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3人目のわたし  作者: 無記名
第2章
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第2章 第4話「触れている手」


 夢を見ている、と最初からわかっていた。


 現実とは、ほんのわずかに違う。


 空気の重さ。

 音の遠さ。

 そして、自分の身体の輪郭が、少しだけ曖昧だった。


 それでも、景色だけはやけに鮮明だ。


 庭だった。


 祖母の家の庭。


 昼間の光。

 強すぎる日差しが、地面の砂を白く浮かび上がらせている。

 蝉の声が、耳の奥で鳴り続けていた。


 湿った空気が、皮膚にまとわりつく。


 ――夏だ。


 その認識と同時に、記憶と何かが重なった。


 俺は立っている。


 だが、視点が低い。


 自分の手を見る。


 小さい。


 子供の頃の、自分。


 違和感はなかった。


 むしろ、


 “この位置が正しい”とすら感じる。


 目の前に、背中がある。


 同じくらいの背丈。


 少し前に立っている。


 知っているはずの背中。


 名前は出てこない。


 だが、


 “知らない相手ではない”。


 それだけは、はっきりしている。


 一歩、踏み出す。


 足の裏に、砂の感触。


 現実よりも、はっきりしている。


 距離が縮まる。


 そのとき、


 ――いる。


 もう一つの気配。


 すぐ横。


 同じ高さ。


 同じ向き。


 視界には入らない。


 だが、


 “完全に重なっている”。


 それは動かない。


 ただ、


 “自分と同じ位置に存在している”。


 その認識が、自然に浮かぶ。


 前にいる子供が、振り返る。


 顔は見えない。


 焦点が合わない。


 だが、


 目だけは、こちらを見ている。


 視線が合う。


 その瞬間、


 体が動いた。


 意思はない。


 両手が前に出る。


 首へ。


 触れる。


 温度。


 柔らかさ。


 湿り気。


 すべてが、異様な精度で伝わる。


 ――掴んでいる。


 その認識と同時に、


 指が閉じる。


 自然に。


 抵抗なく。


 それが“正しい動き”であるかのように。


 相手の体が揺れる。


 軽い。


 だが、確かな重さ。


 そのとき、


 呼吸音が聞こえた。


 荒い。


 短い。


 喉で詰まる音。


 それが、


 どちらのものか、わからない。


 どちらも、自分のものに聞こえる。


 遅れて、恐怖が来る。


 だが、


 それよりも先に、


 視界が“増えた”。


 もう一つの視点。


 首を掴まれている側。


 喉が締まる。


 息ができない。


 暗くなる。


 それでも、


 手の中の感触は消えない。


 矛盾している。


 だが、


 両方とも現実だ。


 俺は、


 締めている。


 同時に、


 締められている。


 どちらでもある。


 どちらでもない。


 境界が、消える。


 圧力が増す。


 指が食い込む。


 喉の奥で、


 何かが潰れる感触。


 その瞬間、


 理解が走る。


 これは初めてじゃない。


 “知っている”。


 やったことがある。


 あるいは、


 やられたことがある。


 その記憶が、


 すぐそこまで来ている。


 あと一歩で、


 届く。


 そのとき、


 相手の口が動いた。


 音はない。


 だが、形だけが見える。


 ――こ。


 その一音。


 確実に読み取れる。


 同時に、


 “横の存在”が、


 ほんのわずかに動いた。


 重なっていたはずのそれが、


 ほんの少しだけ、


 前に出る。


 その瞬間、


 両方の視点が、


 “そっちに寄る”。


 意識が引かれる。


 奪われる。


 どちらの位置でもなく、


 “その位置”へ。


 視界が暗転する。


 落ちる。


 引き戻される。


 目が覚めた。


 息を吸う。


 肺が焼ける。


 空気が足りない。


 喉が痛い。


 本当に締められていたみたいに。


 体が動かない。


 呼吸が乱れる。


 手が、勝手に首へ伸びる。


 触れる。


 何もない。


 跡はない。


 腫れもない。


 だが、


 内側に、残っている。


 圧迫。


 窒息。


 “食い込んでいた指の感触”。


 俺はゆっくりと手を離した。


 指先が震えている。


 そのとき、


 違和感に気づいた。


 右手。


 指の間。


 何かが、引っかかっている。


 俺は無意識に、指を擦った。


 ざらり、とした感触。


 乾いたもの。


 暗くてよく見えない。


 だが、


 それが何か、


 理解はできた。


 ――砂だ。


 庭の、


 あの感触と同じ。


 俺はゆっくりと息を止めた。


 夢の中のものが、


 “こっちに残っている”。


 その事実が、


 静かに、確定する。


 喉の奥が、ひどく乾く。


 声を出そうとして、


 やめた。


 出した瞬間、


 何かが壊れる気がしたからだ。


 代わりに、


 頭の中で、あの口の形をなぞる。


 ――こ。


 それだけ。


 だが、


 今はわかる。


 あれは、


 どちらのものでもなかった。


 締める側でも、


 締められる側でもない。


 あれは――


 “その間にいたもの”の形だった。


 そう思った瞬間、


 頭の奥で、強い痛みが走る。


 思考が遮断される。


 それ以上、進めない。


 俺は目を閉じた。


 理解したくなかった。


 だが、


 一つだけ、


 確かな感覚が残る。


 あれは夢だ。


 そう思う。


 だが同時に、


 あれは


 “思い出しかけた何か”ではなく、


 “まだ終わっていない出来事”だと、


 はっきりわかった。

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