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悠久の書館④

 ある程度の場所を回り切り、先ほど雪村さんに案内してもらった一階にある団欒の間へと戻ってきた。


 そこに置いてある椅子に、先ほどまではいなかった男性が座っていた。


「おや、見知らぬ方がいるね。どなたかな?」


 少ししわがれた、落ち着きのある声だった。


 歳を召しているように見られたのは、細く刻まれた皺のひとつひとつが長い年月を静かに語るように刻まれていたからだろう。


 老眼鏡の奥にある瞳は柔らかく、まるで春の日差しのように優しい。


 彼は穏やかな笑みをたたえ、どこか温もりを感じさせる温厚そうな雰囲気をまとっていた。


「雅史様。こちら、イリスお嬢様のご学友で、河本了太様です」

「ほう、イリスちゃんの……ということは、久しぶりに書薦の儀を行うのかな」

「……書薦の儀」


 聞きなれない言葉を耳にして、思わず呟いてしまった。


 その言葉についての説明は、まだ無いらしい。二人は、まるで焦らすように俺を見て笑うだけだった。


「はい、そうなると思います」

「それはそれは、楽しみだね。初めまして、河本君。僕は杉山雅史すぎやままさし。ここの所有者だった文倉源六とは旧知の中でね、悠久の書館にいるメンバーの中では、一番の古株だよ」


 そう言って、杉山さんが俺に握手を求めてきた。俺はそれに応じながら、頭を下げる。


「初めまして。雪村さんのご紹介にあった通り、イリスと同じ大学に通っている河本了太と言います。よろしくお願いします」


 それぞれ自己紹介を終えた後、杉山さんと手を離したタイミングで、こちらへと近づいてくる足音が聞こえた。


 振り返ると、ちょうど団欒の間に文倉アリスとイリスの二人がやってきた所だった。


「全員揃いましたね。イリスお嬢様、彼に書薦の儀の説明をしてもよろしいでしょうか?」

「えっと、良いよね、お姉ちゃん」

「……別に良いけど」


 文倉アリスは相変わらず俺の訪問を歓迎していない様子だが、そのよく分からない書薦の儀とやらの説明を受ける許可は得られたようだ。


 この場に集まった四人全員が、団欒の間に設置してある椅子に自然と腰を落ち着けた。


 俺も座るべきだろうかと逡巡していると、雪村さんがすぐに俺にも椅子を勧めてくれる。


 礼を言ってから、彼女が勧めてくれた椅子に座らせてもらった。


 それを確認した後、この場にいる全員を見回してから、メイド姿の雪村さんが口を開く。


「それでは、河本様。書薦の儀について、説明をさせて頂きます。難しい内容ではございません。雅史様、イリスお嬢様、アリスお嬢様、そして私。ここにいる書館のメンバーと河本様が本を薦めあう……ただそれだけの儀式です」

「本を薦めあう儀式……なるほど、俺の薦めた本が皆さんのお気に召さなければ、入館許可は得られないとかですか?」

「いいえ、そんなことはありません」


 即座に否定される。どうやら、俺の読みは外れたようだ。


「あ、河本先輩、そんな固く考えなくて大丈夫です。これはただの、お遊びみたいなものですから」


 イリスの言葉に、儀式という言葉に対する緊張を感じていた俺の身体から強張りが抜けていくような気がした。


「イリスお嬢様の仰る通り、これは源六様がご存命の時から続いている、通過儀礼のようなものです。悠久の書館のメンバーは皆、ビブリオフィルとして本を愛しています。そんなメンバーが薦める本を河本様が読み、そのお返しに河本様も本を薦める。そうする事で、新旧メンバー間の交流を図る事が目的となっています」


 ――書薦の儀。


 その言葉の通り、書を薦め合う儀式という訳だ。


 こうやって聞いてみると、面白そうな儀式だと感じた。


 ここにいる四人の愛書家達は、一体俺にどんな本を薦めてくれるのだろう。


 それを考えるだけで、ワクワクした。


 俺も本というものを愛している。


 特に小説は小さい頃から読み続けており、今では小説を読むという行為自体が生活の一部となっている程だ。


 この四人にどんな本を薦めようか。それを考えるのも、また面白そうだった。


「それでは、書薦の儀の順番を決めたいと思うのですが……あら」

「私からやるわ」


 文倉アリスが勢いよく、その右手を挙げていた。


 これは意外だ。彼女は俺の加入をあまり快く思っていないと感じたのだが、想定外の積極性を見せた事に驚きだった。


「河本君で、良いわよね。年下だし」

「はあ、どうぞお好きに」

「……生意気そうな後輩ね」

「後輩?」

「そうよ。貴方は二年、私は三年。私は貴方の先輩ってこと」

「同じ大学に通ってるんですか?」

「ええ。先輩なんだから敬いなさい」

「はあ……了解っす。アリス先輩」

「ちょっと、名前で呼ばないでよ。馴れ馴れしいわね」

「……分かりました、文倉先輩」

「うーん、なんか、しっくり来ないわね。アリス先輩で良いわ」

「……」


 面倒くさい人だなーとつい思ってしまったが、口には出さないでおいた。


 妹であるイリスとは、性格が全然違う。彼女の爪の垢を煎じて、飲んだ方が良いのではないだろうか。


 見れば俺たちのやり取りを見て、他の三人は苦笑いを浮かべていた。


 うちの先輩がすみませんねと、心の中で謝っておく。


「で、私から本を薦める前に聞いておきたいんだけど、河本君は普段、どんな本を読んでるの?」

「そうですね、基本的には小説ばっかり読んでます」

「なるほど、なら貴方に進めるのは小説が良さそうね。どういう小説をよく読むの?」

「色々読みますけど……特に一番好きなのはライトノベル、後はそこから派生したライト文芸ですかね」


 場の空気がすっと静まり返る。変な事を言ったつもりはないのだが……。


「ライトノベルって……あれよね? オタクの人が読むやつ」


 おっと、凄い偏見がアリス先輩の口から飛び出してきた。


 これは臨戦態勢に入ったほうが良いかもしれない。


「私はその手のものを全然読んだことないのよね」


 腕を組みながらアリス先輩。


「私もライトノベルには、まだ手を付けた事がないですね」


 頬に手を当てながら真白さん。


「僕の若い頃には無いカテゴリーだったからねえ。この歳になると、若者向けのストーリーには付いていけない気がしてね」


 老眼鏡を指で支えながら杉山さん。


「あ、私は数冊読んだことありますよ。この書館にも、私が読んだものが数冊だけですが並べてあります」


 フォローするようにイリス。


「え……数冊だけ?」

「あ、はい。数冊……だけです」


 なんて……ことだ。


 ここにいるメンバーは愛書家を名乗っておきながら、ライトノベルやライト文芸の素晴らしさを、まだ知らないのか?


 ここには数えきれない程に無数の書架があるのに、並べられているのはイリスが読んだ数冊だけ?


 その事実が、俺には信じられなかった。


 それと同時に、謎の使命感が心の奥底から湧き上がってくるのを感じた。


「そうですか……決めました。俺は貴方たちに、ライトノベルやライト文芸を薦める事にします」


 文倉イリス。

 文倉アリス。

 雪村真白。

 杉山雅史。


 俺の言葉に多様な反応をみせる愛書家達に、ライトノベルやライト文芸の素晴らしさを伝えられるのは、俺しかいない。


 彼女達が、どれほど素晴らしい本に今まで出会ってきたのかは分からない。


 でも、俺だって様々な本に心を動かされてきた人間だ。


 その中には、ライトノベルやライト文芸というジャンルに属する作品も多くあった。


 そんな中から、このメンバーの心に残るような素晴らしい作品を紹介してみせる。


 俺は、そんな決意を漲らせるのだった。

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