2. 魔王エクス、玉座を離れる
「まあ、いいだろう。今日は片手しか使わん。せいぜい奮闘するがいい──」
…
……
………
「ハぁ~~ ~ ~ ~ 。なんとか無事全員フッ飛ばせたか」
同じ日の午前。
魔王城の最上階。
ハクたちが転移魔法で魔都の外郭に飛ばされた、その直後。
盛大なため息を吐いた魔王が、玉座の上でがっくりと項垂れていた。
「今のはほんっ~~~とうに危なかった……」
誰もいない玉座の間に、魔王の声だけが静かに響く。
「全く、あいつらときたら。こんな朝っぱらから問答無用で押しかけてきおって。寝起きで相手をするこちらの身にもなれというものだ」
まだ眠気の残る瞼をこすりつつ、あくびをかみ殺す魔王。威厳も何もあったものではないが、今この玉座の間には魔王の他に誰もいない。
「大体、ハクはまだしも、ロンのやつ、あと先考えずにとんでもない魔法を仕込みおって。城ごと自分たちも吹っ飛ばすつもりか? 思わず予定外の転移魔法を出してしまったではないか」
玉座の上、腕組をし、悩ましげに頭を左右に振りつつブツブツと独り喋り続ける魔王エクス。その勢いで、絹糸のような黒髪が玉座からこぼれ、サラリと床に広がる。
腰よりも長いその髪は、大した手入れをせずとも絡まることを知らない。乙女も羨む天然のパーフェクト・キューティクル・ヘアーである。
「大体、あれからまだたった3か月だというのに、なぜあの連中はあんなに強くなっているんだ?」
虚空に問うも、答えなど期待してはいない。
繰り返すが、いまこの玉座の間には他に誰もいないのだ。今に限らずここ百年、玉座の間どころか魔王城の最上階に近寄るものは、あの勇者一行を除き、誰もいなかった。
「このままだと約束の1年、持ちこたえられるのか怪しくなってきたぞ。転移魔法も二回目は引っかかってくれまいし…………まあいい。来週までにまた何かしら対策を考えるとしよう」
だが、魔王はそれでも誰もいない虚空に向かって喋り続ける。
大変残念なことに、あまりにも孤独に馴れすぎた魔王エクスは、独居老人のように常に独り言を垂れ流すクセが付いてしまっていた。
とはいえ、それを聞く者もいなければ、咎める者もいない。
本当の孤独とは、自分が孤独であることすら知らぬ者のことなのかもしれない。
「おっといかん。急がねばあいつらが戻る前に間に合わぬ」
ふと何か思いついた魔王がのっそりと玉座から立ちあがるが、その口からついアクビがひとつ漏れでる。その場でゆっくりと上半身を伸ばした魔王エクスは、長い髪と黒いマントを翻し、背の高い玉座の裏へと姿を消した。
無人となった玉座の後ろから、やがて真っ黒な狼の魔人が姿を現す。
「これでよし」
艶のある真っ黒な毛並みに、負けず劣らず真っ黒な指揮官服。頭こそ大きな耳と口を備えた狼のそれだが、詰襟を正す姿はどことなく気品がある。金色の目は鋭く、鼻には細い銀縁の眼鏡が載っていた。
胸筋のしっかりと発達した逆三角形の体格は、タロンに負けず劣らず筋肉質に見える。だが自分に合うサイズの服がないと言い訳するタロンと違い、士官服をそつなく着こなしている。
似たような体形にもかかわらず、立ち居振る舞いだけでこうも変わるものか。
身支度を終え、玉座の間を堂々と突っ切る今の彼は、城内では『魔王軍指揮官』アレクという名で知られている。
そのまま立ち去ろうとしたアレク。だが、ふと入り口の扉の外で立ち止まり、振り返りもせず、その場でパチンと指を打ち鳴らした。
中指でクイッと眼鏡を持ち上げたアレクは、再びカツカツと軍靴を鳴らして歩みだす。
と、扉が彼の背後で静かに閉まり、誰もいない玉座の間の中央で、役目を終えた転移魔法陣が音もなく消え去った。
★ ★ ★
「結局遅れてしまったではないか」
魔王城の地下一階、勇者酒場のある一角へと続く長い階段を足早に行く者がいる。
本来勇者が帰りつく前に酒場を訪れ、用事を済ませているはずだった、魔王軍指揮官のアレクだ。
酒場へ向かう途中、警備隊長とばったりと鉢合わせたアレクは、否応なしに対策本部へと引きずり込まれた。
どうやら辺境部隊の縮小後、解散させた下級兵士が魔都に流れ込みあちこちでもめ事を起こしているらしい。
魔王エクスが玉座を抜け出し、世を忍ぶ為に作った『アレク』という魔人格であったが、たまにその肩書の職務もちゃんとしていたりする。
だが普段玉座でボッチで過ごすことが多いため、対魔人スキルが終わっている。ついでに実は人見知りもひどい。だから下手に喋ってボロを出すまいと、最初から無口キャラで通してきた。
今回もただ報告を受け、それぞれの長が対処を話しあうのをただずっと見守っていただけだ。なのになぜかアレクが適当に頷くと、それだけで物事が決まっていく。
抑えようとしても抑えきれない風格のせいだろうか。
おかげでなかなかその場を離れられず、やっと抜け出せたのは昼をとうに過ぎ、午後もおそくなってからだった。
魔王国の薄い陽射しもとっくに傾き始めているが、アレクが急ぐ階段には窓がない。日射しから時間を推し量ることはできないが、仕事を終えたのだろう、アレク同様酒場を目指す者の姿がちらほらと目に入る。
ぷちダンジョン化した結果、この辺りを徘徊する魔獣はそれなりに強いのだが、アレクからすれば虫けら同然だ。だが魔獣は魔人より勘が鋭いのだろう、制御してもなおアレクの気配に気づいて身を隠してしまっている。いつもなら魔獣の相手をしながら進む通路をやけに楽に通れることを、先を歩く魔人たちも不思議がっているようだ。
そんなアレクたちの横を、一体の巨人兵が大股に追い越していく。見た目こそ大きいが、ここに来るには少しばかり経験不足のようだ。
「あれが例の下級兵士か」
実物を見て納得した。辺境と違い、魔都に住む魔物は魔力も力も段違いに強力なものが多い。この周辺に漂う魔獣の気配にさえ気づけぬのであれば、訳も分からず強者に絡んで問題を起こすのも良く分かる。
「あんな駆け出しが地下に迷い込んで惨事にでもなってはたまらんな。あとで注意書きでも立てさせておくか」
そんなことをぼんやり考えつつたどり着いた酒場前では、まさにハクが先ほどの巨人兵の両腕を叩き落としているところだった。
「……言わんこっちゃない」
目前に広がる危惧した通りの展開に、アレクがその場で頭を抱える。
(今姿を現したら何かしら二人とも処罰せねばなるまい。どうせあの巨人側が相手の力量を推し量れずに絡んだのだろうが、ハクもハクでやりすぎだ。早く止めないとあの巨人の命が危ない──)
「ハク、この脳筋バカ、何やってるのよ!」
止めに入るべきか迷う中、追いかけるように酒場の店長の怒声が響き渡った。聞き慣れた声の主を見て、思わず通路の角に身を隠すアレク。
「あいつならばうまくこの場を収めてくれるだろう」
見ればその場でテキパキと客や聖女に指示を出し始める店長の姿に、アレクは全力で成り行きを見守ることにした。




