書薦の儀:雪村真白③
【村瀬健著・西由比ヶ浜駅の神様】
鎌倉に春一番が吹いた日、一台の快速電車が脱線し、多くの死傷者が出てしまう。
事故から二ヶ月ほど経った頃、嘆き悲しむ遺族たちは、ある噂を耳にする。
事故現場の最寄り駅である西由比ヶ浜駅に女性の幽霊がいて、彼女に頼むと過去へ戻り、事故当日の電車へ乗ることができるという。
遺族たちは皆、その駅へ向かった。
婚約者を亡くした女性が。
父親を亡くした青年が。
片思いの相手を亡くした少年が――。
愛する人と再会した彼らが、最後に選ぶ行動とは。
◇ ◇ ◇
死んでしまった人間を、蘇らせることはできない。
それでも、もし、もう一度だけ会えるのだとしたら。もう届かないと思っていた言葉を伝えられるのだとしたら。作中の人物たちのように、誰もが会いに行くのではないだろうか。
この作品は、そういう物語だった。失ってしまった人への想い。もう二度と触れられない温もりを求める願い。彼らの感情が痛いほど伝わってきて、読んでいる間、何度も胸を締め付けられた。
そして最後に明かされる真実に、俺は涙が止まらなくなったことを覚えている。
ふと、思い出す。文倉源六の部屋がある扉を見つめていた、雪村さんの横顔。
あの時の彼女は、とても寂しそうだった。
まるで、もう二度と会えない誰かを想っているみたいに。
俺は文庫本をバッグへしまい込み、その日はそのまま眠りについた。
◇ ◇ ◇
「河本君! 見てこれ!」
翌日の大学構内。四限の授業を終え、バイト先へ向かおうとしていた俺の背中へ勢いよく声が飛んできた。
振り返ると、そこにはアリス先輩の姿。彼女は俺の目の前でくるりと身体を回し、背負っていた通学用のリュックを俺へ見せつけるように突き出してくる。
「ねえねえ、見てよこれ! 昨日、書店で見つけたの!」
よく見ると、リュックに小さな携帯ストラップが付いていた。更によく見ると、それは【神様のメモ帳】に登場するアリスのグッズだった。
「うわぁ……」
思わず変な声が漏れる。昨日の今日で、もうグッズにまで手を出したのかこの人は。どれだけハマったんだ。
「可愛いでしょ! これを河本君に自慢したくて、ずっと探してたのよ!」
「……そうですか」
嬉しそうにストラップを見せてくるアリス先輩を見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになってくる。公園ではしゃぐ子供を眺めているような、そんな感じだった。
「見せられて満足したわ! それじゃ、私はこれから書館で四巻の続きを読まなくちゃだから!」
「え、もう四巻? 読むの早っ!」
「面白すぎてページを捲る手が止まらないのよ。テンポも良いし、スラスラ読めちゃうの。河本君は書館に行かないの?」
「ああ、俺は今日から二日間バイトなんで……あ、そうだ」
バイトという単語で、ふと思い出す。雪村さんから聞いた、書館でのアルバイトの件だ。
「雪村さんから、書館でのバイトの話を聞きました。アリス先輩が、話を通してくれるって」
「あら、受ける気なの?」
「そうですね。かなり死活問題なんで、是非お願いできればと」
「なら、お父様に話を通しておくわ」
「お父様に……ってことは、俺の雇用主ってアリス先輩のお父さんになるんですか?」
「うーん、そこら辺説明するとちょっと長いのよね」
アリス先輩は、少しだけ困ったような顔を見せた。どうやら単純な話ではないらしい。
「簡単に言うと、お祖父様が亡くなって以降、あの書館の所有者はイリスなの。でもイリスはまだ学生で、収入もない。だから現状、真白の給料とか維持費は、文倉グループのCEOであるお父様が出してるって感じ」
情報量が多すぎて、俺の脳が一瞬止まりかけた。
イリスが書館の所有者。そして父親が文倉グループのCEO。
つまり――。
「……え、文倉グループって、あの文倉グループですか?」
「どの文倉グループか知らないけど、多分その文倉グループ」
日本有数の総合金融企業。ニュースでも名前を聞く、超大企業だ。
つまりアリス先輩とイリスは、本物のお嬢様ということになる。
急に二人との距離が遠くなった気がした。
「えっと……つまり、俺の雇用主はイリスになるんですか?」
「真白とお祖父様の間にあった雇用契約を、そのままイリスが引き継いでるからね。河本君も多分そうなるわ。給与の支払い自体はお父様負担だけど。まあ、細かいところは契約書を確認しなさい」
そこまで言うと、アリス先輩は「話は終わり」と言わんばかりに踵を返した。
「じゃ、私もう行くから」
「あ、ちょっと待ってください!」
「なによ! 早く続き読みたいのに!」
他にも聞きたいことは色々あった。だが、本の続きを読みたいという気持ちは、俺にも痛いほど分かる。なので俺は、最低限の用件だけを済ませることにした。
鞄の中から、一冊の文庫本を取り出す。
「これ、雪村さんに渡しておいてください」
「なによこれ……ああ、書薦の儀ね。分かったわ! 任せなさい!」
本を見ただけで察したらしい。アリス先輩は満足そうに頷くと、そのまま嵐のような勢いで去っていった。
俺はそんな背中を見送った後、バイト先へ向かうのだった。




