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3人目のわたし  作者: 無記名
第10章
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第10章 第1話「重なり」



 意識が戻ったとき、最初に感じたのは静けさだった。


 さっきまで確かに“何か”がいたはずなのに、その気配だけが綺麗に抜け落ちている。


 玄関。

 修二。

 影。


 どれも記憶としては残っている。


 だが、感覚がない。


 まるで夢の“筋”だけが現実に残っているような、奇妙な違和感。


「……起きたか」


 修二の声で現実に引き戻される。


 気づくと、俺は玄関の床に座り込んでいた。


 同じ場所。


 だが、さっきの“続き”ではない。


「今の……何だった」


「影か?」


「そう」


「いたな」


 あまりにも軽い返答。


「いた、じゃ済まないだろ」


 思わず声が強くなる。


 だが、修二は動じない。


 むしろ、どこか落ち着きすぎている。


「前より、はっきりしてた」


 その一言で、背中に冷たいものが走る。


「前にも見たのか」


「たぶんな」


 曖昧だが、“初めてではない”という感覚だけは共有されている。


「おかしいだろ」


「普通かどうかはもう関係ない」


 修二は外を見たまま言う。


「起きてるかどうか、それだけだ」


 その言い方が妙に引っかかる。


 まるで、“現実の基準”を変えたみたいな。


「なあ」


 俺は立ち上がる。


「さっきのやつ、何だったと思う」


 修二は少しだけ間を置く。


「呼び戻してる」


「何を」


「わからん」


 即答。


 だが、迷いはない。


「ただ」


 修二は続ける。


「お前に向かってたのは確かだ」


 胸の奥がざわつく。


「俺に?」


「ああ」


「なんで」


「それもわからん」


 噛み合っているようで、どこかずれている会話。


 だが、それがもう“普通”になりつつある。


 俺は外を見る。


 何もない。


 ただの庭。


 なのに、さっきの影がそこに“続いている気がする”。


 視界の奥に、残像のように。


「……戻るか」


 修二が言う。


 俺たちは家の中に戻る。


 廊下を歩きながら、ふと気づく。


 空気が違う。


 軽い。


 いや、軽すぎる。


 音が、吸われている。


 足音が、自分のものに聞こえない。


「なあ」


「なんだ」


「この家、こんな静かだったか」


「静かだな」


 即答。


「ずっと」


「いや、昨日は――」


 そこで言葉が止まる。


 “昨日”。


 その単語が曖昧になる。


 思い出そうとすると、途中が抜け落ちる。


 まるで、記録の一部だけ削られているみたいに。


 居間に戻る。


 机の上には、缶と紙。


 だが、配置がわずかに違う気がする。


「これ」


 缶を指す。


「動いてるだろ」


「動いてない」


 修二は即答する。


「位置は変わってない」


「でも違う」


「何が」


 言えない。


 だが、確実に“同じじゃない”。


 その違和感だけが残る。


 修二は椅子に座る。


 俺も向かいに座る。


 沈黙。


 その間に、家の音が完全に消える。


 時計も、外も。


 何も聞こえない。


 完全な無音。


「なあ」


 修二が言う。


「そろそろ気づいてるだろ」


「何に」


「この状況の“構造”」


 心臓がわずかに跳ねる。


「構造?」


「ただの異常じゃない」


 机を見ながら続ける。


「形がある」


「形?」


「繰り返し方が一定じゃない」


 引っかかる。


「どういう意味だよ」


「ループじゃない」


「じゃあ何だ」


 短い沈黙。


「重なってる」


 空気が変わる。


「重なってる?」


「ああ」


「何が」


 修二は俺を見る。


 その目が、ほんの少しだけ違う。


「お前」


 息が止まる。


「俺?」


「今のお前と、前のお前」


「……は?」


「同じじゃない」


 頭の中が一瞬空白になる。


「意味わからないこと言うな」


「わかるだろ」


 修二は淡々と続ける。


「ずっと違和感あったはずだ」


 ある。


 確かにある。


 だが、それを言葉にした瞬間、崩れそうになる。


「昨日のこと、どこまで覚えてる」


「覚えてるだろ」


「本当に?」


 詰まる。


 思い出そうとする。


 缶。

 紙。

 影。


 だが、順序がない。


 つながらない。


「……なんだこれ」


「そこだよ」


 修二の声が落ちる。


 その瞬間、理解が一歩進む。


 ――記憶が連続していない。


 違う。


 ――複数ある。


 その可能性。


 机の上の紙が、わずかに揺れた気がした。


 風はない。


 触れてもいない。


 それでも、確かに。


「気づいたか」


「何に」


「お前の時間がずれてる」


 喉が詰まる。


「俺の?」


「ああ」


「どういうことだよ」


 修二は立ち上がる。


 机に手を置く。


「お前は一回じゃない」


 その一言。


 理解しかけて、止まる。


「……何回だよ」


 修二は目を伏せる。


「それがわからない」


 静寂。


 その中で、はっきりする。


 この家は現実じゃない。


 そして、


 俺もひとつじゃない。


 そのとき、


 頭の奥で音がする。


 さっきより、はっきりと。


 呼ばれている。


 名前。


 だが、形がない。


 ただ“呼ばれた痕跡”だけが残る。


「そろそろだな」


 修二が言う。


「何が」


「戻るやつが出る」


 意味を考えるより先に、


 視界が揺れる。


 机。

 缶。

 修二。


 すべてが、わずかにズレる。


 そのズレの中に――


 “もう一人の俺”が、


 一瞬だけ、見えた気がした。

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