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書薦の儀:杉山雅史①

 雪村さんとの書薦の儀を終えた俺は、書館の近くにある公園へと足を向けていた。


 彼女からの情報によると、次に俺が書薦の儀を行う相手は、午前中によく近隣を散歩している事が多いとのことだった。


 書館から歩いて五分ほど。以前、イリスに声を掛けられたあの公園へ足を踏み入れると、見覚えのある姿をすぐに見つける事が出来た。


 杉山雅史。


 書館のメンバーの中で、一番の古株だと言っていた老人だ。彼は公園の一角に設置されたベンチへ腰掛け、ぼんやりと何かを見つめていた。


 その視線を追うと、そこには花壇があった。色とりどりの花々が風に揺れており、陽光を浴びた花弁が柔らかく輝いていた。


 杉山さんは、それをただ静かに眺めている。白髪混じりの髪を風がそっと揺らし、深い皺の刻まれた顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。少し丸まった背中。膝の上で静かに組まれた手。その姿からは、不思議と落ち着いた空気が漂っていた。


 俺は公園の敷石を踏みしめながら、彼へ声を掛けた。


「杉山さん、こんにちは」

「おや、河本君。こんにちは。こんな所で奇遇だね」


 振り返った杉山さんは、相変わらず柔らかな笑みを浮かべていた。


「雪村さんとの書薦の儀を終えたので、杉山さんを探していたんです。花壇を見ていたんですか?」


 そう尋ねながら、俺は彼の隣へ腰掛けた。改めて花壇へ目を向けるが、俺には花の種類なんてさっぱり分からない。色鮮やかだな、くらいの感想しか出てこなかった。


「うん。ここに植えてあるのは全部、宿根草でね」

「宿根草?」

「冬になると休眠に入って、地上部を枯らす植物だよ。でも春になると、また芽吹くんだ」


 そう語る杉山さんの声は穏やかだった。


「……だから、枯れる前に見ておこうと思ってね」


 その横顔が、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。


 俺はもう一度、花壇へ視線を向ける。風に揺れる花々。やがて冬になれば、ここから姿を消すのだろう。けれど完全に終わるわけじゃない。また春になれば、芽吹く。そう考えると、少し不思議な気分になる。


「杉山さんは、草花が好きなんですね」

「そうだね。この歳になると、こういう自然のものがより際立って美しく見えるんだよ」


 杉山さんは目を細めながら空を見上げた。


「草花に限らず、空や雲、川や海、山や火に至るまでね。若い頃は特に興味なんて無かったんだけど、不思議なものだ」

「もしかしたら、そう思えるのは杉山さんが良い歳の取り方をしたからかもしれませんね」


 自然と口をついて出た言葉だった。だが杉山さんは、少し驚いたように目を瞬かせた後、感心するように頷く。


「ほう……なるほどね」


 そして、どこか懐かしむような笑みを浮かべた。


「君は少し、若い頃の源六先輩に雰囲気が似ているね」

「源六さんに……ですか?」


 思わず聞き返してしまう。


 文倉源六。


 あの悠久の書館を作った人物。雪村さんやイリスたちが、今もどこか特別な感情を向けている男。


「源六さんって、どんな人だったんですか?」

「彼は僕の二つ上の先輩でね。面倒見が良くて、心優しい人だったよ」


 杉山さんは懐かしそうに目を細める。


「どこか歳不相応に達観した部分もあったかな。それでいて多才でね。男女問わず、彼に惹かれた人間は多かった。僕も、その一人だ」

「……全然似てない気がするんですが」


 聞けば聞くほど、俺とは正反対の人物に思えた。達観なんてしていないし、多才でもない。俺はただ、本が好きなだけの平凡な大学生だ。


「そうかな?」


 杉山さんは、ほっこりとした笑みを浮かべる。


「少し話しただけだけど、僕は似ていると思ったよ」

「いやいや、買い被りすぎですって」


 そう返すと、杉山さんは楽しそうに笑った。その穏やかな空気に包まれていると、不思議と肩の力が抜けていく。


 鳥の囀り。木々のざわめき。耳元を通り抜けていく風の音。遠くから聞こえる子供たちの笑い声。普段なら気にも留めないような音が、妙に心地良く感じられた。


 こうやって、ただぼんやりと時間を過ごすのも悪くない。俺がそんなことを考えていた時だった。


「書薦の儀だったね」


 杉山さんが、ふと思い出したように口を開く。


「君が書館へ来てから、ずっと考えてはいたんだけど……若い人に本を薦めるというのはなかなか難しくてね。実は、まだ決められていないんだ。だから、もし良ければ先に君の方から薦めてくれないかな」


 なるほど。つまり今回は、俺から先に本を薦める流れらしい。


「君は僕に、ライトノベルを薦めると言っていたね。その中で、君が薦めたいと思った作品を自由に選んでくれて構わないよ」

「自由に、ですか……」


 だが正直、それが一番難しい。ライトノベルやライト文芸は、基本的に若者向けの作品が多い。七十をゆうに超えているだろう杉山さんへ薦められる作品となると、途端に候補が絞られてしまう。


「うーん……分かりました。ちょっと考えてみます」

「ありがとう。そうしてくれるかな」

「ちなみに、好きなジャンルとかってあります?」


 少しでも参考にしようと、俺は質問を重ねていく。


「特定のジャンルにこだわりは無いね。何でも読むよ」

「うわ、一番困るやつだ……」


 思わず本音が漏れた。杉山さんは「ははっ」と楽しそうに笑う。


「じゃあ今、どういう感じの本が読みたいとかあります?」


 その問いに、杉山さんは少しだけ考える素振りを見せた。花壇を眺め、空を見上げ、それからゆっくりと口を開く。


「そうだね……もうすぐ冬だからかな」


 風が吹き抜け、花壇の花々が静かに揺れた。


「心が温まるような、優しい物語に触れたいね」

「心が温まる、優しい物語……」


 その言葉を聞いた瞬間、ぼんやりとだが本のイメージが浮かんだ気がした。今まで読んできた沢山の作品の中で、胸の奥に優しい火が灯るような感覚を覚えた物語。


「……ありがとうございます。なんとか、選べそうな気がしてきました」

「それは良かった。君がどんな本を薦めてくれるのか、楽しみにしているよ」


 そのやり取りを最後に、俺は杉山さんへ別れを告げ、公園を後にした。

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