悠久の書館③
文倉姉妹と連れ立って館内へと足を踏み入れた俺は、視界に広がった光景に思わず目を丸くした。
そこにはまるで、迷宮のように無数の書架が立ち並んでいた。
踏み台を使わなければ上段まで届かない程に、背の高い書架の数々。
書架には古びた革装丁の書物から、色鮮やかな表紙の本まで、あらゆる書籍がぎっしりと詰め込まれている。
館は吹き抜けとなっているようで、二階にもびっしりと書架が並んでいるようだった。
奥の方には大きな螺旋階段が見え、それを囲うようにして二階側には回廊が巡らされている。
階上の手すり越しに下を見下ろせば、無数の背表紙が静かに整列し、まるで知識の海の波間を覗き込むかのような錯覚を覚えることだろう。
静謐な空気とともに、かすかに紙とインクの香りが漂ってくる。その香りに、頭がクラクラとしてしまった。
「……凄い」
思わず、声が漏れた。今すぐに書架を彩る書籍を眺めながら、館内を練り歩きたい衝動に駆られる。ここは、本好きにとっての楽園だ。
「イリス、ちょっと話すわよ」
「え、でも……河本先輩の案内を」
「それは真白に任せれば良いでしょ」
そんな会話が背後から聞こえた後、チリーンと鈴の音が響いた。
音の出どころを確認すると、入り口の横に設置してある棚の上に置いてある呼び出しベルを、文倉アリスが鳴らしたようだった。
それからすぐに、立ち並ぶ書架の奥からパタパタとこちらへ近づいてくる足音が聞こえ。書架の合間から、メイド服を着た女性が現れる。
驚きの連続だ。情報量の多さに、そろそろ脳がキャパを超えそうだった。
メイド服の女性が、俺の前で立ち止まる。
穏やかで、優しい瞳が印象的だった。歳は三十代前半といった所だろうか。大人の落ち着いた雰囲気を感じる。
色素の薄い髪が柔らかく波打ち、淡い光を受けるたびに静かに輝いていた。透き通るように白い肌は繊細で、指先さえも上品な滑らかさを帯びている。
「あら、お客様ですか?」
「真白、私はイリスと話があるから、この人に館内を案内してくれる?」
「畏まりました。お名前を伺っても?」
「河本良太です。イリスさんと同じ大学に通っています」
「イリスお嬢様のご学友なのですね。それでは館内をご案内しますので、こちらへ」
優しそうな笑みを浮かべながら、メイドさんが立ち並ぶ書架の方へと歩いていく。
「あ、私も……」
「あんたは、こっち」
「ええー」
文倉アリスによって、イリスはまた外へと連れ出されてしまった。
それを横目に、俺はメイドさんの後を追って書架の奥へと進んでいく。
「案内する前に、先ずは自己紹介ですね。雪村真白と申します。この書館の所有者であった文倉源六様から、ここの管理を任されておりました。彼の死後も引き続き、この書館の管理を行っております」
立ち並ぶ書架の途中で足を止め、雪村さんは深く腰を折って頭を下げた。
上品なその振る舞いが、なんだかくすぐったく感じた。
「雪村さんは、なんでそんな格好を?」
一番、気になっていたことを聞いてみた。
俺の問いに、雪村さんは不思議そうに首を傾げながら答える。
「なんでと言われましても、メイドがメイド服を着るのはおかしいでしょうか?」
「……いや、おかしくはないんですけど。寧ろ、とても良くお似合いです」
「ありがとうございます」
柔和な笑みを見せる雪村さんに、俺はそれ以上何も聞かなかった。
良いじゃないか、メイド服を着ていたって。
彼女はきっと、メイドの中のメイドなのだ。そういう事にしておこう。
「ここ悠久の書館には、書館の所有者であった源六様と、書館への入館を認められた人達によって集められた数々の本が貯蔵されております。地下の書庫にある書物を加えれば、蔵書数は十万以上に上ります」
歩みを再開させた雪村さんの後を付いていきながら、説明に耳を傾ける。
その蔵書数や地下まであるという事実に、俺は驚きを隠せなかった。
立ち並ぶ書架の合間には、座り心地の良さそうな椅子が所々に設置してある。書架から本を手に取れば、すぐ近くの椅子に腰を沈めて本を読む事が出来そうだ。
書館の入り口から見えた、奥の螺旋階段。その下で、雪村さんは再度足を止めた。
その一帯には書架が無く、少し広いスペースが設けられていた。
スペースには六人程が座れそうなテーブルと椅子が六脚。螺旋階段の下には、LANケーブルに繋がれたPC端末が台の上に置かれている。その横には給湯器や、それを使って作成できる飲み物、カップなどが入ったラックが設置されていた。
「ここが団欒の間となっています。書館のメンバーで集まって、読んだ本の話をしたりしています。そこにあるPC端末を使って、書館に貯蔵されている書物のデータベースを参照する事も可能です。どこにどんな本があるか、すぐに分かるようになっています。給湯器や飲み物もありますので、ご自由に使ってもらって構いません」
その場所についての説明が終わったのか、雪村さんはさらに奥へと進んでいき、また書架の迷宮へと入っていく。
その後、俺は雪村さんに連れられて二階と地下の書庫も軽く案内してもらった。
地下では趣のある石壁に書架が立ち並んでおり、それらが至る所に設置された淡いオレンジ色の光を発する間接照明によって照らされていた。少し薄暗くはあるが、地下でも読書をする事は出来そうだった。
一階の吹き抜けから見えた通り、二階の回廊にも書架がびっしりと立ち並んでいた。回廊を奥の方まで進んでいくと、最奥に一つの扉があった。
「あの部屋はなんですか?」
俺の質問に、雪村さんは扉の方へと視線を向けたまま、少しだけ寂しそうに表情を曇らせた。
「源六様が、生前に使っていた部屋になります。そのままの状態で残しておこうと、今は閉め切っております」
穏やかな口調だった。けれど、その説明のあとに雪村さんはほんのわずかに言葉を止めた。まるで、続きを飲み込むように。
「源六様は……晩年、この部屋に籠もる事が多くなりまして」
「読書家だったんですよね?」
「ええ。とても」
雪村さんは微笑む。だが、その笑みはどこか寂しげだった。
「本を愛しておられました。誰よりも」
静かな声だった。けれど、その言葉には妙な重みがあった。
「さ、案内を続けましょうか」
雪村さんは何事もなかったかのように歩き出す。
俺は彼女の後を追うさなか、一度だけ閉ざされた扉を振り返った。
文倉源六とは、一体どんな人だったのだろう。雪村さんの寂しそうな表情を思い出し、もう会うことのできないその人のことが少しだけ知りたくなった。




