書薦の儀:雪村真白④
俺がアルバイトをしている居酒屋では、企業の意向により調理等のオートメーション化がどんどん進んでいる。その煽りを受けているのが、そこでアルバイトやパートとして働いている従業員だった。
シフトが段々と減らされているのも、そういった理由から前ほどは人手が不要になっているからだろう。これ以上シフトを減らされてしまったら、生活がもっと厳しくなっていく。それも時間の問題に思えた。
書館でのアルバイトについて話が進みそうになっているので、そろそろ店長にも話を通しておく必要があるだろう。そんな事を考えながら、二日連続でシフトに入っていたアルバイトが終了した。
その翌日、一限のみだった講義を終え、悠久の書館へとやってきた俺を、いつものメイド服姿で雪村さんが出迎えてくれた。
「あら、今日は早いのですね」
「今日は一限のみだったので」
「そうでしたか。河本様が来られるのを、お待ちしておりました」
嬉しいことを言いつつ、雪村さんは玄関の扉を開け放って俺を館内へと招く。
「今日は河本様が一番乗りですね」
「流石に来るのが早すぎましたかね?」
「いいえ。九時以降であれば私は書館にいますので、時間内であればいつでも来ていただいて大丈夫ですよ」
そんな会話をしながら、相変わらず荘厳な雰囲気を放つ館内を、俺と雪村さんは並んで歩いた。
その足が向かう先は、自然と団欒の間だった。団欒の間へ到着すると、一冊の本がテーブルの上に置いてあることに気付く。
それは俺がアリス先輩に渡しておいてくれと頼んだ【西由比ヶ浜駅の神様】だった。
「河本様が薦めてくださった本、読ませていただきました」
そう言いながら雪村さんは、テーブルの上に置かれていた本の背表紙を、まるで慈しむように指先で撫でた。少しだけ、その瞳が潤んでいるように見える。
雪村さんのその気持ちは、凄くよく分かった。表紙を見るだけで、最後のシーンが脳裏に蘇ってくる。今でも思い出すだけで、少し泣きそうになるくらいだ。
「この本を読んで、源六様にお会いしたくなりました」
「源六さん……雪村さんにとって、どういう人だったんですか?」
「源六様は、私にとって特別な存在でした」
雪村さんは、どこか懐かしむように微笑んだ。
「元々私は、国立の図書館で司書として働いていたんです。そこで源六様と出会った事がキッカケで、この書館で働く事になりました。私が、今のイリスお嬢様と同じくらいの年齢だった頃ですね」
彼女は静かに言葉を続ける。
「それから、とても良くしてくださいました。まだ若輩者だった私には至らない所も多く、迷惑をかける事も沢山ありました。それでも源六様は、いつも優しくて……私には、沢山の恩が出来ました」
そこで一度、雪村さんは言葉を区切った。ほんの僅かに、表情へ影が落ちる。
「だから、頑張ってこの書館で働いて、少しずつでも恩を返していこうと思っていたんです。でも――」
その先を口にするまで、少しだけ間があった。
「返す間もなく、病で亡くなられてしまいました」
文倉源六について話す雪村さんの表情は、とても寂しそうだった。俺が薦めた本に登場する人物達と、同じような顔に見える。
「もし、もう一度源六さんと話が出来るとしたら、雪村さんはどんな話をしますか?」
俺の質問に、雪村さんはすぐには答えなかった。二階の回廊に設置されている窓から差し込む光を、ジッと見つめている。
まるで、その先に誰かの姿を見ているみたいに。文倉源六の姿を思い返しているのかもしれない。
「源六様……」
小さく呟かれたその名は、かつて彼女が仕えていた男の名だ。どんな人物なのか、俺は知らない。ただ彼を思う雪村さんの表情から、威厳と包容力を兼ね備えた人物であり、彼女にとっては主であり恩人でもあった……そんな、家族のような存在だったのではないだろうかと想像した。
雪村さんの視線を追い、俺も窓の外へ目を向ける。青空に浮かぶ雲が、ゆっくりと形を変えていくのが見えた。
それはまるで、過ぎ去った日々の記憶が儚く移ろっていくようで、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「……会いたいですね」
誰に向けるでもなく呟かれたその言葉は、陽光へ溶けるように静かに消えていった。だが、その微かな声には失われた時間を惜しむような深い哀愁が滲んでいた。
ふいに、雪村さんがこちらへ視線を向ける。その澄んだ瞳は、一瞬だけ俺ではない誰かを映しているように見えた。
そして彼女は、いつもの柔和な笑みを浮かべて言った。
「もう一度だけ、源六様とお話する時間がもらえるのなら……沢山の感謝と愛を、言葉にしたいです」




