぇ」
言葉を紡ぐと胃が持ち上がろうとしてる。でも最初に口に含んだもの以外は何も出てこようとしない。
「解毒、っ……アルサ・オキサの解毒魔法、わかる……? っぅぅぅ……」
アルサ・オキサ。味らしい味のしない、でも濃く溶かしたらかすかに金属の味のする猛毒。
なるべく体に入れない、あくまでふりのつもりなのに、明らかに私はそれに毒されているような気がしていた。
私の問いに、シェレネも院長も首を横に振った。
なのでカティナに視線を送ると。
カティナはしばらく逡巡していたがすぐに、意を決して表情を厳かにした。
「私知ってる。だからすぐ助けるよリリ……」
「うん。っぐ、お願い」
カティナの解毒魔法が巡り出すと、さっきまでの体の中の危うさが嘘のように楽になる。
降り注がれたその緑色の光が体中を覆って吸い込まれ、私の体の中のそれは消えていった。
なお他の子供やシェレネに症状が出なかったので、無差別ではなく、選択的に私の皿にだけ大量の毒が入り込んだ様子だった。
本件、やもすると私が死んでいた可能性もあったということで、いざ治安部隊の人にかかったものの『誤ってネズミ殺しをぶちまけた』という事故として処理された。もっとも、そういった形になるまでの間、ことが事だけに治安部隊の詰所に私、カティナ、シェレネの3人が任意同行で連れていかれて何時間も尋問された。特に私は被害者として、心当たりを根掘り葉掘り聞かされた。そう、被害者だったから、幸い私は顔の傷を隠すヴェールを剥がされなかった。
毒入りだと事前に跳ねのけることもできたかもしれない。でもそれは、判断としてあっていただろうか。
その後、治安部隊の詰所から解放された感覚に、みな思い思いに伸びをしていた。
「これで、良かったのかしら……」
「そう、だよ、たぶん」
カティナがその裁定の結果に不安を隠しきれず、それを受けたシェレネが気の利いた言葉をかけることもできず、とても微妙な空気を抱えた状態で出てくる中。
私は詰所の入り口付近にある、とある手配書から目が離せなかった。
"百面相の「ミリアナ」"
"暗殺者集団「血の約束」リーダー"
"賞金、白金貨30枚(金貨10000枚)"
私が奴隷として買われた額の3倍以上の価格は、つまり公爵令嬢以上に政治的な価値があるという証として、彼女の人相書きと共にそこにあった。




