第7章 第4話「一致しない座標」
修二の言葉が、頭の中で何度も反響していた。
――俺じゃない。
じゃあ、誰だ。
その問いは、形だけ問いかけているようでいて、答えは最初から一つしかない。
それでも、口に出せない。
出した瞬間、何かが決定的に固定される。
そんな確信だけがある。
俺は視線を逸らした。
修二と目を合わせたままではいられなかった。
見抜かれる気がした。
――いや、
もう見抜かれているのかもしれない。
「……外、行くか」
唐突に、修二が言った。
「外?」
「物置。さっきの話の続きだ」
喉の奥がひりつく。
行きたくない。
だが同時に、
行かなければならない場所だとわかっている。
そこにある。
全部を繋げるものが。
「……ああ」
頷いていた。
拒否する理由が、どこにもなかった。
*
外は薄暗くなっていた。
日が落ちかけている。
庭に出た瞬間、湿った空気がまとわりつく。
静かすぎる。
蝉の声も、風も、ほとんどない。
音が削ぎ落とされているみたいだった。
足元の土が柔らかい。
踏み込むたび、わずかに沈む。
妙に深い。
まるで、
何かを埋めたあとみたいに。
考えるのをやめる。
視線の先に、物置。
小さな木造の箱。
記憶と形は一致している。
なのに、
距離だけが合わない。
一歩ごとに、
位置が微妙に“補正”されている感覚。
「……覚えてるか」
修二が言う。
「ここ」
「……ああ」
曖昧に頷く。
覚えている。
はずだ。
だが、
その“はず”が信用できない。
俺たちは物置の前に立った。
扉は閉じている。
鍵は、かかっていない。
なのに、
開けること自体が“侵入”みたいに感じる。
「開けるぞ」
修二が言う。
止められない。
止めるべきなのに。
手が動かない。
修二が扉を引く。
ぎ、と鈍い音。
ゆっくり開く。
暗い。
光がほとんど届かない。
湿った木の匂いが、濃くなる。
その瞬間、
理解が先に来た。
――ここだ。
理由はない。
だが、間違いない。
ここで、起きた。
俺は一歩踏み込んだ。
床板が軋む。
音が大きい。
異様に大きい。
空間が狭いせいじゃない。
音が“逃げない”。
閉じている。
「……こんなだったか」
声が、小さい。
勝手に小さくなる。
「さあな」
修二が後ろから入る。
扉は開いたまま。
光はある。
だが、届いていない。
そのとき、
視界の端に、何かが“合った”。
反射的に見る。
壁際。
空白のはずの位置。
そこに、
立っている。
人の形。
輪郭だけ。
動かない。
「……なあ」
声が出る。
「ここに――」
止める。
言葉にした瞬間、
それが固定される。
もう一度見る。
何もない。
ただの壁。
さっきの“位置”だけが残る。
「どうした」
修二が聞く。
「……いや」
言えない。
言ったら、
“増える”。
俺は奥へ進んだ。
一歩ごとに、
空気が重くなる。
引き戻される感覚。
それでも、進む。
止まれない。
奥の壁に手をつく。
冷たい。
湿っている。
その瞬間、
記憶が“入ってくる”。
暗い。
狭い。
息ができない。
扉を叩く。
音が返る。
開かない。
開かない。
開かない。
――なんで。
声が響く。
内側から。
いや、
外側から聞いた記憶も、同時にある。
「……っ」
呼吸が乱れる。
喉が締まる。
手が離れない。
壁に張り付く。
そのとき、
背後で音。
ぎ、と。
振り返る。
修二が扉に手をかけている。
「……なにしてる」
声が震える。
予測できている。
止めないといけない。
「やめろ」
言う。
体が動かない。
「やめろって」
もう一度。
届かない。
修二がこちらを見る。
焦点が合っていない。
どこか“別の場面”を見ている目。
「……再現だよ」
低く言う。
「思い出せないなら、同じ状況にすればいい」
手順をなぞるみたいに。
感情がない。
「ふざけんな」
声を張る。
だが弱い。
逃げられない。
「やめろ、開けとけ」
「すぐ開ける」
扉が閉じていく。
光が細くなる。
細く、
細く。
「やめろって言ってんだろ!」
叫ぶ。
その瞬間、
“重なる”。
同じ声。
同じ叫び。
同じ暗さ。
内側から叩く音。
外側で聞く音。
どっちだ。
どっちが、
今の俺だ。
境界が崩れる。
扉が閉まる。
完全に。
光が消える。
暗闇。
完全な遮断。
息ができない。
喉が締まる。
首に、
手。
見えないのに、
ある。
締めている。
締められている。
両方。
同時に。
息が――
開く。
光。
空気。
現実が戻る。
俺は崩れ落ちた。
激しく咳き込む。
肺に空気が刺さる。
「……は、っ……」
視界が揺れる。
修二が立っている。
見ている。
ただ、見ている。
「……思い出したか」
静かな声。
逃げ場はない。
断片が繋がる。
暗い場所。
閉じ込める。
鍵。
回す。
音。
そして――
俺。
その瞬間、
拒絶が割り込む。
強制的に切断される。
「……違う」
言葉が漏れる。
「違う」
繰り返す。
それしかできない。
修二は黙っていた。
観察している。
結果を待つみたいに。
やがて、小さく息を吐く。
「……まだか」
予定通り。
そう言っている響き。
俺は顔を上げた。
修二を見る。
一瞬、
“知らないやつ”に見えた。
すぐに戻る。
「戻るか」
何事もなかったみたいに言う。
俺は頷くしかない。
外に出る。
空気が軽い。
だが、
喉の奥に残る。
締められていた感覚。
俺は首に手を当てた。
何もない。
それでも、
“形”だけ残っている。
そのとき、
気づく。
庭の中央。
自分たちの位置。
そして、
もう一つの位置。
わずかにずれている。
そこに、
“いるはずの場所”。
空白なのに、
完成している。
最初から、
そこに立っていたみたいに。
視線を逸らす。
見てはいけない。
理由はない。
だが、確信がある。
家に戻る。
廊下を歩く。
足音が響く。
だが、
距離が合わない。
部屋の配置が、
わずかにずれている。
立ち止まる。
振り返る。
何も変わっていない。
はずなのに、
正しい形がわからない。
「……どうした」
修二の声。
「いや……」
首を振る。
言えない。
言葉にならない。
ただ、
一つだけ確かだ。
ズレている。
何かが。
場所か。
記憶か。
それとも――
自分か。
さっき、
物置の中で、
“二つ”あった。
内側と外側。
閉じ込める側と、
閉じ込められる側。
どちらも、
同時に存在していた。
そして今も、
消えていない。
俺の中に残っている。
――どっちが、本当だ。
答えは出ない。
出そうとすると、
また止められる。
だから、
考えない。
考えないまま、進む。
それしかできない。
それが正しいのかも、
もうわからない。




