第1部 終焉戦争の末路・前編
十五歳の誕生日に、エリアーナ・ルミナリアは死ぬつもりだった。
正確には、自分の命を使って戦争を終わらせるつもりだった。
それが精霊使いとして生まれた自分の役目であり、逃れられない運命なのだと、幼い頃からそう教えられてきたから。
だから、その日が来るまで誰にも言わなかった。
父である国王にも。
王立騎士団にも。
そして、いつも自分の隣にいた専属護衛にも。
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終焉戦争末期。
ルミナリア王国と周辺諸国との戦争は長期化し、十五歳の第一皇女エリアーナもまた、精霊使いとして戦場へ立っていた。
十四歳で王命による戦場投入が決まった時、ひとつだけ条件が付けられた。
――専属護衛、ノクス・ルシアンを必ず同伴させること。
八歳年上の青年。
王立騎士団に所属する騎士であり、白銀の髪に端正な顔立ち。無慈悲なまでに感情を凍らせて戦うその姿から『氷の騎士』と呼ばれていた男。
そして今では、戦場での苛烈な戦いぶりから別の異名までついている。
――戦場の鬼。
「……ひどい名前だよね」
エリアーナが言えば。
「女神様に言われたくない」
ノクスは即座に返した。
「私も好きで呼ばれてるんじゃないもん」
「俺だってそうだよ」
そんな会話をしながら、二人は今日も戦場から戻ってきた。
泥と砂埃にまみれ、ところどころ傷を作って。
それでも、二人で支えながら生きてきた。
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その日の夜。
王城に戻ったエリアーナは、ノクスと二人きりで過ごしていた。
十五歳の誕生日。
本来なら王女の誕生日として盛大に祝われてもおかしくない日だったけれど、戦時中の今はそんな余裕もない。
小さな手作りケーキ。
はちみつをたっぷり入れたミルクティー。
ノクスが用意してくれた、ささやかな。だけど幸せな時間だった。
「十五歳の誕生日おめでとう。エリアーナ」
「ありがとう」
エリアーナは笑った。
ちゃんと笑えたと思う。
けれど、胸の奥では……ずっと別のことを考えていた。
十五歳。
とうとう――この日が来た。
精霊使いとして生まれた自分が、役目を果たす年齢になってしまった。
六大精霊の力をすべて解放する。
自分自身を媒介として、命そのものを攻撃魔力へ変えて。
そうすれば、戦争を終わらせられる。
ルミナリア王国のたくさんの人を救える。侵攻三国連合の人は――多分、精霊使いと道連れになる。
ノクスは――きっと、生きられる。
それなら、いい。もう十分すぎるくらい、思い出は受け取ったから。
エリアーナは、そう思っていた。
ずっと、そう思おうとしていた。
「エリアーナ?」
呼ばれて、顔を上げる。
「なに?」
「今日、変だぞ」
「そうかな?」
「ああ」
ノクスは誤魔化されなかった。
十二歳の頃から、ずっと自分を見てきた人だから。
嬉しい時。
怒っている時。
無理をしている時。
泣きたいのを我慢している時。
たぶん、自分より。他の誰よりも『エリアーナという人』を知っている。
「……ノクス」
「ん?」
言わないつもりだった。
最後まで秘密にして。
いつか戦場で精霊使いの力が必要な時が来たら――ただ使えばいい。
けれど――声が勝手に出た。
「私ね」
指先が震えた。
「十五歳になったら、死ぬんだって」
ノクスの動きが止まった。
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「え……何?」
低い声だった。
怒っているわけではない。
ただ、意味が分からない。そんな声が部屋の中で静かに広がる。
エリアーナは膝の上で手を強く握りしめた。
「精霊使いの本懐」
「……本懐?」
「うん」
精霊使いとは、ルミナリア王国の六大精霊と契約できる人間。
王国内で稀に生まれる、特別な存在であり『唯一無二』とされている。
その力を最大まで引き出せるようになるのが、十五歳頃。
そして――精霊使いには、最後の役目がある。
「自分の身体を媒介にして、六大精霊の力を全部解放するの」
ゆっくり説明する。
「そうしたら、とても大きな魔法が使えるの」
「……それで?」
エリアーナは、少しだけ笑おうとした。
「私が、死ぬ」
笑えなかった。やっと出た言葉だった。
エリアーナの表情と声色で、ノクスの顔から表情が消えた。
「誰から聞いた」
「……言いたくない」
「エリアーナ? 誰に教えられた?」
「……お母さま」
王妃エステラ。
エリアーナの実母だ。
幼い頃から何度も何度も。エリアーナは母から教育として教えられた。
精霊使いとして生まれた意味。
王家に生まれた意味。
その命を、国のために使うこと。
だから、覚悟していた――はずだった。
ノクスが静かに立ち上がる。
「待って! どこ行くの?」
「確認する」
「誰に?」
「全員だよ」
声が冷たい。
「国王陛下にも、団長にも、精霊研究に関わった人間にも。そんな話、俺は一度も聞いてない」
「でも――」
「でもじゃない」
エリアーナの体がびくりとする。
即座に気づいて、ノクスは一度目を閉じた。深く、息を吐く。
そして、エリアーナの前へしゃがみ、目線を合わせる。
「ごめん。怒鳴るつもりはない」
「……うん」
「ただ、確認させてくれ」
白銀の髪が、少しだけ揺れる。
「お前は、それをやるつもりなのか?」
エリアーナは、答えられなかった。
昨日までなら頷けたかもしれない。
戦争が終わるなら。みんなが助かるなら。
それが――精霊使いとして生まれた自分の役目なら。
でも、十五歳になった。
今日、小さなケーキを食べた。大切なプレゼントも贈ってもらった。
ノクスに『おめでとう』と言ってもらえた。
明日も、また。一緒にいたいと思った。
その次の日も、もっと……先も。
「……怖い」
ぽつりと声が落ちた。
ノクスは何も言わない。
「ずっと、大丈夫だと思ってたの」
自分は王女だから。精霊使いだから。みんなを守れるなら、それでいい。そう……思っていた。
「でもね?」
エリアーナの視界が滲む。淡い紅の瞳に、涙が溢れている。
「死ぬの……怖いよ?」
初めて言った。声に出せた。
誰にも、言えなかった。
言ってはいけないと思っていた。役目から逃げる言葉だから。
「私……」
涙が静かに頬を伝う。
「死にたくない」
ノクスの瞳が揺れた。
「もっと生きたい」
十五歳。
まだ知らないことがたくさんある。
行ったことのない場所。食べたことのないもの。見たことのない景色。
戦争が終わった世界が、どんなものなのかも知らない。
「ノクスと……」
声が震える。
「もっと一緒にいたい」
次の瞬間――エリアーナの身体は強く抱きしめられていた。
「……っ!」
「だったら」
耳元で、ノクスの声が静かに響く。
「生きろ」
迷いなど一切なかった。
「でも」
「生きたいんだろ?」
「……うん」
「じゃあ生きろ」
ノクスはあまりにも簡単に言う。
まるで、それ以外の答えなど最初から存在しないみたいに。
「精霊使いの本懐だか何だか知らないけどな」
ノクスの腕に力が入る。
「そんなもののために、お前が死ぬ必要なんかない」
「でも、戦争が――」
「別の方法を探す」
「そんな簡単に……」
「簡単じゃなくていい」
ノクスは身体を離す。
そして、泣いているエリアーナの顔を真正面から見た。
「時間がかかってもいい。難しくてもいい。俺も探す」
「ノクス……」
「お前一人で決めるな」
その言葉に、エリアーナは目を見開いた。
「自分の命を勝手に使うな」
怒っている。
だけどその怒りは、エリアーナへ向けられたものではなかった。
「俺は、お前を生きて帰すために戦場へ行ってる」
王命だから。専属護衛だから。それだけではない。
「なのに、お前が最初から死ぬつもりだったら、俺は何のために隣にいるんだよ」
「……ごめんなさい」
「謝るな」
「でもっ」
「謝らなくていい」
ノクスは、もう一度エリアーナを抱きしめた。
今度は先ほどより、ずっと優しく――。
「生きたいって言ってくれて良かった」
エリアーナの涙がまた溢れた。
「……いいの?」
「何が?」
「私、生きてもいいの?」
ノクスは一瞬言葉を失った。
それから、少しだけ困ったように笑った。
「当たり前だろ」
十五歳の少女が、ただ生きたいと願う。
そんなことに許可なんて必要ない。
「エリアーナ」
「……うん」
「約束しよう」
ノクスは、そっと手を差し出した。
戦場で、何度もエリアーナを引き上げた大きな掌。
「お前は死なない」
「……うん」
「俺も死なない」
「うん」
「二人で生きて帰る」
エリアーナは、その手を見つめた。
そして、そっと震える自分の手を重ねる。
「……約束?」
「ああ」
指をお互いに絡め、優しく握りしめた。
「約束だ」
その夜――二人は初めて運命に逆らうことを決めた。
国のため。
王家のため。
精霊使いとして。
そうやって、用意されていたひとつの結末から抗うと決めた日だった。
十五歳で命を終える少女の運命。
それを、専属護衛の青年は認めなかった。
そして、少女自身も初めて認めた。
――死にたくない。
――生きたい。
世界を変えるには、あまりにも小さな願いだった。
けれど、二人にとってはすべての始まりだった。
ここから、エリアーナ・ルミナリアとノクス・ルシアンの運命に抗う物語が始まる。
十五歳で死ぬはずだった王女を、一番近くで見てきた専属護衛の青年は。
彼女がこれからも生きていく道を、どうしても諦めなかった。




