書薦の儀:文倉アリス④
三限の授業を終え、悠久の書館へと続く森の小道を歩いていると、前方にイリスの後姿を見つけた。
「イリス!」
「……あ、河本先輩」
俺の姿を見て、イリスは嬉しそうに顔を綻ばせる。相変わらずズルい笑顔だよなと思いながら、彼女の横へ並ぶ。
「あ、そうだ。昨日は何も言わずに帰ってしまって、すみません」
「良いよ。アリス先輩に聞いた。気を使ってくれたんでしょ?」
話しながら自然と、俺とイリスの足は書館の方へと進んでいく。
「えっと、はい。とても楽しそうに読書をしていたので、邪魔をしちゃ悪いなと思って」
「俺、独り言とか言ってなかった?」
「あの……はい。結構言っていました」
本の内容に夢中で気が付かなかったが、どうやら俺はアリス先輩から薦められた本の読書中にも、悪癖を発動させていたようだ。
自重せねばという思いはあるが、中々に癖というものは抜けないものだ。
「ごめん。うるさかった?」
「いいえ、気にしていませんよ。寧ろ、あんな感情表現豊かに本を読む人は珍しいって、みんな笑っていました」
そう言われると、少し恥ずかしい気持ちになった。やはり、この癖は早くなんとかすべきだろう。
小道の両脇には落ち葉が積もり、ところどころ緑の苔が柔らかく広がっている。足元では小枝がパキリと音を立て、鳥の囀りがどこからか響いてきた。そんな森の小道を抜けた先に見えてきたのは、あの悠久の書館だ。
「なんていうか、イリスには感謝だね」
「え? 感謝、ですか?」
「昨日出会ったばかりなのに、こんなにも素敵な場所を紹介してくれて、感謝しかない」
訪れるのは、これで二度目。
その外観を見ると、まるで異世界に迷い込んだような気分にまたしても陥った。
「ずっと、先輩の事は誘いたいって思っていたんです。あんなに楽しそうに本を読む先輩が、もし私の本を……」
そこで、イリスは言葉を不自然に切った。まるで、その先を言ってはいけないと自分に言い聞かせるように、手で口を抑えている。
「私の本?」
「あ、いえ、何でもないです……先輩がこの場所を気に入ってくれて良かったです」
言いたい事を無理やり抑え込んだような不自然さを感じたが、俺は特に追及する事もなく頷いて見せる。
「凄く気に入ったよ。アルバイトがなければ、毎日だって来たいくらいだ」
「あ、アルバイト……されてるんですね」
「うん。今は週に三、四くらいでシフト入ってるから。そういう日はここに来られないかな」
「そうですか……アルバイト」
何がそんなに気になるのだろうか。俺がアルバイトをしていると聞いて、イリスは何かを考え込んでしまった。
そうこうしている間に、書館の扉前へと辿り着く。イリスが鞄から古めかしいアンティーク調の鍵を取り出して、それを錠前へと差し込んだ。
イリスに続いて、館内へと入っていく。そこから広がる景色は、書架の迷宮だ。二階の回廊に設置された窓から差し込む光が線となって、一階へと降り注いでいる光景は幻想的だった。
立ち並ぶ書架の合間を抜け、書館の中央部分にある団欒の間へとやってきた。
そこには腕を組んだまま椅子に座り、テーブルに視線を落とすアリス先輩。そんな彼女を、頬に手を当てながら見つめている雪村さんの姿があった。
杉山さんの姿は見えないが、どこかで本でも読んでいるのだろうか。
「あら、イリスお嬢様と河本様。今日もご一緒で、仲がよろしいですね」
「え、えっと、さっき、そこで、たまたま会って!」
「雪村さん、こんにちは」
あたふたしているイリスを横目に、俺は雪村さんに頭を下げる。それから、アリス先輩の方へと目を向けた。
「アリス先輩は、どうしたんですか?」
「それが、私にもよく分からずでして。先ほどまでは書架の一角で読書をしていた筈なのですが、ここにやってきてからはずっとあの状態で……たまに溜息を吐いたり、頭を抱えたりと心配していた所です」
雪村さんの言葉を聞き、三人の視線が一斉にアリス先輩へと集中した。
「う……うう……」
なんか、呻いている。怖い。
「あ、ああ……アリスちゃんが、可愛いの」
潤んだ瞳で、アリス先輩はそんな事を言っていた。
自画自賛しているように聞こえるなあ……。
俺はなんとなく、アリス先輩がこのような状態になっている理由を察したのだが、雪村さんとイリスは訳が分からないといった表情を見せていた。
それはそうだろう。俺だって事情を知らなければ、急に自分の事を可愛いと言い始めた変な女にしか見えない。
「アリスちゃんを……私の妹にしたい。いいえ、アリスちゃんだけじゃなくて、彩夏ちゃんも妹にしたい」
「……先輩にはイリスがいるでしょ」
「イリスとアリスと彩夏、三人からお姉ちゃんって慕われたい。ハーレムを作りたい」
ちょっと、何を言っているか良く分からない。
だが、この様子を見る限り、俺の薦めた本である【神様のメモ帳】を大分お気に召されたようだった。
「感想は、聞くまでもなさそうですね」
「……あ、もしかして、本の話ですか?」
ようやく合点がいった様子で、イリスが訊いてくる。俺がそれに頷くと、雪村さんも「なるほどー」と柏手を打っていた。
「うう、認めるわ。私はライトノベルというものを舐めていた。貴方に薦めてもらった本は、私の心を揺さぶって離さなかったわ」
「気に入ってもらえて、良かったです。そんなアリス先輩に、耳寄りな情報がありますよ」
「耳寄りな情報? 何よ?」
「神様のメモ帳はシリーズ化しています。全九巻で完結です」
「な、なんですって!」
驚きに目を見開くアリス先輩。何だか俺は、この人を見ているのが面白くなってきて、つい笑いそうになった。
「書店に行ってくる!」
俺から情報を得たアリス先輩が、脱兎の如く駆け出す。
「え、アリス先輩! シリーズ全部持っているから、今度持ってきますよ!」
「バカ! そんなの待てる訳ないでしょ!」
あっという間に、この場からアリス先輩はいなくなってしまった。
俺とイリスと雪村さんは、顔を合わせて苦笑いを浮かべる他なかった。
「先輩、凄いです。お姉ちゃんがあんなに夢中になるなんて……どんな本を薦めたんですか?」
「ミステリが好きだって聞いたから、それに合わせてミステリを題材としたライトノベルを薦めてみた。まさか、あんなにハマるとはね」
「……良いな。私も早く、先輩と書薦の儀をしたいです」
「あらあら、駄目ですよ、イリスお嬢様。昨日、順番を決めたではありませんか。次は私の番ですよ」
そう言われて不満そうに口を尖らせるイリスの両肩に手を置き、俺に視線を送るメイド姿の雪村さん。
さて、この人はどんな本を俺に薦めてくれるのだろうか。
彼女の柔らかな笑顔を受けながら、俺は期待に胸を膨らませるのだった。




