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3人目のわたし  作者: 無記名
第4章
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第4章 第2話「同期」


 動けなかった。


 背後の呼吸。


 首のすぐ後ろ。


 近い。


 近すぎる。


 温度がある気がする。


 気のせいかもしれない。


 だが、


 気のせいで済ませるには、あまりにもはっきりしている。


 吸う。


 吐く。


 そのリズムが、


 俺の呼吸と、ぴたりと重なる。


 まるで、


 “同じ肺を使っている”みたいに。


 違う。


 それでも、違う。


 そう思おうとする。


 だが、


 身体が納得しない。


 俺はゆっくりと息を止めた。


 確かめるために。


 自分の呼吸を、止める。


 空気が止まる。


 胸が締め付けられる。


 その瞬間、


 背後の呼吸も、止まった。


「……っ」


 息を飲む。


 違う。


 今のは、偶然じゃない。


 完全に一致している。


 俺が止めたから、止まった。


 その事実が、


 頭より先に、身体に理解される。


 逃げ場がない。


 もう一度、ゆっくり息を吸う。


 背後も、同時に吸う。


 吐く。


 同時に吐く。


 ぴたりと一致する。


 完全に。


 ずれが、一切ない。


 俺はゆっくりと目を閉じた。


 見ないために。


 見なくてもわかる。


 “そこにいる”。


 しかも、


 ただいるだけじゃない。


 重なっている。


 同じ位置に。


 同じ動きをしている。


 夢と同じだ。


 あのとき、


 後ろから重なってきた“もう一人”。


 あれと同じ。


 違いは一つだけ。


 これは、夢じゃない。


 現実だ。


 そう理解した瞬間、


 指先に、あの感触が戻ってきた。


 首を掴んでいた感触。


 柔らかさ。


 内側の硬さ。


 脈の動き。


 全部、蘇る。


 俺は反射的に手を握った。


 何も掴んでいない。


 はずなのに、


 “何かを握っている”感覚だけがある。


 そして、


 その“何か”が、


 ゆっくりと、


 同じ高さにある自分の首へと重なっていく。


「……やめろ」


 小さく呟く。


 だが、止まらない。


 腕が、ゆっくりと持ち上がる。


 自分の意思じゃない。


 夢と同じ。


 身体が、勝手に動く。


 首の前に、手が来る。


 触れる寸前で、


 止めようとする。


 力を入れる。


 動くな、と命じる。


 だが、


 もう一つの“動き”が、それを上回る。


 指が、首に触れた。


 冷たい。


 いや、


 冷たいのは、外側だ。


 内側から、じわじわと熱が伝わってくる。


 その温度差が、異様だった。


 指が、ゆっくりと締まる。


「っ……!」


 息が詰まる。


 夢と同じ感覚。


 いや、


 夢よりもはっきりしている。


 これは現実だ。


 痛みがある。


 呼吸が止まる。


 苦しい。


 なのに、


 手は止まらない。


 むしろ、


 背後から、さらに力が加わる。


 二つの力。


 同じ動き。


 完全に重なっている。


 俺は必死に抵抗した。


 腕を引き剥がそうとする。


 だが、


 もう一つの“自分”が、それを邪魔する。


 外す動きと、


 締める動きが、


 同時に存在する。


 どちらも自分。


 どちらも正しい。


 だから、拮抗する。


 だが、


 ほんのわずかに、


 “締める側”が強い。


 指が食い込む。


 呼吸が潰れる。


 視界が揺れる。


 限界が近い。


 そのとき、


 ふと、思った。


 ――これ、知ってる


 記憶じゃない。


 だが、


 “経験している”感覚がある。


 初めてじゃない。


 何度も繰り返している。


 その確信が、


 恐怖よりも先に来た。


「……っ、あ……」


 声にならない声が漏れる。


 その瞬間、


 背後の気配が、わずかにズレた。


 ほんの一瞬。


 呼吸がずれる。


 動きがずれる。


 その隙間。


 俺は反射的に力を抜いた。


 抵抗をやめる。


 締める力に、逆らわない。


 その瞬間、


 均衡が崩れた。


 手が、すっと離れる。


 首から。


 圧迫が消える。


 空気が、一気に流れ込む。


「っは……!!」


 激しく咳き込む。


 肺が焼ける。


 涙が滲む。


 しばらく、まともに呼吸ができなかった。


 床に手をつく。


 身体が震える。


 指先が、まだ痺れている。


 ゆっくりと顔を上げる。


 暗闇の中。


 何もない。


 さっきまであったはずの気配が、


 綺麗に消えている。


 最初からいなかったみたいに。


 俺はしばらく、そのまま動けなかった。


 時間の感覚が曖昧になる。


 数秒か、数分か、それ以上か。


 やがて、少しずつ呼吸が落ち着いてくる。


 喉が痛い。


 触れる。


 今度は、はっきりと違和感があった。


 指先に、段差。


 皮膚のわずかな盛り上がり。


 嫌な予感がする。


 俺はゆっくりと立ち上がった。


 壁際にある鏡へ向かう。


 一歩一歩、足が重い。


 見たくない。


 だが、


 見ないといけない。


 鏡の前に立つ。


 暗い。


 自分の顔が、ぼんやりとしか見えない。


 それでも、


 首のあたりは確認できる。


 ゆっくりと、顔を近づける。


 光の角度が変わる。


 その瞬間、


 はっきりと見えた。


 首に、指の跡。


 五本分。


 内側に食い込んだような、


 赤黒い痕。


 さっきまで、


 確実になかったもの。


 夢でついたはずのもの。


 それが、


 今、ここにある。


「……は」


 乾いた笑いが漏れる。


 否定できない。


 もう、無理だ。


 夢と現実は、


 繋がっている。


 いや、


 最初から分かれていない。


 同じものだ。


 その理解が、


 静かに落ちてくる。


 俺は鏡の中の自分を見た。


 首の跡。


 そして、


 そのすぐ後ろ。


 ほんの一瞬だけ、


 “もう一つの影”が、重なって見えた。


 同じ位置に。


 同じ姿で。


 同じように、


 首に手をかけている。


 瞬きの間に、消える。


 だが、


 確かに見えた。


 俺はゆっくりと目を閉じた。


 もう、わかっている。


 これは、


 外にいる“何か”じゃない。


 ――自分だ。


 そう思った瞬間、


 背後で、


 もう一度だけ、


 微かに息を吸う音がした。

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