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恋する金魚は愛で濁った水を啜る  作者: 疾患乙女α


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7/10

【Day6】優しい修復と、剥製の週末

 土曜日の朝。私が恐れていた「検品」の時間は、朝食後の静かなリビングで始まった。

「……どうしたの、これ」

 ソファに座る母の膝の上には、昨日私が傷をつけてしまった革の鞄と、糸がほつれたローファーが乗せられていた。

 母の声に怒りは微塵も混じっていない。ただ、精巧に作り上げた自慢の芸術作品に、信じられない『傷』を見つけてしまった純粋な悲しみと、静かな絶望が滲んでいた。それがひどく恐ろしかった。

「ごめんなさい、私……昨日、人にぶつかられて」

「動かないで」

 言い訳を遮るように発せられた冷たい声に、私の全身は強張った。

 母は立ち上がり、音もなく私の背後に回る。そして、両手で私の頭を優しく、けれど絶対に逆らえない強い力で固定した。


「右肩が三ミリ下がっているわ。

 それに、呼吸が浅い。

 不安な時に瞬きが増える悪い癖、治っていなかったのね」


 母の細い指先が、私のこめかみから首筋、そして肩のラインへと滑り降りていく。

 その指が触れるたび、キャンパスで歪んでしまった私の輪郭が、母の引いた見えない『完璧なマス目』へと強制的に押し戻されていくのがわかった。

「あのね、お母さんは怒っているんじゃないのよ。ただ、あなたが傷つくのが可哀想でならないの。あなたは、この完璧な状態でいる時が一番美しいのだから」

 母はそう言って、私の髪にそっと口づけを落とした。

 その瞬間、私の内側にあった張り裂けそうな恐怖は、奇妙な安堵感へとすり替わってしまった。

 自分で直せなかった靴のほころびを、母が完璧に修復してくれる。自分で選べなかった正解を、母がすべて決めてくれる。

 私はただ、息を潜めて母のマス目の中に収まっていればいいのだ。自分の意志などという不純物さえ持たなければ、私はこの無菌室で、永遠に美しい剥製として愛される。

 大学のあの広大で、誰も正解を教えてくれない恐ろしい自由の世界より、母の支配下の方がずっと息がしやすい。

 自分が一人の人間ではなく、ただの精巧な『モノ』に成り下がっていくことを受け入れた瞬間、私の心はひどく静かに凪いでいた。


【本日の水質記録】

 • 濁度: 0%

 • 状態: 外部からの侵食を完全に修復。再び強固なガラスの箱に密閉される。自我の溶解が進行中。

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