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書薦の儀:文倉アリス②

【綾辻行人著・十角館の殺人】

 角島と呼ばれる無人の孤島を訪れた大学の推理小説研究会の一行。


 その島にはかつて、凄惨な事件によって焼け落ちた青屋敷跡と、奇抜なデザインである十角形の館が存在していた。


 推理小説研究会一行の目的は、その十角形の館で一週間の合宿生活を送ることだった。


 一方で、本土では研究会や過去の事件の関係者宛に一通の怪文書が届く。


 その内容は、過去に推理小説研究会にいたメンバーの事故死について告発するものだった。


 本土にいるメンバーは、過去に起きた事件の真相を解明するために調査を開始していく。


 そんな中、島の方では殺人事件が発生するのだが……。

 

 ◇   ◇   ◇


 ――パタリと、本を閉じる。


 アリス先輩に案内された書架の一角、その傍に設置された椅子に座って本の世界に浸っていた時間はどれ程だろう。


 ふと見れば、二階の窓から見える外には夜が広がっていた。


 書館の中はいつの間にか明かりが灯っており、相変わらず静謐な空気に包まれている。


 本を読み始める前には一緒だったアリス先輩の姿は近くになく、この広大な館内に俺一人しか存在しないのではないかという錯覚に囚われた。


 周囲の状況を確認した後、椅子の背もたれに深く腰を預ける。


 少しだけ、余韻に浸りたい気持ちだった。


 物語の終盤、全ての謎が明かされた時には思わず息を呑んだ。


 まさか、こんな形でくるなんて。


 読み進めている間、確かにヒントはあった。違和感も、引っかかる部分もあったはずだ。


 けれど、それらは巧妙に隠され、当たり前のように物語の中へ溶け込んでいた。


 気づけた筈なのに、気づけなかった。


 物語の内容を思い出すだけで、心臓が速く脈打つような感覚を覚えた。


 もう一度、最初のページを捲りたくなる衝動に駆られる。


 すべてを知った今なら、見える景色が違うかもしれない。


 あの言葉、あの場面、あの瞬間を、もう一度読みたい。


「読み終わったの?」


 最初のページを捲ろうとしていたその行為を、止めるように声がかかった。


 すぐ傍にある書架の間から、アリス先輩が顔を出している。


 その顔が、少しにやついているように見えるのは気のせいではないだろう。


「もう一度、最初から読みたくなる気持ちは凄く分かるけれど、それはまた今度にしときなさい。もう夜も遅いわ」


 言われて時刻を確認すると、既に夜の十時半を過ぎていた。


 ここから更にもう一読、なんて事をしたら終電を逃してしまいそうだ。


「感想は、まあ聞くまでもなさそうね」

「そう……ですね。もっと早く読んでおけば良かったと、今は後悔しています」

「その言葉が聞けて満足だわ。さあ、今日はもう帰るわよ。ここは十一時で閉館なんだから」

「あ、そうなんですね。他の人達は?」

「真白はまだ団欒の間にいるわ。戸締りとかは、彼女がやってくれるから。イリスと杉山さんは、読書に夢中な貴方の邪魔をするのも悪いからって先に帰っていったわよ」

「そうですか……アリス先輩は、待っていてくれたんですね」

「まあ、その本を薦めたのは私だしね。ほら、帰るわよ」


 アリス先輩から急かされるようにして、俺は今まで読んでいた【十角館の殺人】を書架へ戻す。


 一度団欒の間へ顔を出し、そこで読書をしていた雪村さんに挨拶を済ませた後、アリス先輩と一緒に悠久の書館を後にした。


 来る時にはイリスと歩いた森の小道を、今度は逆方向へアリス先輩と歩いていく。


 足元の小道は、落ち葉が敷き詰められたように柔らかく、踏みしめるたびに僅かに沈む。


 頭上では木々の枝がゆるやかに風に揺れ、時折カサリと葉擦れの音を響かせた。


 この道は、思っていたほど暗くはない。


 等間隔に設置された外灯が、まるで夜道を導く灯火のように、ぼんやりとした橙色の光を投げかけているからだった。


 その光が作る影が長く伸び、俺とアリス先輩の歩みに合わせてゆらゆらと形を変えている。


 外灯の間に入ると一瞬だけ闇が深まり、再び次の光に包まれる。まるで、静かなリズムを刻んでいるようだった。


 横を歩くアリス先輩の顔を見る。真っ直ぐ前を見る彼女が、何を考えているのかは分からない。


 ただ、外灯に照らされるその横顔を見て、素直に綺麗だなと思った。


 俺の視線に気づいたのか、アリス先輩がこちらを見て小さく微笑んだ。そのギャップに、やられてしまったのかもしれない。


 つい数時間前に出会った時にはどこか攻撃的で面倒な人という印象だったのだが、夜空の下で微笑んだ彼女に、少しだけ胸が高鳴ってしまった。


「読んだ本の話がしたくてウズウズしている……そんな顔ね」


 違います。アリス先輩を見て、綺麗な人だなと思っていました。


 そんな事を口に出して言える筈もない俺は、素直に頷いて見せた。


「十角館の殺人って確か、シリーズ物なんですよね?」

「ええ。館シリーズとして、現在では九冊が刊行されているわ」

「十角館を読んで、シリーズを通して読みたくなりました」

「でしょうね。私も、そうだった。でも河本君には、それよりも前にやる事があるわよ」

「やること?」

「十角館の内容が衝撃的すぎて忘れたの? 書薦の儀。今度は君が、私に本を薦める番よ」


 そうだった。アリス先輩が俺に十角館の殺人を薦めてくれたように、俺も彼女に本を薦めなければならない。


「ライトノベルを私に薦めるって言っていたけど、大丈夫かしら? あの傑作中の傑作を読んだ後で、私に薦められる本が思い浮かぶ?」


 確かに、十角館の殺人は傑作中の傑作だった。後世に語り継がれる程の、本格ミステリである事は間違いない。


 でも、俺は知っている。ライトノベルやライト文芸にだって、心を震わせるような素晴らしい作品が沢山あるのだ。


「大丈夫ですよ。アリス先輩があの館にある書架に並べたくなるような作品を紹介してみせます」

「大した自信ね。楽しみにしているわ」


 不敵に笑う彼女を見て、俺の脳裏では既に今まで読んだ数々の作品が浮かび上がっているのだった。

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