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<10> 隠したつもりがすべてをなくした

 次の日。

 あの駄女神の言い残した言葉はとても気になったけれど、その朝は何事もなく迎えられた。

 とりあえずお金はある。サバイバルな生活からいったん抜けて、適度に体を拭くことはできて、誰にも脅かされない眠りを得ることはできたけれど。

 早起きするつもりでだいぶ日が高くなるまで眠っていたらしい。


「おはようございまーす」


 ノックする宿の従業員の声を聞いて、慌てて顔を覆うマスク替わりをくくって頬を隠した。


「はい、寝坊してすみません!」

「いいえ、だいぶお疲れのご様子だったので」


 扉を開ければ、掃除用具を抱えた従業員の女性がいた。

 思えば、何日まともに寝ていなかったのか。そんな生活の延長線による寝坊はやむを得ないことか。結果として、今日の予定を立てるにはあまりにも時間が不十分過ぎた。


「少し朝ごはんには遅いですけれど、食べられますか?」

「あ、はい、お願いします」


 私は整える衣装らしい衣装もない。着替えて食事に向かうにも、あまりにもはしたなく薄汚れたまま。いったん、その愛想のよい従業員の女性に銅貨を数枚チップで握らせてから部屋を出た。

 食事をしながら、この後の予定を考える。

 枚数は数えなかったので、何枚渡したかは確かめておこう。

 この宿を拠点として、郊外に出て狩りをして、それを元に小銭を稼いで生活すれば、その日暮らしはできるだろうか。

 もはやお昼の様相で、宿に泊まっている人以外のお食事のお客様も多くにぎわっていた。

 絡まれたりしたらどうしようかと警戒心を抱きながら、静かにお出しされた遅い朝食をいただききり、改めて部屋で持ちだす荷物を手に取る。念のため引き換え券は持っていくこととし、わずかな予算とともに宿を出た。


 まず、審査官にも『浮浪者か』と言われたような衣装を改善しないといけない。

 できれば武具をもって街を歩ける身分を得なければいけないけれど、この頬の印を考えると難しい気がする。

 なのでせめて、外で作業するのに不都合しない程度の衣装を安く見繕う。お金持ちの人が多く立ち寄る地域を避ければ、例えば実用雑貨のお店にそういった衣類が揃っているので都合がよい。併せて銀貨2枚銅貨20枚はちょっと痛い。けれど、上下そろえて布で覆い切れる、農作業でもするかのようなそれは、今のくたびれ切った動きにくい服を捨てられると思えば、安い物だった。スカートではないことはより助かるものだった。

 なお、ちぎって作っただけのそれを更新するヴェールのようなマスクはそのまま、それ用に作られた形のものをつけることができた。


 衣服を買い直したあとは、身分証を作れるかどうかの試しに、冒険者ギルドに向かった。

 いろいろな物語を聞いてきたそれのように、この国にも冒険者が集うギルドが存在していた。

 冒険者はギルドがその身分を保証してくれるため、どの国に行っても通じる身分証を発行してくれる。犯罪行為などを持たない、清廉な人物ならだれでも登録できたはず。

 その扉をくぐれば、ギルドに申請された依頼が光魔法で並べて掲示されている。その周囲には、それを眺めるおそらく冒険者を生業とする人たちがいた。待合のテーブルのようなところでは、それぞれにくつろぐ様子があった。その奥側には、冒険者の受付嬢がカウンターを挟んで手続きをしている様子が見て取れた。

 順番待ちが開いた受付嬢のひとりのところに、私は入り口で受け取った整理番号の札を掲示して訪ねる。


「すみません、冒険者登録をしたいのですが」

「はい、冒険者登録ですね。それでは、こちらにお名前とお住まいなどの情報を記入ください」

「わかりました」


 冒険者ギルドの受付嬢が登録用紙を渡してくれる。

 たぶん、冒険者を始める年齢には、私はすこし年上すぎるかもしれない。10代前半から中盤くらいが順当な開始ラインにあって、20近い年の私には遅いスタートラインだと思う。

 でも、冒険者ギルドの受付嬢は、ある点で出入場審査官と比べて不親切ではないか。

 そのことについて試すつもりで、登録用紙を目の前に、私は悩むそぶりをしてみる。


「ああっ、申し訳ありません、もしかして読み書きは」

「い、いえ、それは大丈夫ですので」


 意図を汲んで受付の人が気を利かせたので、いったん大丈夫そうだった。

 たぶん、冒険者登録をする人の多くは読み書きを行うことのできる人が大半だからだと思う。教養のある貴族や商家の子女、あるいは名の売れた冒険者の子などの教育が行き届いたケースばかりを相手にしていたのだと思う。

 私は、気がついてくれた受付嬢のことを不問にして、各種情報を書き入れていった。


「はい、フアノンさん、持ち家はなし、得意とするものは弓……」

「ああ、門番さんに預けているので、今は持っていなくて」

「なるほど、承知いたしました。では、この鑑定球に手をかざしてください。この情報を元に、冒険者証を発行いたします」

「わかりました」


 受付嬢が、支持台に収まっている水晶球のようなものを取り出して、私の前に見せる。

 恐らく、私の体の奥底にある各種生体情報を読み取る仕組みだと思う。聞いたことはあるけれど、目の前にするのは初めてだった。それに手をかざすと、水晶球が淡く光を放った。最初は白い色の光。それから、赤く輝いて。

 そう、何かを警告するかのような、エラーを吐き出したかのような輝きだった。


「……? すみませんフアノンさん、あなた奴隷印を持たれておりますよね? 主人とは同行していないのですか?」

「それはどういう」

「今、水晶球の中に『主人の前に奴隷の身分の者の鑑定を行った』エラーが表示されているので……」

「あっ……その、すみません、ありがとうございます」

「いえ。主人がいらっしゃれば、主人の方と連名で登録できるのですが」

「それなら、それで大丈夫です。相談してみます」


 いけない。

 まさか奴隷印がそのような形で働くなんて。

 私は受付嬢に深くお辞儀してから、冒険者ギルドを後にした。


 長居すると、私が脱走奴隷であることがばれてしまう。記憶が間違いでなければ、脱走者は脱走元に知れたら連れ戻されることが目に見えている。

 ましてや、冒険者ギルドに身の上を晒したのは悪手ではないか。

 脱走疑いが伝わったりなどしたら、連れ戻されたりするかもしれない。


 つまり、冒険者ギルドの方向での身分登録はできない。むしろ、不用意に身分を約束してもらおうとする行為が好ましくないかもしれない。

 ならせめて、この街においてだけでも身分を確約できるかどうか。あの審査官の人に、半券を携えて確認を取りに行こうと試みる。


「フアノン、おまえ奴隷身分だったのか。主人はどこにいる? 武装の許可証はあるのか?」


 だが、自分の奴隷印は明らかに別の災いとして降りかかった。


「何を言ってるのです、私は」

「そういえば、そのマスクはなにを隠している?」

「これは、ひどいやけどを負った後を隠しておりまして、できれば踏み込んでほしくは」


 自分が入場した門の出入場管理者を訪ねて、領都の出入りをするために必要な身分証の発行を願い出ようとすれば、なぜか私が奴隷身分であることが割れていた。


「言い逃れられると思うか? マスク姿の女が、冒険者ギルドを訪ねてきて、奴隷印が割れてるのを見たという冒険者の話を聞いたのだが」

「な……それは噂話だと思います」

「ならば、そのマスク、外して見せてみろ。入場時の女官は、体のどこにも奴隷印はなかったと言っていたぞ」


 裏付けを管理官は見ていないとはいえ、もしこのままなんの釈明もせずに逃げ出せば、それを理由に収監される危険性がある。

 それに、奴隷は武装許可証というのが必要になるというのは、知らなかった。確かに主人と奴隷の間には、『反抗不可の契約』が入るけれど、脱獄的に仕組みを抜けて、武装利用で主人を害する方法は私でも思いつくもの。そういう仕組みが必要なのは、安全策として重要なものだった。


「わかりました……わ」


 私は観念し、何もかもを晒すつもりで、マスクを取り除いた。

 ただそれは、もし私を存じているのであれば、一抹の望みでそれ以降の咎めを回避できるかもしれないという想いを込めたものだった。


「……な、なっ」

「この通りです。私は逃げも隠れもしませんわ」

「ふぁーす、てす……様」


 果たしてそれはかなった。

 ただの丁寧口調から、令嬢口調をもって、出入場管理官の方に顔を晒したら、彼はその正体に愕然として、座っている椅子から飛び上がって、私に跪いていた。

 その様子を見ていた門番の何人かが不思議に思っていたが、出入場管理官が促して同じようにさせようとしていたので、彼らの務めをやめさせないように私は制した。


「やめてください。私はフアノンという狩人です。ファーステス様などとは関係のないものです」

「いいえ、けして見間違うわけがありません! 領主フアンザース様の令嬢を間違うことは、領兵の下士官以上のものにはあってはならないのです! それより、その頬の印はいったい」

「あの……そうですね、事情は長くなるのですが、もし許されるなら……フアノンの名で私のこの街の身分を保証してもらえますか? あと、このことはあまり大きく騒がれませぬよう」

「かしこまりました……ですが、もし事情が許されるのであれば、いずれ伺ってよろしいでしょうか?」

「はい、許されるようになったら説明いたしますわ。そう、私がここにいることは内密に」

「はっ……では、急ぎ身分証の発行手続きを行います」


 ことを荒立てて騒ぎにならないよう、私は声量を抑えるように彼に言った。でも出自が幸いして、お目こぼしをしてもらえそうなことについては感謝しかなかった。

 奥に通された私は、冒険者ギルドにあったような水晶球に似たものに手をかざしてスキャンされた。冒険者ギルドのは赤い光がついたが、こちらは黄色い光がついた。主人の前に奴隷をという警告かもしれないけれど、そこは出入場管理官の方が踏み倒して対応してくれた。

 おかげで、この街に出入りする限りは通行料を都度収める必要は無くなった。

 本来は発行費がだいぶかかるらしいのだけれど、そこも目をつぶってもらった。


 さすがに驚かせてしまって、しかも不正のような形になってしまったのはどうしても心苦しいけれど、作ってもらった貸しは必ず返したいと心に思った。

 なお「奴隷の武装許可証」というのを考慮して、引き換え券はいったん持ち越しした。たぶん街を出るときも使わないかもしれない。

 なので、しばらく武装をしようとするなら街の中で購入して隠し持つ必要があると思う。必要になれば、ということだけれど。

 果たして身分証は発行されたけれど、詳細を見れば『フアノン』という名前は形になっているけれど、『犯罪贖罪(終身)・性奴隷』という奴隷身分の詳細まで綴られていた。これはさすがに大っぴらに見せることはできない。


「これは……なんということか。ファーステス様、なんとおいたわしいことに」

「その名前は私ではない誰かですよ?」


 出入場管理官の方はそれを見て目を潤ませていた。

 その忠誠心には感謝するしかないけれど。


「それに、本当にそのファーステスという方を気遣われるなら、特別扱いはこれきりにしませんと、ベルサーネス公爵様が困ることになりますからね?」

「はっ、そういう形で対応いたします」


 刺した釘を甘んじて受け止めてくれている彼には、感謝しつつも不安を感じずにいられなかった。


 ただ、奴隷身分のことがここまで広がっているとなると、市井の宿を利用していると足がついたりしないだろうか。

 そう思って、取っている宿のところになるべく身を潜めて近づいてみれば、案の定街の治安部隊の方らしい紅白の腕章をつけた、濃い青、いえ紺色というべきか、それずくめの胸甲姿の人が出てくるのを見た。あくまで立ち寄り所程度のもののはずだと思うけれど、もし私のことを聞かれているのであれば、迷惑はかけられないか、あるいは。

 私はそれとなく宿の中に戻ってみると。


「フアノンさんおかえりなさい」

「ただいま。あの、今治安の方が来ていたように見えたんですが」

「あ、ああ、あれは最近物騒になってるから気を付けてっていうことなんですよ」


 私の部屋をベッドメイクしてくれていた従業員の方が出迎えしてくれた。

 食堂のような机そろえの中で清掃をしていた彼女は、何かを言いよどんだような口調で私の問いに答えていた。

 治安部隊の人が仕事熱心なことはとても感心なのだけれど、今はちょっと困る。

 そう、治安部隊の人だからいけないのだ。彼らが私のことを探ろうと試みているのなら、いつまでもここにいることはできない。

 宿の人が私を売るとは素直には考えにくいけれど、治安部隊の人には改められる権限がある。脱走奴隷のフアノンであると割れれば、張られて捕まりでもしたらと危惧させられる。そうしたら、王都のイヴェルのところに逆戻りになり、どんな仕打ちを受けるかわかったものではない。

 なので私は少ない荷物をまとめて、足早にチェックアウトした。


 もしかしたら従業員さんは私の身の上は知らないだろうけれど、でも何かあってからでは遅い。

 今日、『フアノン』という名前を出して、冒険者ギルドを訪ねて、出入場管理官を訪ねた。なんらかの怪しまれが治安部隊の人の間に広まっているのであれば、私は完全に追われる身だ。

 今後身を隠し通すなら、しばらくはもう『フアノン』を名乗ってはいけない。できれば、なんらかの方法で身をかくせれば。


 そう思いながら、巡る日は暮れて夜になるを確かめる。

 またまともに眠ることのできない夜を迎えて、誰の目にもつかない片隅で私は、別段認識阻害をかけるのもない。ただ、警戒を意識しただけのままでうとうととしていた。

 それはとても大変な日でもあり、懐かしくもある思い出を振り返るのに十分な、そんな不思議なまどろみだった。


読んでいただきありがとうございます。

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