第四章 川
その夜。
玲司は夢を見た。
十二歳の夏。
川だった。
水が冷たい。
身体が沈む。
上を見れば、
太陽が揺れている。
父親の声。
「玲司!」
手を伸ばす。
届かない。
肺が痛い。
苦しい。
そして、
誰かがいる。
水の中に、
人間が立っている。
おかしい。
川底ではない。
水面の上だ。
その人物は、
まるで地面を歩くように、
水の上に立っている。
顔は見えない。
服も分からない。
ただ、
裸足だけが見える。
玲司は手を伸ばした。
その人物も手を伸ばした。
指先が触れる。
冷たい。
いや。
冷たいのではない。
重い。
指先から、
何かが身体の中へ入ってくる。
玲司は叫んだ。
水の中なのに、
声が聞こえた。
「まだだ」
そして、
世界が暗くなる。
*
「……っ!」
玲司は飛び起きた。
午前二時十三分。
部屋は暗い。
心臓が異常なほど速い。
玲司は胸を押さえた。
「夢……」
そう呟いた。
だが、
違和感があった。
右手が重い。
手首を見る。
何もない。
なのに、
そこだけ妙に重い。
玲司はベッドから降りた。
そのとき、
床から小さな音がした。
ピッ。
体重計だった。
電源は入れていない。
それなのに液晶が点灯している。
玲司は近づいた。
表示されていた数字は、
21.3g
だった。
玲司は息を止めた。
数字が変わる。
42.6g
そして、
63.9g
玲司は後ずさる。
体重計の上には、
何もない。
それでも数字は増えていく。
106.5。
213.0。
426.0。
そして――
780.0。
部屋の隅が、
暗くなった。
電気が消えたわけではない。
そこだけ、
光が届かなくなったように見えた。
玲司は動けない。
暗闇の中に、
人間の形が浮かんだ。
背が高い。
細い。
裸足。
顔は見えない。
玲司は震える声で尋ねた。
「……誰だ」
返事はない。
「お前は……何なんだ」
人影が一歩、
近づいた。
足は床につかなかった。
それでも、
その瞬間。
部屋の空気が、
重くなった。
玲司は息が苦しくなった。
人影が、
ゆっくりと右手を上げた。
そして、
玲司を指差した。
声がした。
「返せ。」
「……何を?」
「お前が持っているものを」
「俺は何も――」
「持っている」
声が重なった。
玲司自身の声と。
知らない誰かの声。
二つが同時に響いた。
「お前は、
一度死んだ。」
玲司の脳裏に、
川が蘇った。
十二歳。
父親。
水。
そして、
あの足。
玲司は頭を抱えた。
「違う……」
「三分十二秒」
「違う!」
「心停止」
「やめろ!」
「死亡」
「俺は生きてる!」
人影は、
静かに答えた。
「そう」
そして、
初めて顔を上げた。
そこにあったのは、
玲司自身の顔だった。
「だから、
返しに来た。」
世界が、
真っ白になった。




