第7章 第3話「ずれているのはどちらか」
しばらく、誰も何も言わなかった。
写真は、俺の手の中にある。
三人。
完成された構図。
何もおかしくない。
そのはずなのに、
部屋の空気だけが、妙に重い。
視線を上げる。
修二がこちらを見ていた。
さっきまでとは違う目。
迷いは、もうない。
代わりに、
何かを決めたような硬さがある。
「……なあ」
低い声。
「ちょっと、確認させてくれ」
「何を」
「昔のこと」
その言い方に、
わずかな引っかかりを覚える。
だが、
すぐに消える。
問題ない。
普通の会話だ。
そう思える。
「覚えてるか」
修二が続ける。
「この家の庭で遊んでたときのこと」
「ああ」
頷く。
蝉の声。
土の匂い。
湿った空気。
断片的なイメージはある。
「三人でいたよな」
「……ああ」
自然に答える。
疑問はない。
それが前提だ。
修二は、わずかに息を吐いた。
「じゃあ、そのときのこと、どこまで覚えてる」
「どこまでって……」
考える。
だが、
思い出そうとすると、
細部がぼやける。
映像はあるのに、
中身が抜けている。
「……細かくは」
「だよな」
即座に頷く。
予想していたみたいに。
「じゃあ、これ」
ポケットから何かを取り出す。
小さな、古びたキーホルダー。
金属製で、傷だらけだ。
それを見た瞬間、
胸の奥に、ざらりとした感触が走る。
「覚えてるか」
差し出される。
俺は無意識に手を伸ばしかけて、
途中で止めた。
触れたくない。
理由はわからない。
「……なんだ、それ」
口に出す。
自分でも、
“嘘だ”とわかる声だった。
修二は、それを見逃さない。
「これ、お前のだろ」
「違う」
即答だった。
考えるより先に出た言葉。
それが、
自分でも少し怖かった。
「……そうか」
修二はそれ以上追及しない。
ただ、
わずかに視線を落とす。
その仕草に、
確信が混じる。
「じゃあ、これも覚えてないか」
今度は言葉。
「裏の物置で、鍵かけて遊んでたこと」
その瞬間、
頭の奥で何かが引っかかる。
ざらりとした記憶。
暗い空間。
木の匂い。
閉じ込められる感覚。
そして――
首。
圧迫。
息が詰まる。
「……」
言葉が出ない。
“知らない”とは言えない。
沈黙が、答えになる。
修二が、静かに言う。
「覚えてるよな」
「……」
「俺もいた」
続ける。
「三人で、あそこに入った」
断片が、わずかに繋がる。
三人。
狭い空間。
逃げ場のない空気。
「……それで?」
無理やり声を出す。
続きを促す。
聞きたくないのに、
聞かずにはいられない。
修二は一瞬だけ目を閉じる。
そして開く。
「一人、出られなかった」
静かな声。
感情を押し殺した響き。
その言葉が、
逃げ場のない形で落ちる。
呼吸が、乱れる。
行き先が、
わかってしまう。
「……誰が」
聞いてしまう。
修二は答えない。
代わりに、
まっすぐこちらを見る。
「……お前、どう思う」
試されている。
俺が、
どこまで“自分でいられるか”。
俺は口を開く。
だが、
言葉が出ない。
いくつか浮かぶ。
どれも違う。
違うとわかるのに、
正しいものが出てこない。
その状態が、
ひどく気持ち悪い。
「……覚えてない」
それしか言えなかった。
修二は、ゆっくり頷く。
「そうだよな」
否定も、肯定もない。
ただ、
事実として受け入れる声音。
「じゃあ、もう一つ」
続ける。
「そのとき、誰が鍵閉めたか、覚えてるか」
その瞬間、
頭の中で何かが弾けた。
映像。
手。
金属の感触。
回す音。
閉まる。
内側から叩く音。
叫び声。
息。
止まる。
「……っ」
息が詰まる。
体が震える。
今のは想像じゃない。
記憶だ。
“やった”感覚がある。
だが、
それを認めることを、
どこかで拒んでいる。
「……知らない」
絞り出す。
修二は黙る。
そして、
静かに言う。
「……俺じゃない」
断定。
迷いのない声。
俺は顔を上げる。
「じゃあ、誰だと思う」
逃げ場はない。
答えは一つ。
それを言わせようとしている。
俺は、
何も言えなかった。
言えば、
すべてが繋がる。
そして、
戻れなくなる。
それがわかる。
だから、言えない。
沈黙が落ちる。
そのとき、
修二がぽつりと呟いた。
「……顔、変わったな」
心臓が止まる。
「何が」
反射的に返す。
「さっきから、少しずつ」
じっと見ている。
「最初に会ったときと、違う」
その言葉が、
静かに突き刺さる。
俺は顔に手を当てる。
感触は同じ。
変わっていない。
はずだ。
なのに、
その確信が持てない。
「……気のせいだろ」
そう言う。
それしかない。
修二は答えない。
ただ、
わずかに視線を外す。
そして、小さく息を吐く。
「……そうだな」
そう言った。
だが、
納得していない声だった。
俺は何も言えない。
部屋の空気が、
さらに重くなる。
逃げ場はない。
そして、
もうほとんど、
一線の上に立っている。
あとは、
どちらが先に踏み越えるか――
それだけだった。




