<19> 対抗せし苦難と挑戦
今の私の興味が、セラフィに強く向いていた。
「シェレネさん、あのセラフィという方は」
「いろいろ良くしてくれた人なんだ。不安だった私のこと気遣って、心構え教えてくれて」
「そうなんですね……」
「さすがにもう、必要ないから私は行かなくて良くなるけれど、彼女は」
「?」
「ううん。何でもない」
「リリ。深入りは良くないって言わなかった?」
「カティナさん、それも大切ですが、シェレネさんが悩まないために必要なことを確かめたつもりです」
確かにカティナの言うことももっともだけれど、何も知らないままふたりとの付き合いを続けるのは心苦しい。せっかく、落ち着き先で知り合うことのできた人のことだから。
もっとも、ファーステスであることを隠している私が言えた義理ではないと思うけれど。
「そう。でもこれ以上はやめてよね。シェレネも言いたくないなら無理しなくていいのよ?」
「そんな、リリさんも心配してくれて言っているってわかるし」
「はぁ。シェレネはだいぶリリのこと買っているのね」
「いろいろお詳しいし、立ち振る舞いが参考になるところばかりなので」
「ええ?」
「なんというか、姿勢の良さからすごくいいところの出を感じさせてくれるから」
「げっふ、げほ、げほげほ」
「リリさん大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫」
物腰、できる限り脱力させて、あまり感じさせないように努めていたつもりだったのに、隠しきれてない。
余計にカティナに怪しまれる燃料をシェレネに注がれてしまったのを、私は冷や汗を流すような苦笑いをすることしかできなかった。
そうして、私たちは姦しくしながらも目的地に到着する。こじんまりとした木造の櫓のようなところに、炊事のできるかまどが設置されている。大きな鍋を二人で引き出してかまどにかけて、井戸で組んだ水を数杯注いだ。井戸の衛生は気になるけれど、火を通せば何とかなると思う。
今日は、私が弓の練習に出たついでに狩った、猪の肉を使って汁物を作れる予定である。
「さあみんな、猪汁の炊き出しよ! オーシア様への感謝の心を忘れずに!」
「いっぱいありますから、押さないで並んでくださいね!」
玉ねぎのぶつ切りが目に染みる。
まな板で手を刻まないためのコツはシェレネが教えてくれたけれど、皮をむいてばらすように切るのは涙ぐまずにはいられない。
今日私が料理の練習をさせられたのは、炊き出しで野菜切りをするためだったのだろうか。
でもやっぱり芋はうまく剥けないし、ニンジンも皮のまま刻んでいた。
「リリさん、キッチンナイフ握りこみすぎ。そんな風にしっかり持ったらうまく使えないよ?」
「そうなの?」
肉の解体では考えなくて済むものだったそれが、野菜相手だとまったく勝手が違うなんて。
それを知っただけでも儲けだとは思うけれど、私の料理練習はまだまだ時間が必要そうだった。
カティナが、シェレネが呼び込むと、炊煙の香りに引かれて、貧民街に住まう人々が各々器をもって集まってきた。
カティナがよそって、シェレネが列を整える。
私の役割は、シェレネが整えている横で秩序を乱しそうな人や、不安げに問いかけてくる人の声を伺うことだった。多くは五体満足だが世に炙れた人たちであるが、その中に、そうではない方々を見かける。片腕と耳を失っていたり、片足や目を失っていたりする方を見かけたり。母子連れで幼子を二人、乳飲み子を抱きかかえている人も。体中に包帯を巻いているのは、らいの方か。
そういった、元々はけして落ちぶれるはずがなかったところを、何らかの理由で傷痍や寡婦、あるいは障害を伴う病持ちとなって正常な社会活動を送れなくなった方が住まう現実がそこにあった。
もし、私が何も『抗う術』を身に着けることなく、婚約破棄から奴隷に落とされていたとしたら。
その主から脱走をしたとしても、きっと私は母の身となって、幼子を抱えて彷徨うことを余儀なくされたかもしれない。
「リリさん?」
「あ、ううん……皆さんのおかげで、助かっている方がたくさんいるのだと思うと」
シェレネに、きっと難しい顔をしているところを案じられた。
さまざまな厳しさを目の当たりにしたら、どうしても考えずにいられない。
「オーシア様の導きに感謝を」
「オーシア様の慈愛に感謝を」
ただこれは、オーシア教徒の清らかな真心がもたらす信仰活動であることを忘れてはいけない。
お渡しするごとに、カティナが祈りの言葉を告げるように促し、それに応じている様子を見ていて改めて気づかされる。
そんな祈りの言葉も共に添えているのを見ながらふと、あたりを見回した時。
”救われぬものに救いを、呪われしものに安息を、刻まれしものに希望を”
そんな言葉が脳裏をよぎった。
炊き出しは順調に、成功裏に終わり、後片付けも済ませて戻る運びとなった。
その時に。
「あの、『救われぬものに救いを~』で始まる言葉に覚えはありますか?」
「え……」
「リリさんそれは……」
脳裏によぎったものを口にしたとき、カティナとシェレネの表情が険しく変わった。
私は周囲を見回してなぜそれが頭に響いたのかと原因をたどると。
ある建物の壁に、薄く長い、白い布状のところに、書きなぐるような黒文字でその一文が横長に記されているのを見てしまった。
ここに炊き出しに来たばかりのときには何もなかったはずなのに、気にして、見回して、つい観察と警戒をしてしまっている自分に驚いていた。
「あの、あそこに書かれている文」
望遠視覚を働かせて、その場所にある文字をその位置から読む。
「『救われぬものに救いを、呪われしものに安息を、刻まれしものに希望を』という」
「リリ! それは言ってはだめ!」
「どうして」
「どうしても! シェレネ、それ破ってきて」
「はい!」
すると、カティナとシェレネが血相を変えて遮った。シェレネが私の視線をたどった先にあるものに全力で駆け寄っていくと、その文が書かれた布切れを急いで剥がし取った。持ってきたそれを、カティナはかまどの残り火にくべて燃やした。
「どういうこと……?」
「邪神の信徒のスローガン」
「邪神?」
「リリ、知らないなら教えておく。あれはヘルガドっていう邪神の信徒のスローガンよ。苦難と挑戦というそれっぽい二言を並べているけれど、オーシア様含め多くの秩序の神様たちにとってもっともやっかいな邪神なのよ」
「確かに、ベルサーネス公爵領はロヴァルド王国内ではオーシア教団だけが絶対ということはないので、主神様含めさまざまな神様の教会がありますけど、ヘルガドはだめです」
「なぜ、だめなのですか?」
「それは」
「ちょうどいいわ。ここにお集まりの皆さんにも聞いてもらいましょう」
二人がとても緊迫した面持ちで私を諭すように言うけれど、まったく腑に落ちない理屈だった。シェレネは言葉に窮していた。
そんな私のために、というだけでなく、まだ人だかりが残っている中とあって、カティナが神学の講習会を開くこととなる。
「ゆっくり食べながらでいいから、これから神様のあらましについて、カティナ・ウェルサックが講習する話を聞いていてくださいね」
そうして開かれた神学に関する内容は、私の中で不十分だったこの国、この世界の神々に関する知識を深めるのにとても良い授業となった。
この国で多く信仰を広く集めているのがオーシア。
彼女は秩序の側にある女神で、主神ラーナフェルに集う一柱にあたる。
ラーナフェルこそ第一という原理主義の人もいるが、国が守護神と祀る一柱はラーナフェルと同等以上に尊重される秩序側の神になる。
今唾棄すべきものとしてかまどの薪木同然に焼かれたのは、秩序側にとって忌まわしきものとされる、けして人が触れてはならない教えを持つ混沌側の神にあたる。混沌側は人々に災いをもたらす働きが基本であるため、『邪神』として忌まわしくされる。
「ここにあったのは、苦悩と挑戦を司るとされる邪神ヘルガドの信奉者が掲げるスローガンなの。もし信仰者があったら、私たちオーシア教団のところでいいので伝えて」
そのヘルガドも、忌まわしきものとして立てられた邪神の一柱というのが、オーシア教団の見解なのだけれど。
苦悩と挑戦。
その言葉は、けして彼女が言うほどには忌むべきものではないように感じる。
『呪われしものに安息を、刻まれしものに希望を』
呪いというしかない刻印のある頬を、ヴェールの中からたどる。
奴隷に落とされたのは確かに不運ではあるけれど、このスローガンには何か、不思議な縁を覚えずにいられないものがあった。
それを、なぜオーシア教団は血眼になるほどに痕跡を消そうとしていたのか。
それだけで気づかないはずがない。
それは。
私がオーシアの心臓を射抜くことにたどり着くための、手がかりのように思えてならなかった。
読んでいただきありがとうございます。
もし良い物と思われましたら、感想、ブックマーク、★付け、エモーションなどいただけると嬉しいです。




