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3人目のわたし  作者: 無記名
第10章
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第10章 第2話「重なるもの」



 机の上の缶が、もう一度だけ小さく揺れた。


 今度ははっきりと見えた。


 誰かが触れたわけでもないのに、位置がわずかにずれる。


 その“わずかさ”が、異常だった。


 現実なら起きない程度の変化が、ここでは普通に起きている。


「……もういいだろ」


 修二が言った。


 その声は落ち着いている。


 いや、落ち着いて“しまっている”。


 説明する声じゃない。


 確認する側の声だ。


「何がだよ」


 俺は聞き返す。


 喉が乾いている。


 さっき水を飲んだはずなのに、潤っていない。


「どこまで気づいてるか」


 修二は椅子に座り直す。


 その動作が妙に自然で、逆に怖い。


「気づくって何にだよ」


「お前自身に」


 その言葉で、呼吸が止まる。


 “俺自身”。


 やけに重い。


「意味わからないこと言うな」


「じゃあ聞くけど」


 修二はまっすぐこっちを見る。


「昨日のお前と、今のお前。同じか?」


「同じに決まってるだろ」


 反射で答える。


 だが、その瞬間に違和感が走る。


 本当に?


 昨日。


 その“昨日”は、どこだ。


 記憶を辿る。


 途中で途切れる。


 無理やり繋げた映像みたいに、滑らかじゃない。


「……違うのか」


 自分でも気づかないうちに声が出ていた。


 修二は頷く。


「違う」


「どう違うんだよ」


「連続してない」


 その言葉が落ちる。


 静かに、確実に。


「連続してない?」


「ああ」


「意味わかんねえよ」


「わかる必要ある」


 修二の声は変わらない。


 説明じゃない。


 ただの事実だ。


「お前は一回じゃない」


 またそれだ。


 俺は机に手をつく。


「ふざけんな」


「ふざけてない」


「じゃあ何なんだよ」


 修二は一度だけ視線を落とす。


 そして言う。


「重なってる」


 その瞬間、頭の奥がざわつく。


 昨日も聞いた言葉。


 だが、今は意味が違う。


「何が」


「お前の時間」


 視界が揺れる。


 机が遠くなる。


 いや、俺の方がズレている。


「時間って……何の話だ」


「お前は一度じゃない」


 修二は続ける。


「この家に来てるのが、今回だけじゃない」


「……は?」


「何回も来てる」


 脳が拒否する。


 だが同時に、何かが繋がる。


 違和感。

 ズレ。

 記憶の欠損。


 全部、同じ方向を向いている。


「……証拠は」


 絞り出す。


「ない」


 即答。


「でも、お前は毎回同じことをする」


 呼吸が浅くなる。


「写真を見る」


 心臓が強く打つ。


「三人を探す」


 視界が少し揺れる。


「名前を思い出そうとして止まる」


 息が詰まる。


 全部、やっている。


 でも――


 “いつの自分が”やっているのかわからない。


「じゃあ俺は……何なんだよ」


 声が震える。


 修二は間を置く。


「一つじゃない」


 その言葉で、何かが崩れる。


「ふざけるな」


 弱い声。


「混乱させてるだけだろ」


「混乱してるのはお前だ」


 修二は立ち上がる。


「お前は一人分の記憶しか持ってない」


「……は?」


「でも、ここには何回も来てる」


「意味がわからない」


「だからズレる」


 机に手を置く。


「記録が合わない」


 その言葉で、背筋が冷える。


 “記録”。


 まるで外側から見ているみたいな言い方。


「じゃあさ」


 俺は言う。


「もう一人の俺って何だよ」


 修二は一瞬止まる。


 そして言う。


「お前だ」


 何かが折れる。


「……は?」


「さっき見ただろ」


「何を」


「影」


 息が止まる。


 あの感覚が戻る。


 視線。

 重なり。


「……あれが俺だと?」


「違う」


 修二は首を振る。


「今のお前が、あれになる」


 理解しかけて、落ちる。


「意味がわからない」


「簡単だ」


 修二は静かに言う。


「前のお前が残ってる」


「残る?」


「記憶じゃない」


 一拍。


「存在として」


 その瞬間、世界が歪む。


 机の輪郭がズレる。


 缶が一つ増えたように見える。


 いや、“重なっている”。


「……じゃあ今の俺は」


 言葉が詰まる。


「どれだ」


 修二は答えない。


 ただ言う。


「全部だ」


 思考が崩れる。


 そのとき――


 奥の部屋から音がした。


 ぎ、と。


 木が軋む音。


 二人とも止まる。


「……またか」


「何だよ今の」


 立ち上がる。


 足が重い。


 一歩ごとに重さが違う。


 廊下へ向かう。


 音がする。


 ぎ。


 ぎ。


 一定じゃない。


 奥の部屋の前。


 襖は閉まっている。


 だが――


 中に“いる”。


 それだけがわかる。


「開けるな」


 修二が言う。


「なんで」


「戻れなくなる」


 手が止まる。


 だが、


 もう遅い気がする。


 襖に手をかける。


 引く。


 音が鳴る。


 中は暗い。


 段ボール。


 新聞紙。


 その奥に――


 “空白”が立っている。


 人の形。


 だが、焦点が合わない。


 輪郭が定まらない。


 それでも確実に“いる”。


 そして、


 見た瞬間にわかる。


 他人じゃない。


 でも、今の俺でもない。


 その中間。


 修二が後ろで言う。


「それが前のお前だ」


 息が止まる。


 その“空白”が、


 ゆっくりとこちらを向く。


 顔はない。


 だが、


 確実に“俺を見ている”。


 そして、


 わずかに輪郭が濃くなる。


 まるで――


 思い出された分だけ、存在が強くなるみたいに。

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