<20> 不穏な気づきは取り返しがつかない
初めて経験した炊き出しは、以後必要とするかもしれないことを私にもたらしてくれた。
さんざん、カティナが否定していたことは、かえってオーシアへの対抗策と目論んでいいものに見えてしまう。
まだ片手で数えるくらいの子供のお昼寝に付き合いながら、抱きかかえたまだ乳飲み子くらいの年の子を静かに揺すって眠りに落としていた。
「寝かしつけうまいね、リリさん」
「シェレネさん」
皆がお昼寝に落ちているのを目の当たりにして、私も眠りかけていたのを、小声でシェレネがささやいて呼び戻してくれた。
特に小さな子には大事な時間であるので、孤児院の誰かがそれを手掛けなければならないわけで。
「消音と消臭と、認識阻害を応用してなるべく眠る以外の情報を遮断してみたんです」
「なるほどそういう……」
「私、子供たちからはとても怖いと思うので」
「そうかなぁ? みんなリリさんのこと、大好きよ」
「えぇ?」
シェレネの言うことが信じられない。
躾けのなっていない子供に躾けるように接している気しかしていないのに。
「辛抱強くいろいろと接してくれるし、遊びに親身に付き合ってくれるし、お勉強も」
「それはその、放っておけなくて」
「たぶんリリさん、距離の取り方がうまいんじゃないかな」
距離の取り方。
みんな孤児院という環境のことをわかっているから、我がまま貴族の坊ちゃんみたいな駄々こねをしている様子は見たことがない分、手がかからないとは思う。
貴族の坊ちゃんとか、手がかかるかからないといったことに関連する話で思い出す。
私は、まだ婚約者であるライナルド殿下と共にあった際、彼の半きょうだいである妾の庶子のこたちの面倒をみていた。
それこそ、彼らには複雑な心境であるライナルド殿下に、「子供には罪はありませんわよ」と、私が分け隔てなく接してみせた。孤児院の子らに比べるとやや手がかかったところもある。けれど、ライナルド殿下がいい兄として彼らと接するようになってくれた。
少し、感慨深いものがあった。
「でも、優しいシェレネお姉さんにはまだまだ」
「それは、私はみんなと付き合い長いお姉さんだから」
「シェレネさんはここの孤児院育ちだったのですよね」
「そういうこと」
改めてシェレネの経歴を振り返る。
つまりいいお姉さんなシェレネは、自己犠牲的に花街勤めを。
振り返っていろいろと申し訳なさが募る。
「いいお姉さんなのですね……」
「リリさん、すごく意味深に聞こえるような」
「そう、リリでいいですよ、シェレネ。カティナは許可しないのに呼び捨てでしたが」
深く問い詰められる前に話題を変えるのに成功した。
「じゃあ、リリって呼ぶね。そのカティナさんだけど、不慣れな人に飛びかかりそうな猫がしゃーっ、しゃーってしてるみたいだったよ。リリを最初に見た時」
「それは、別のお尋ね者に似た容姿だったから。最近は爪剥き出しで引っ掻いたり噛み付いたりなんかはしなさそうですが」
「ごろにゃんはまだ先かなぁ?」
「そうなると楽なんですけどね」
当のカティナに対するシェレネは、温和で人当たりの良さがとても心地よい。少し朴訥な気がするのは気をつけて貰えればと思うのだけれど。
「ところで、カティナは今どこに?」
「王都の中央教会の偉い人に対応中」
「シェレネや院長は立ち会わないのです?」
「追い出されたの。人払いお願いされて」
「人払い? そんな露骨なこと」
「露骨?」
「何か良くないことを打ち合わせていると思いますが?」
「えぇ……」
きな臭さしかない。
教会の偉い人、というあたりで。
確かにカティナは王都の中央教会とのつてのある経歴ではある。王都にほぼ隣接したベイシスの、孤児院接続の小さな教会となると、たぶんエリートコースのカティナは地方研修か、左遷か。
「リリ、難しい顔」
「そんなに悩んでました?」
「うん。子供たちが泣くよ?」
「それは勘弁してほしいです……」
事情を考え込んだ結果で子供を心配させてはいけない。
眠りが浅くなりかけてる抱いた子の上で優しく拍を刻むように
掌を弾ませた。
昼下がりも日が傾いて徐々に夕方が顔を覗かせるころ。
小さな子のお世話をしたりしなかったりしているうちに、中央教会の偉い人が帰る運びとなった。特に縛り付けておく要件もなかったというのに、だいぶ長い時間その偉い人はカティナと話し込んでいたらしい。
邪推は控えるべきではあるけれど、カティナがどういったやり取りをかわしたかはそれとなく知っておきたい。
「それではの」
「帰りの道中お気をつけて」
私とシェレネはカティナの横に並んで、その方を送り出す。階位というか? は司教だったか、もっと上だったか。
初老の男性で、髪を剃り落とした頭の上に教団固有の帽子をつけた、いかにも教会内地位の高そうな人だった。
「シェレネさんもリリさんもお元気で」
「はい」
「ありがとうございます」
私もシェレネも、かけられた配慮に感謝の社交辞令を返すと、彼は馬車に乗りこんで、孤児院から足取り良く去っていった。
残された私たちは、また改めて自分の持ち場に戻ろうとしたのだけれど。
「さてファーステス様」
「えっ、あ……あっ!?」
「やはり」
不意にカティナが私の本名で呼びかける声に、無意識に反応してしまった。無反応であればいいのに、こびりついた自身の名前というのはなかなか隠しきれない。
あの奴隷として軟禁されかけた屋敷の執事の呼び止めに続いて二度目だ。失敗から学ばないのかという自戒の念は、不意打ちにはなんの意味も持たなかった。
私の正体に対するカマかけで、カティナは得意げな笑みを浮かべていた。
「カティナさん?」
「見たとおりよシェレネ。この人は流浪の旅人なんかじゃない。ここの領主の娘、ファーステス・ノ・ベルサーネス元公爵令嬢よ。もっとも、今のあなたはもう平民なんだしファーステスでいいわよね?」
「そうです、ね……」
でも、何をきっかけで。
カティナは私のことを疑う目で見ている様子だったけれど、うまく取り繕っていたつもりだった。それなのに、彼女にしてやられたかのように私は、自ら墓穴を掘っていた。
「まあ、なんとなく分かってたわよ。領主に取り持てたとか、その侍女だかがやたらとうれしそうにファーステスなリリを見てたとか。あの強弓扱ってるのも納得できる話だわ。よくもまあ潜り込んだものよね」
現場を見られないから、疑いはあったけれど確信を持てなかったということ。だから私をあばいたことになる。
「それよりなぜ私の身の上をはっきりさせようとしたのです?」
「そんなの、はっきりさせておかなきゃいざという時話し合わせられないでしょう?」
「それはそうですけどね。ところで、あの偉い人は関係あります?」
「少しは関係あるわよ。でも寄付のこととか上納金のこととか、金のことしか目にないのよね。あとシェレネのことも」
「私?」
「あのオヤジ、シェレネのこと品のない目で見てたわ」
「えぇぇ……」
シェレネの辟易には同情しかない。
あの子供たちと引き合いに出された日に、子供たち目線でもシェレネがそういう風に見られそうな資質があるのはわかっていた。なので次に出てくる言葉はたぶん私のこと。
「でもなぜか、似たくらいに男好きする体のあなたには、そういう目では見なかったのよね。何か訳ありかと思えば、ファーステスだったなら納得よね」
「私顔隠しているし、教会の人間に知り合いはほとんどいませんけど?」
「知り合い居なくても目をつけられてたんでしょう? というか王太子様の元婚約者だったわけだし」
「……カティナ」
ライナルド殿下のことに触れられた途端に、胸の奥を刺す棘がまばらに張り付いてくる。
いろいろと思い出したくないことが思い出される。
あのスコラを溺愛する様子を見せ、私の今までの一切を「醜い」と否定されたあの晩のこと。
「子供たちにだいぶ懐かれてるし、私より仲良さそうで、特にあの『助けたがり』のコレットと仲良さそうじゃない? 何が目的なの?」
「カティナ、それを話したら、あなたがここに来た経緯も教えてくれます?」
ただ、その思い出すことが苦痛な晩のことを蒸し返されるよりも前に提示されたカティナの条件に、いつまでも感傷に浸る暇はなかった。
中央教会の偉い人間がカティナを訪ねた後の、このやり取りを考えると、下手な返答はできない。
もっとも、大義名分はすでにあるのでいまさらなのだと思うけれど。
「いいわよ。ただし、オーシア様の導き以外の返答にしなさいよね」
「ええ。何もかも失った上で、路頭に迷っていた私を救ってくれた、コレットや院長先生への恩返しです」
「そ、そう」
毅然と、すぐに今言える真意を伝えた。
なんの嘘偽りもない。オーシアはあくまで「赦し」で、これこそが本当の理由だ。
「カティナ、まさか取り乱して、取り繕った答えでぼろを出す私のことを考えていましたか?」
「何を言ってるの、そんなわけないでしょう!」
「そういうことにしておきましょう。ではカティナ、あなたの番ですよ」
「うっっ」
不用意に私の正体を暴いたのだ。また、私にあのライナルド殿下からの言葉と、婚約破棄となったことの屈辱を思い出させたのだ。
心ここにあらず、なままでいる私を作り出し、それを追い込もうとしたカティナには、相応の代償を支払ってもらわなければ。
そう、あの奴隷として囚われた時の執事相手の時と比べて今の私には、弱みがない。
「私、元々中央教会から聖職者見習いになったの。いろいろと順調で、勉強もオーシア様への祈りの深みも増して、助司祭に昇進できた。王都の然るべき教会をどこか任せてもらえるようになるのかと思えば、あのベルサーネス公爵領の教会行きなのよ。実際来てみれば、王都のどの教会よりもこじんまりとして寂れてて、片田舎にでも左遷された気分だったわ」
つまり、エリート街道進んでいたはずなのに、街の規模に対して形ばかりオーシア教会を置いているだけのような領都への派遣が、左遷のように。
推測通りの話だった。
「それは少し違うんじゃないでしょうか? あなたが優秀だからこそ、任せてもらったという風には考えないのです?」
「無理よ、ここが『無能の墓場』扱いされてるの、ベルサーネス公爵令嬢にはわからないでしょうね。ラーナフェル様はともかくとして、ここのオーシア様の教会は同じ「優しさの三女神」で格下のはずのチアーナ様やメルシープ様よりもひどいんだもの」
前に聞いた主神のラーナフェルの他に出てきた二柱、「激励と活力の女神」チアーナと、「安らぎと眠りの女神」メルシープを引き合いに出すあたりが、神学に生きてきたカティナらしいことがうかがえる。出会い方が誤りなければきっといい友人になれたかもしれないのに。
「絶対また返り咲いてやるの。いつまでもこんな場所で燻ってなんて」
「カティナさんひどい、私の生まれ育った場所そんなに悪いところ?」
「シェレネ!?」
ただ、カティナは言葉にするうちにだんだんと感情が前のめりになっていた。ここの「否定」が別の延焼を招くことに気付いていなかった。
「そりゃ中央教会の大きくて荘厳なところに比べたらちっちゃいけど、でもここは私が育った場所なんだよ。それが全部だめって言われたみたいで辛いよ……」
「う……シェレネごめん」
私には何か噛みつきたくてたまらないカティナも、シェレネを傷つけるような言葉になっていたのは不本意だったらしい。
「いい。カティナさんの気持ちがそんなならもういい」
「シェレネ……」
「それより、謝るなら私じゃなくてリリにだよ」
「それは」
「リリがファーステス様で何がいけないの? 孤児院が助かって、私がいけないことしなくて良くなったのはリリのおかげなんだよ? なのに、どうしてリリにありがとうのひと言も言えないの!」
「シェレネ、私は」
カティナはシェレネの言い分に明確な反論ができなかった。恩を仇で返すことになっているのは確かであるけれど、ここで大事なのはシェレネの気持ちであるはずなのに。
「う……リリ、ごめんなさい」
「いいえ、私はこういうことは慣れてますので」
私は強がり半分にカティナの謝罪を受け止めた。
とても温和で普段は私やカティナに振り回されていそうな彼女が、不機嫌を強く表したのが思った以上にいろいろ響くものがあったようである。
「本当に悪いと思ったの?」
「それはもちろん……」
「じゃあカティナさんはこれからここを好きになって欲しい」
「そう、だね」
シェレネに諭されて、カティナはうつむいて、いつもの勢いもどこへやらと消沈している。
よほど、シェレネの勘気に触れたのが堪えたんだと思う。
「……無能の墓場が何。そんな扱いされるなら、中央教会なんていらない」
「シェレネそれは」
「カティナさん、別に今のこと、またお偉いさんきたら言っていいよ」
「それは、それはだめでしょ」
「むしろいいんじゃないです?」
「リリ!?」
「私が見知ったどのオーシア教会よりも、ここは清らかで素敵なところでしたよ。カティナは生まれ変わるべきです。きっと、偉くなること以上に大切なこと。もう気づいているんじゃありませんか?」
「それは……」
それに、カティナは正直に打ち明けてくれたのだ。
きっとこれから、良くなっていくはず。
そう、思っていた。
そのときは。
次回は土曜日更新予定です。
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