<17> 弓引くところに己が多くを戻す
そうして教え導く時を過ごしながら、運営状況や会計簿とのにらめっこをしたりしながら過ごす数日。「エミナ・ノ・ユミハリ」を磨いている時に、改めてエメルーが訪ねて来た。
私は一度弓を置いてから、人払いできる街角の隅にエメルーを招いて、「認識阻害」を張って潜みながらやり取りしていた。それは、私がファーステスであることを他に知られないための、ふたりだけの空間である。
「頼まれていた領主許諾証です。これで出入場のときに困らなくなるかと」
「ありがとうエメルー。これで心置きなく弓の練習ができますわ」
練習用の矢の入った矢筒は、予め受け取っていたものとして私のベッドの隅に立てかけたままである。弓の弦や、弓を引く助けとする弓縣もその中に入っていた。
エメルーにこの発行を求めるため、先日父上に渡した手紙の中に、出入りと『公爵家の私有地にある弓の練習場の使用許可』に便宜を図ってもらえるようにすることをお願いする旨の内容を含んでおいた。
もっとも、その文面はもしエメルーが治安部隊の人に絡まれて手紙を改められても、あくまで領主である父上と、旅人のリリがやり取りしているだけに過ぎないように調整したもの。
「父上には私のことは伝えてありますわよね?」
「はい。いたくお喜びでありました」
「そう。父上にはくれぐれもお体大事になさいますようにと、ファーステスが改めて申していたと伝えて」
「それも改めて。お館様からも、お嬢様の身を案じて息災であることを祈られていると伺いました」
「ええ。伝えてくれてありがとうエメルー」
ただ、手紙でやり取りするのはこれきりにしておきたい。
治安部隊の件もそうだけれど、私のこと以外に仕事を引き受けているであることを思えば、あまりエメルーに負担をかけられないというのもあるから。
深く、深く父上の真心を感じて、お手紙と、許可証の入ったベルサーネスの印入りの蜜蝋付き封書を胸に抱いて、頬を伝う涙を抑えられなかった。
どうかご無事で父上。
またどこかでお会いする日を楽しみにしております。
エメルーとの出会いに父上への想いを馳せる中。
いよいよ、私は自分の弓を引くことのできる日を、迎えることができた。
ただその朝の寝覚めは、少し静かにしていたはずのあのオーシアが絡むのを再開してきて、最悪そのものだった。
まだ眠りを多く必要な夜の私の意識に、オーシアが無言で現れた。ただ、夢を轟音に染めることだけを強いて、私の中途覚醒をさせてほくそ笑んでいるのではと。
もっとも、当のオーシアは不機嫌そうなそぶりだった。その音を起こして、だいぶ身勝手にふるまって私を困らせているというのに。
「何考えてるの」
「別に。なんか楽しそうなのがムカついたから」
「そんな動機で……」
改めて聞いても、やはり妥協の余地などない。
どこかでどうにかしなければならない。
「あら、当然でしょ。好きにしていいとは約束したけど、弄ばないとは約束してないもの」
「人をなんだと思っていますのオーシア」
「おぉ、罰当たりファーステス、呼び捨てして私に喧嘩売って。またいたぶられたいんだ?」
「その喧嘩買って差し上げてもよろしくて」
「そう。でもやめとく。私がやらなくても、あなた泣くだろうし」
「それはどういうこと」
「さあ?」
本当に最悪な寝覚めの夢枕だ。
やり取りをするだけでもおぞましい。
でも、オーシアはまかりなりにも女神で、いつも少し先の未来を見たような発言をする。
私が泣く?
ふざけるのも大概にしてほしい。もしそういった困難が振りかかるとしたら、後で百乗にして返してやりますわ。
オーシアへの憤怒を、意識の向こうに放っておいて覚醒に体を起こした。
寝起きに乱れた髪を整えてクラウンブレードに結う。手伝いする人がいないので自力でなんとかするしかなかったけれど。
その上で私は、高くそびえるようにしてそこにある『エミナ・ノ・ユミハリ』の弦張りを試みる。ありし日に近い条件のために、孤児院のスタッフであるシェレネとカティナ、あと年長のロゼリアとを早起きに誘った。
あの時、エメルー含めた侍女3人の手伝いで張れたくらいの弦なので、女手でもたぶん問題ないと思う。
ただ普段、弦を張ったことのないものが携わることから、膂力不足や持ち場の役割の理解が薄いところの不安はあった。なるべくそれぞれの場所をしっかり支えてもらい、かけた弦が緩み外れないよう強くくくり、張り詰めさせた。
作業に際して、膂力不安が出て特にロゼリアの担当が持っていかれそうになっていた。でもそこは、カティナが身体強化の魔法を使ってフォローしてくれたので、どうにか支えを失わずに済んだ。
「カティナ、身体強化使えたんですね」
「助司祭になるならこれくらいはね?」
「いいなぁ、私は回復魔法をちょっと使えるだけだから」
シェレネが羨ましがっていたものの、傷を癒すことができるだけでも十分に素晴らしいことだと思う。
……できれば、それらの魔法、ふたりからいつか教えてもらいたいところ。
引き換えに私はふたりに感知や隠密や感覚強化の魔法を教えればよいだろうか。
張り切った「エミナ・ノ・ユミハリ」は、舶来の長弓の象徴的特徴である、上側が下側よりも長いという、傍目にはアンバランスな差があった。それは弦を張った状態でも2メートルくらいあり、中のひごが、より弓の構造をささえるようにしなっていた。
張った弦を試しに引き絞ると、すでにひとつきはまともに射ていないことが祟って、少し重く感じた。しばらくは慣らしながら休み休みで引くしかなさそう。
「ぬぬぬ……っはぁ、えぇ、リリさんどうして引けるの?」
「だ……め、身体強化入れても、肩いっ、たい」
ものの試しでシェレネとカティナが引き絞りに挑戦した。
ただシェレネは腕をまともに伸ばすことも叶わなかった。カティナは身体強化込みで頑張って引ききろうとしたところで、肩の痛みに耐えかねて離してしまった。
「本当の意味で弓を扱うには、小さい頃からの鍛錬が必要ですから。でも、私は逆にやりすぎたので、おふたりのほうがうらやましいですよ」
2人をねぎらいながら、私は改めてその弓を受け取る。
「けど、そんな強い弓引けるの、この領地の軍人さんくらいじゃない? リリさん何者なの?」
カティナの疑問ももっともだけれど、今の私から具体的にはまだ言えない。
「ただのしがない、浮浪者だったものですよ」
だから、孤児院を後にしようとする背中を見せながら、私はカティナの質問にさも当たり前の素振りをして答えたのだ。
足りていない走り込みを補うように、該当する城壁の外の練習場までの道は走った。胸の揺れは、弓を引くことを考えてさらしで押し込んで抑えていた。
出入場管理官の当番はまた別の人だったけれど、領主の印を見せればすぐに通してくれた。たぶん前に預けた弓は処分されたかもしれないけれど、これで弓を取られずに出入場できる。
南門から30分は走れば着く、ベイシスを改めて展望できる丘の上にある。周囲を木々に囲まれた中に、開かれて作られていた。
練兵の練習場とは別の、ベルサーネス公爵家が作り出し時折整備している場所で、いわば公爵家の私有地。出入場の他、練習場の使用許可を改めたのは「法的には私がベルサーネス公爵家の人間ではない」から。
気楽に出入りする権利を得た、その練習場は特別に係の兵が控えているというわけではない。でも、記憶にあるかぎり一度も、私や父上、あるいは特別に招いた人を除いては、なぜか迷い込むものを見たことがなかった。
きっと許しのあるものを除いて、決してたどり着けない何かをご先祖様方が築いたのだと思う。
ただ練習場の外は別の問題。家のものが見て咎めなくても、そこに向かう際に治安部隊の巡回と出くわして難癖をつけられるのを避けるのに、許可証が必要だった。
私はその許諾を根拠に練習場の只中に立ち、矢筒を腰に下げ、弓縣をはめ、弓の持ち手を左にして、遠くにある標的に視線を送った。位置的に遠目、たぶん100mくらいある。自然体を保つようにし、息を整え、感覚を取り戻しながらやれば、誤りなく当てれるはず。
練習用の矢を番えて、深く息をつく。肩に入り込むような張り詰めが体を引き締め、目元の後ろまで矢羽根が引ききられた。
風を読み、いつもの『エミナ・ノ・ユミハリ』の強さと練習用の矢の重みから飛翔を読んで軽く仰角をつける。
引ききった弦を離し、弓返りを適度につけてやる。矢は思った通りの軌道を描いて遠く小さな的にめがけて飛び、その標的の中やや右下に外れたくらいのところに刺さった。
「久しぶりだとこんなものでしょうか……」
問題らしい問題は、落ちた体力が目に見えていて、一射しただけでも腕や肩や背中が引きつっているように感じるところ。
それでも、そのわずか一射だけであっても。
ベルサーネス公爵家にいて、公爵令嬢として社交界にあって、王太子妃候補として公務を助けて、弓を練習していたあの時の自分があったことを教えてくれているようだった。
それは、私が今まで離れ離れになっていた喪失感を、私自身の半身を取り戻したかのような、心地のいい高揚感だった。
あくまで無理なく、少しずつ自分を取り戻せるように。
でも、どうしても夢中になって、練習用の矢が一週分尽きてすべて当たるべき的を得ているくらいには、矢を放っていた。日が高くなって、今日の孤児院の仕事を思い返して急ぐくらいには、時間を忘れてしまっていた。
以上で、第一章として想定していた内容となります。
本作は四章構成程度を予定しています。
明確に章として表記するかどうかは検討中であり、今後の推移で考えていきます。
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