第2章 第5話「声が出ない」
目が覚めたとき、すぐに違和感に気づいた。
何が、とは言えない。
ただ、どこかがおかしい。
夢の内容は、ほとんど覚えていない。
断片的な感覚だけが残っている。
圧迫感。
息苦しさ。
喉の奥に残る、鈍い痛み。
それらが、現実に持ち越されている。
俺はゆっくりと体を起こした。
首に手を当てる。
触れているはずなのに、
どこか“自分のものじゃない”感触。
軽く押す。
異常はない。
だが、
少し力を入れた瞬間、
内側から、押し返される。
外ではなく、
中から。
誰かの手で、
同じ場所を掴まれているみたいに。
俺はすぐに手を離した。
これ以上触れたくなかった。
触れていると、
“そっち側に触れる”気がした。
息を吐く。
喉に違和感が残る。
声を出そうとする。
一瞬、迷う。
それ自体がおかしい。
普段は意識しない動作。
なのに、
今は“許可を待っている”みたいだった。
「……」
息を吐く。
喉を震わせる。
――はずだった。
音が出ない。
空気だけが抜ける。
ひゅ、と乾いた音。
もう一度。
「あ――」
かすれる。
それ以上、続かない。
途中で止められる。
まるで、
“そこまでしか出してはいけない”みたいに。
俺は口を閉じた。
理解が追いつかない。
痛みはない。
腫れもない。
ただ、
“使えない”。
それだけだ。
*
居間に行くと、修二はすでに起きていた。
昨日と同じ場所。
同じ姿勢。
同じ光。
「起きたか」
声が、少し遠い。
距離じゃない。
位置が、ずれている。
俺は頷く。
動きが、わずかに遅れる。
自分の体じゃないみたいな感覚。
「……どうした」
修二がこちらを見る。
視線が合う。
その瞬間、
見られている、ではなく、
“確かめられている”感じがした。
俺は口を開く。
言葉を返そうとする。
出ない。
何も出ない。
「……」
沈黙。
修二は少しだけ眉を動かした。
「喉、やられてるな」
言い方が自然すぎた。
まるで、
確認済みみたいに。
俺は頷く。
それしかできない。
「水、飲め」
短い。
それだけ。
それ以上、聞かない。
聞く必要がないみたいに。
俺は台所へ向かった。
コップに水を注ぐ。
音が大きい。
やけに響く。
飲む。
問題はない。
通る。
だが、
通っている“途中”に、
何かがいる。
そんな感覚が残る。
飲み終える。
消えない。
むしろ、はっきりする。
俺はもう一度、声を出そうとした。
「あ……」
かすれる。
止まる。
そのとき、
頭の奥で、引っかかる。
――こ。
昨夜の断片。
あの口の動き。
その一音。
それが、
“喉の中から”浮かび上がる。
外じゃない。
中から。
俺は反射的に喉を押さえた。
強く。
その瞬間、
同じ力で、
内側から掴まれる。
ぐ、と。
押し返される。
同期する。
自分の手と、
“もう一つの手”。
「……っ」
息が詰まる。
一瞬だけ。
だが、
はっきりとわかる。
これは錯覚じゃない。
同時に、
喉の奥で、
何かが動いた。
ほんのわずかに。
“発声する形”に。
俺は手を離した。
それ以上触れられなかった。
*
居間に戻る。
修二がこちらを見ている。
今度は、はっきりと。
「……どうだ」
短い問い。
俺は喉を指す。
「声、出ないか」
頷く。
修二は一瞬だけ、視線を落とした。
何かを確認するみたいに。
「……そうか」
それだけ言う。
だが、
その“間”が長い。
考えているというより、
“当てはめている”感じ。
「無理に出すな」
修二が言った。
「出るときに出る」
その言い方。
治る、じゃない。
出るときに出る。
まるで、
“タイミングが別にある”みたいな。
俺は何も言えない。
頷くしかない。
沈黙が落ちる。
重い。
昨日までと違う。
もう、戻れない感じ。
そのとき、
不意に、
修二が顔を上げた。
「……今、何か言ったか?」
心臓が跳ねた。
俺は首を振る。
言っていない。
出ていない。
出せない。
はずだ。
修二は少しだけ眉を寄せた。
「……いや」
小さく呟く。
「今、“こ”って聞こえた気がした」
空気が、止まる。
俺は固まった。
喉に、違和感が走る。
さっきと同じ場所。
内側。
そこが、
わずかに震える。
俺は何もしていない。
何も出していない。
それなのに、
そこに“音の準備”がある。
修二は、もう一度こちらを見る。
今度ははっきりと、
警戒している目。
「……お前じゃないよな」
問いかけ。
俺は答えられない。
声が出ない。
否定もできない。
その沈黙が、
答えみたいに広がる。
次の瞬間、
喉の奥で、
わずかに何かが動いた。
空気が震える。
ほんの一瞬。
音になる直前の形。
――こ。
それが、
“自分の意思とは関係なく”、
確かにそこにあった。




