書薦の儀:文倉イリス①
俺が住むこの街にも、十二月の気配が静かに満ち始めていた。
肌を刺すような冷たい風が吹き抜ける。大学のキャンパスにも、冬の足音がそっと忍び寄っていた。
講義を終えた学生達は、白い息を吐きながら肩を竦め、足早に校舎を後にしていく。俺もその流れに混ざり、コートの襟元へ顔を埋めるようにしながらキャンパスを出た。
杉山さんとの書薦の儀を終え、月が変わった十二月。今日も向かう先は、悠久の書館だ。
書薦の儀も、残すところあと一人。
文倉イリス。
俺をあの不思議な書館へ招いてくれた少女との儀式が、いよいよ始まろうとしていた。
彼女は前々から、俺との書薦の儀を楽しみにしている様子だった。けれど、それは俺も同じだ。イリスが俺にどんな本を薦めてくれるのか。どんな言葉で、その作品を語るのか。
それを考えるだけで自然と胸が高鳴り、書館へ向かう足取りも少し早くなる。
そんな風にして、森の小道へ入った時だった。前方に、見覚えのある二つの後ろ姿を見つける。
文倉姉妹。
アリス先輩とイリスが、寄り添うように並んで歩いていた。冬の冷たい空気の中、二人の距離は妙に近い。
少し驚かせてやろうか。そんな悪戯心が芽生え、俺は足音を殺しながらゆっくり近づいていく。
すると、不意に二人の会話が耳へ届いた。
「ちょっと、お姉ちゃん。くっつき過ぎ……歩き辛いよ」
「良いじゃないの。寒いんだもの。ほら、手を繋ぎましょう……って、ちょっと、凄く冷たいじゃない! ほら、私の上着のポケットに手入れて。温めてあげるから」
「ええ、良いのに……」
「駄目よ。私の可愛いイリスのスベスベな手が荒れちゃったら大変なんだから」
「そんなこと言ってさ……お姉ちゃん、最近は河本先輩に薦めてもらった本のキャラクターばっかり可愛いって言ってた癖に」
「あら、なによ。嫉妬してるの?」
「別に……嫉妬なんてしてないもん」
「もう、可愛いわね。私はイリスが一番好きよ」
「むう……」
入るタイミングを完全に失った。仲睦まじく身体を寄せ合う姉妹の間へ割って入るのは、流石に空気が読めていない気がする。
俺はそっと歩幅を緩め、気付かれないよう少しずつ距離を取った。だが、冬の静かな森では、二人の話し声はまだ微かに届いてしまう。
「それを言うなら、イリスだって随分と河本君を気に入ってるみたいじゃない。嫉妬しちゃうわ」
「なっ……別に私は……」
「この前だって、書館のアルバイトの紹介、本当は自分がしたかったって拗ねてたじゃない」
「それは……だって、私も同じこと考えてたのに、お姉ちゃんが勝手に話を進めちゃうんだもん」
……なんだか、聞いてはいけない方向へ話が進み始めた気がした。俺はさらに距離を取ろうとする。だが、その次の言葉で、足が止まった。
「河本君のこと、好きなの?」
一瞬、空気が静まる。二人が落ち葉を踏む音だけが、微かに響いた。
「……分かってる癖に、そうやって聞いてくる。お姉ちゃんは意地悪だよ」
その声は小さかった。けれど、はっきりと俺の耳へ届いてしまった。
俺はその場で立ち尽くす。幸い、文倉姉妹は後ろにいる俺の存在に気付かなかった。二人はそのまま歩いていき、やがて木々の向こうへ姿を消していく。
静かになった森の中へ、冷たい風だけが吹き抜けた。
「……あーあ」
思わず、そんな声が漏れる。
嫌だな、と素直に思った。イリスの気持ちが、ではない。こんな形で知ってしまったことが、だ。
俺だって、そこまで鈍感じゃない。書館で会った時の、あの嬉しそうな笑顔。隣を歩く時の距離感。俺が本の話をすると、楽しそうに目を輝かせる姿。
薄々、感じてはいた。もしかしたらイリスは、俺に好意を持ってくれているんじゃないかと。
そうだったら嬉しい。でも、それは自意識過剰かもしれない。そんな思いが、ずっと頭の中で交錯していた。
だからこそ、こんな盗み聞きみたいな形で、答えを知りたくはなかった。
俺は白い息を吐き出しながら、空を見上げる。冬空はどこまでも高く、薄い雲がゆっくり流れていた。




