3. 三度目の拳
三次試験は、同じ線の内側で受験生どうしがぶつかる集団戦である。
「ひと組ずつ、線の内側に入れ。合格への道はふたつある。ひとつ、誰かを落とせば――両膝を地につかせるか、線の外へ出せば――その場で通る。通った者は、線の外へ下がってよい」
前列の受験生が、おそるおそる手を挙げる。
「下がったら、もう撃たれないんですか?」
「撃たれん。ふたつめは、砂が落ちるまで内側に立っていることだ。両膝が地についたか、線を出たら落ちる。終わりは鐘で報せる」
線の内側で、張りつめていた空気の向きが変わった。ひとつめのほうが早くて、しかも安全だ。早く安全に済ませたいなら、落としやすい相手から狙えばいい――そんな考えが、交わる目つきだけで広がっていく。
「階梯四以下の方は、前へ」
誰かがそう言うなり、階梯の低い受験生たちは人の肩の間から押し出された。的だ。数を減らすための壁にされ、真っ先に立たされる。
押し出された六人は、誰も文句を言わない。唇を結び、目だけを伏せている。それが順序なのだと、ここへ来る前から言い聞かされてきたような顔だ。
そこへ、昨日の痩せた少年が自分の足で歩いてきて、六人の隣に並んだ。押されたのではない。自分でここを選んだと、足音までが言っていた。
いちばん端の子は、まだ背がロッタの肩までしかない。杖を両手で抱えるように握り、それでも先は小刻みに揺れていた。村の子が初めて鎌を持たされた朝の、強がる目によく似ている。
(この子ら、逃げないんだな)
逃げない。その小さな背中を見ているほど、ロッタの腹の底は熱くなった。何という仕打ちだろうか。
痩せた少年の名札には、テオ・ゼーバルトとある。
「自分は階梯四です。ここに立てば、およそ十秒で終わります」
「じゃあ、あんたの前に立ちます」
「え?」
「あんたの前に。それなら十秒以上はもちますよね?」
「なぜ、そんな計算をするんですか?」
ロッタは答える代わりに手袋を外し、脇へ挟んだ。冷たい空気が、むき出しの指の間を抜けていく。
おぉぉぉぉ! うわぁぁぁ!
会場が歓声に包まれる。
敵チームが次々に盛大な魔法を練り上げていき、いよいよ襲い掛かってくるのだ。
「――いま、殴っていいですか?」
「誰に訊いているんですか、あなたは?」
返事より先に、最初の雷が飛んでくる。青白い糸が空中でよじれ、鏃のかたちへ鋭く縮んでいくのを、ロッタは瞬きもせず見つめた。糸の端がきゅっと結ばれ、肌の産毛が残らず立つ。
ぱん。一度目。
手のひらが痺れ、焼けた熱が肘まで駆け上がる。髪の先はぴりぴりと逆立ち、歯の奥まで細かく震えた。
次に来るのは石の槍だ。地面が低く鳴り、灰色の穂先が足元から持ち上がる。
ぱん。二度目。
両手が、もう自分のものとは思えない。熱は骨の芯まで食い込み、指の節が勝手に震えている。汗が顎を伝って石へ落ち、黒い点を作った。
「やめてください。確率は三度のうち二度です」
「うん。だから、三度で終わらせます」
「三度、と言いましたね。……なら四度目は、あなたの数に入っていない」
「入ってないです」
テオが指を折る手を止める。折りかけの指は行き場をなくし、戸惑うように宙で震えている。
「終わらせるって、どうやって?」
「まとめて来てもらえば、いいので」
ロッタは前へ二歩出て、両腕を大きく広げる。的が大きくなれば、ばらけていた狙いは一点に集まる。村で獣を追うとき、いちばん背の高い者が先に立ち、後ろへ牙を通さないのと同じだ。
三つ目は、炎の網だった。テオの背中をすっぽり覆うほど広い。熱だけが先に届き、前髪がちりちりと鳴る。目を開けているだけで、瞼の裏から水気を奪われていく。
ロッタは迷わず走った。炎の網が閉じた瞬間、肩から腕までまとめて突っ込む。
ぱん。
三度目。
視界が白く弾ける。膝が折れかけ、石を噛むように爪先だけで踏みとどまった。耳の奥では、水の底へ沈んだような鈍い音が揺れている。それでも顔を上げれば、四人目が杖を構えていた。
(開け)
開かない。指が、強く握ったかたちのまま固まり、命令を聞かなくなっている。
「あ」
その日に使える数を超えて握ろうとすると、指が開かなくなる。超えたぶんの一撃は、通らない。祖母はそう言って、囲炉裏の縁を硬い指で叩く。火を見つめる横顔にどんな思いがあったのか、その意味が、あのときは分からなかった。
いまなら、骨の奥まで分かる。四人目の杖は、まだまっすぐこちらを向いている。
初めて、怖さより先に悔しさがこみ上げた。あと一度あれば、この人たちを全部通してやれるのに。届かない指が、腹立たしい。
自分の手は、こんなにも短い。守りたい背中へ届くには、あまりに短すぎる。
(――ちがう)
落として抜ける道は、はじめからあたしの道じゃない。魔法でないものは砕けない。人の拳も、人も。そもそも、この人たちを突き出して自分だけ通る気など、かけらもない。
なら、残っているのはもう一つのほうだ。砂が落ちるまで、線の内側に立っていること。それなら、まだできる。
砂は、もう首の細いところまで落ちている。残りはわずかだ。
この指が開かないなら、立っているだけでいい。倒れず、皆の前にいればいい。
ロッタは開かない手を胸の前で固く組み、皆を背にして前へ出た。背中で重なる息づかいを聞きながら、杖の先を正面から見据える。撃たれても、膝さえ地につかなければいい。
――鐘が鳴り響く。
砂が落ちきったのだ。息を詰めて見回すと、六人ともテオも線の内側に居る。的にされながら、ひとりも落ちていない。ロッタの膝も、まだ地には着いていなかった。
「――そこまで。内側に立っている者は通れ」
試験官の声が広場を切り、誰かが泣き笑いのような変な声を上げる。
四人目が、それでも杖を上げる。唇を歪めたその顔は、一人も落とせないまま鐘を聞いたことを認めたくない、と叫んでいた。
そのとき、頭の上から、気の抜けた声が降ってくる。
「下手くそだなあ」
見上げると、石の欄干に、十歳ばかりの子供が座っていた。裸足で、余った袖に手を隠し、退屈そうにあくびをしている。
「おまえ、なんで三度も全部前で使うんだ? バカ?」
「バカで、すみません」
「あやまるなよ。つまんないぞ」
子供が長い袖から指を一本だけ出し、軽く振る。それだけで、四人目の杖は手を離れ、石の上へからんと転がった。
「おれは何もしてないぞ。そいつが勝手に落としたんだ」
「ありがとうございます」
「聞いてないからな、おれは」
四人目は杖を拾い、何か言いかける。けれど鐘の後に撃っても、もう意味はない。
子供は欄干から身軽に飛び降り、地面につく前にふっと消えた。裸足の足の裏は、最後まで一度も汚れていない。
あとで、白い髭の古い用務員が目尻を下げて教えてくれた。あの子は三百年ここに居る。名前はシェラで、誰の弟子でも教師でもないのだという。
テオがロッタの手をそっと取り、腫れた指の色を見て息を呑む。
「……なぜ、自分を庇ったんですか? 自分は階梯四ですよ。庇う価値の計算が、どうしても合いません」
「計算、してないので」
「え? していないんですか?」
「うん」
テオは長いこと黙り、言葉を探すように唇をかすかに動かした。それでも何も言わず、上着を脱いでロッタの手へ巻いていく。
「巻きます。動かさないでください」
「へいき、です」
「平気な手の色ではありません」
テオの指も震えている。けれど震えたまま、結び目だけはきれいに作った。布の端を引くたび、その力は傷に触れる寸前でそっと弱まる。
庇われた受験生のひとりが、胸元を押さえ、震える声を絞り出す。
「あの……ありがとうございました。おれ、名前も言ってないのに」
「聞いてないです。今から聞きます」
六人ぶんの名前を、ロッタは口の中で一つずつ繰り返し、顔と声に結びつけて覚えていった。手は折り曲がったまま動かない。それでも、動かないのは今日ぶんだ。名前なら明日も残り、呼べばちゃんとその人へ届く。
最後に名乗ったのは、端に立っていた背の低い子だった。声が裏返り、恥ずかしそうに唇を噛んでから、二度言い直す。
「メルです。……あの、おれ、いちばん下なんですけど」
「メルさん。階梯のほうは聞いてないです」
その子は口を開けたまま、しばらくロッタを見つめていた。やがて急に俯き、袖でごしごしと顔をこする。隠れた頬まで赤いのが、袖の隙間から見えた。
夕方の広場には、長い影が六本と、そこへ二つ重なって伸びている。傾いた西日が石畳をあたたかな橙に染め、影の縁まで柔らかくほどいている。
「ロッタさん。あの、おれ、ずっと思ってたんですけど」
メルは袖で目元を隠したまま、つかえそうになる言葉を押し出す。
「あんたのこと、こわす人だって、みんな言うんです。でも」
「でも?」
「おれには、ずっと立ってるようにしか、見えなかったです」
ロッタは、喉まで上がった返事をうまく声にできない。代わりに、動かない手をゆっくり持ち上げ、メルの頭へそっと乗せた。髪のやわらかさだけが、痺れた指の奥へかすかに届く。
明日は最終試験だという。けれど、相手の名前をロッタはまだ知らない。夕日の消えかけた広場で、そのことだけが小さな棘のように胸へ残った。




