【Day3】
『空きコマ』という言葉の響きは、ひどく間抜けていて、そして暴力的だった。
大学という場所には、講義と講義の間に九十分間の空白が存在する。
同級生たちはそれを「自由時間」と呼び、カフェで時間を潰したり、中庭で談笑したり、あるいはスマートフォンの画面に没頭したりして、思い思いの絵の具でその空白を塗りつぶしていく。
だが、私にとってその九十分は、すべての酸素を抜かれた『真空』でしかなかった。
母の作成した私のスケジュール帳には、物心ついた時から空白など一秒も存在しなかった。
六時三十分に起床。七時から、一口につき三十回咀嚼しての朝食。帰宅後は一時間のクラシック音楽の鑑賞、姿勢矯正のための入念なストレッチ。私の二十四時間は、母の手によって硬質なブロックのように隙間なく組み上げられ、完璧な一つの『一日』という箱を形成していた。
その強固な箱が今、キャンパスという見知らぬ土地で、唐突に九十分間も途切れてしまったのだ。
私は図書館の三階、壁際にある一人用の閲覧席に座っていた。
目の前には、ただ無機質な木目の机が広がっているだけだ。開くべきテキストも、母から指定された教養のための課題図書もない。
「ここでは何をしてもいい。」
誰にも監視されていないという無制限の許可が、かえって私の首を真綿で締め上げていく。
周りを見渡せば、机に突っ伏して眠る男子学生や、イヤホンをして静かに肩を揺らす女子学生がいる。彼らは見事に、自分の意志で『くつろぐ』という行為を選択していた。
しかし、私にはくつろぎ方がわからない。
背もたれに深く寄りかかれば、母が定めた背骨の完璧なS字カーブが崩れてしまう。足を組めば、骨盤の比率が歪み、スカートのプリーツに醜い皺が寄ってしまう。
だから私は、膝の上で両手を正しい角度で重ね合わせ、背筋をピンと伸ばしたまま、ただ正面の白い壁を凝視することしかできなかった。
カチ、カチ、と壁掛け時計の秒針が進む音が、鼓膜をやけに大きく叩く。
エアコンから吹き出す乾いた冷気が、首筋を撫でていく。 冷たい。
鞄の中にあるカーディガンを羽織りたい。けれど、その『カーディガンを取り出して羽織る』という行為すら、今の私には途方もなく高いハードルだった。
母の許可なく、自分の体感温度だけで服を調整していいのだろうか。もしこの少し肌寒い室温が、私の肌を美しく引き締めるために必要なのだとしたら?
狂気じみた妄想だと頭の片隅ではわかっているのに、見えないマス目に縛られた私の体は、自分の意志で指先一つ動かすことができない。
ショーウィンドウに飾られたマネキンは、閉店後に照明が落とされた後、こんな気持ちで朝を待っているのだろうか。
誰からも見られず、何の役割も、いかなる指示も与えられない真空の時間。
自分がゆっくりと透明になって、この木目の机や冷たい空気と同化して消えてしまうような錯覚に陥る。私はただ、自分がここに『存在』していることを繋ぎ止めるために、浅く、音の出ない呼吸を繰り返すしかなかった。
やがて永遠のような九十分が経過し、次の講義の始まりを知らせる予鈴が鳴り響いた瞬間。
私は安堵のあまり、泣き出しそうになっていた。
指定された教室へ向かうという『指示』が与えられたことで、ようやく私は、私という輪郭を取り戻すことができたのだ。
自分の意志を持たない空っぽの器にとって、自由ほど恐ろしい拷問はない。
私は私を、一秒の隙間もなく完璧に支配し、正しい形に固定してくれる強い糸を、無意識のうちに渇望し始めていた。
【本日の水質記録】
• 濁度: 0%
• 状態: 長時間の真空状態への曝露により、精神の輪郭が著しく摩耗。水流は完全に停滞し、重度の酸欠を引き起こしている。




