書薦の儀:雪村真白②
【綾崎隼著・死にたがりの君に送る物語】
全国に熱狂的なファンを持つ小説家の訃報が、人気シリーズの完結目前に発表されたところから物語は始まる。
訃報の発表と同時に、作品に対する非難が殺到し、更には作家に心酔していた高校生が後追い自殺を図ってしまう。
自殺は未遂に終わったが、「完結編が読めないのなら生きている意味がない」と語る高校生。
やがて山中の廃坑に、作品のファンである七人の男女が集まる。
彼らは、小説の展開をなぞるような生活を送り始める。
そんな中、絶対にありえないような事件が起きて――。
◇ ◇ ◇
――涙で、視界がぼやけていた。
本を閉じる間もなく、膝の上に涙がぽろぽろと落ちていく。鼻の奥がツンとして、喉の奥が詰まったような感覚。
きっと今の俺の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていることだろう。
ふいに、すっと俺の目の前へハンカチが差し出された。視線を上げると、優しい笑みを浮かべた雪村さんが、こちらへ白いハンカチを差し出していた。
「……ありがとうございます」
泣いている姿を見られていたことに少し気恥ずかしさを覚えながら、俺はハンカチを受け取る。
ほのかに金木犀の香りがする、その柔らかな布で涙を拭う。
「すみません、洗って返しますね」
「いいえ、お気になさらず。なんなら、そのハンカチは差し上げます」
「……すみません」
別に悪いことをした訳でもないのに、何度も謝ってしまう俺がおかしかったのだろう。雪村さんはまた口元に手を添え、小さくくすくすと笑った。
そんな彼女を横目に、俺は椅子の背もたれへ深く身体を預け、ほっと息を吐く。
たくさん泣いたからだろうか。胸の奥に溜まっていたものが流れ出たような、不思議な軽さがあった。
雪村さんの言っていた通りだ。感動して涙を流した後というのは、どこか心地良い。
「素晴らしい作品でした。物語の後半はもう……情緒がおかしくなったみたいに、ずっと泣いてました」
「分かりますよ。私も同じでしたから。最後のあとがきなんてもう……」
「あ、待ってください。思い出すだけでちょっと、ヤバいんで」
文章を思い返しただけで、また目頭が熱くなってくる。きっとこの先、何度読み返しても涙を流してしまう。そんな作品だった。
「ふふふ。イリスお嬢様が、河本様をこの書館へお招きしたいと思った気持ちが、よく分かりました」
「え? それは、どういう?」
「河本様ったら、本当に心の底から楽しそうに本を読まれるんですもの。見ているこちらまで楽しくなってしまうくらいに」
そんな風に言われたのは初めてだったので、少し照れ臭かった。
イリスも、同じように感じてくれていたのだろうか。だからこそ、俺をこの場所へ連れてきたのだろうか。
「そんな河本様が、私にどんな本を薦めてくださるのか、とても楽しみです」
そうだ。アリス先輩の時と同じで、書薦の儀はまだ終わっていない。
彼女たちが俺に本を薦めてくれたように、次は俺が雪村さんへ本を薦める番だ。
「任せてください。雪村さんの心に残る作品を、ちゃんと選んでみせます」
「それは楽しみです。ライトノベルを薦めると仰っていましたよね」
「はい。ライトノベル、もしくはライト文芸って呼ばれるカテゴリーの作品を紹介しようかなって」
「そういえば、仰っていましたね。ライトノベルは知っているのですが、ライト文芸という言葉は聞き馴染みがありません」
「ライト文芸は、ライトノベルから派生したカテゴリーなんですよ。一般文芸との中間みたいな立ち位置ですね」
「あら、今はそういったものもあるのですね」
「ちなみに、雪村さんが薦めてくれた作品の作者さんって、元々はライトノベルの新人賞出身なんですよ。その受賞作をライト文芸として出版してデビューしてるんです」
「えっ、そうなのですか? 知りませんでした……まだまだ勉強不足ですね」
困ったように笑う雪村さん。聞き上手な彼女と話していると、不思議と会話が途切れない。
気付けば、随分と長い時間をこうして話し込んでいたらしい。ふと時刻を確認すると、既に閉館時間である夜の十一時を回っていた。
「あ、すみません! もう閉館時間、過ぎちゃってますね」
「お気になさらず。後は戸締りと消灯をするだけですので」
俺は椅子から立ち上がり、雪村さんに薦めてもらった本を書架へ戻す。それから自然と、二人並んで玄関の方へ歩き始めた。静かな館内に、俺たちの足音だけが小さく響く。
「それじゃあ、帰ります。明日から二日間バイトが入ってるので、次に来られるのは三日後くらいになると思います」
「そうなのですね。承知いたしました。河本様のまたの来訪を、心待ちにしておりますね」
そう言って、雪村さんは慇懃に一礼する。俺も軽く頭を下げ返し、そのまま悠久の書館を後にした。




