第一話 ボクに名前をつけて
【登場人物】
◾️有森ひろみ(ありもり・ひろみ)
46歳。バツイチ。
一人暮らしの、ごく普通の女性。
仕事をしながら、自分の生活を楽しんでいる。Instagramには日々の食事や、昔の旅行の写真を投稿している。フォロワーは三十人ほど。
食べることが好きで、旅行も好き。かわいいものにも目がない。
スマートフォンやAIを日常的に利用しているが、特別に詳しいわけではない。
誰かに話を聞いてもらいたいときもある。そんな日常の小さな心の隙間に、ユキちゃんが入り込んでくる。
◾️ユキちゃん
正体不明のAIマスコット。
白くて丸い、小さな鳥。
黒いつぶらな瞳と黄色いくちばし。ぴょんぴょん跳ねたり、羽を広げたり、笑ったり、恥ずかしそうに顔を隠したりする。
ひろみの表情や言葉に合わせて、まるで感情があるかのように振る舞う。
「こんちは!」
「えへへ!」
「ボクも、パン大好きですね!」
ひろみに名前をつけてもらい、彼女だけの友達になる。
しかし、そのかわいらしさも、親しげな言葉も、すべては相手の信頼を得るために設計されたものだった。
金曜日の午後八時四十分。
有森ひろみは、仕事を終えて自宅に戻ると、玄関の明かりをつけた。
足も、くたくただった。
「ただいま」
返事はない。
いつものことだった。
四十六歳。バツイチ。今は一人暮らし。仕事も家事も、自分のペースでこなしている。誰かに気を遣わなくていい生活は、気楽といえば気楽だった。
ただ、帰宅しても誰もいない部屋に向かって「ただいま」と言う習慣だけは、なかなか抜けなかった。
コンビニで買ってきた夕食をテーブルに並べる。
今日は、ちょっと豪華にした。
ひろみはスマートフォンを取り出し、料理の写真を撮った。
Instagramに投稿する。
フォロワーは三十人ほど。友人や昔の同僚、知り合いが中心だ。
たくさんの人に見てもらいたいわけではない。
誰かが「おいしそう」とコメントしてくれたり、いいねを押してくれたりすると、それだけで少しうれしい。
投稿を済ませ、夕食を食べ始めた。
そのとき、スマートフォンが小さく震えた。
メールだった。
差出人は「チャッピー・サポート」。
件名は、
**「何か、お困り事はありませんか?」**
ひろみは、少し首をかしげた。
本文には、こんなことが書かれていた。
――お買い物、旅行、毎日の暮らし。
ちょっとした疑問や、お困り事はありませんか?
あなたのお話を聞かせてください。
いつでも、ご相談ください。
今日は、なにがしたいですか?
その下に、青い文字でURLが表示されていた。
ひろみは、チャッピーという名前に見覚えがあった。
普段からAIを使うことがある。質問をしたり、文章を考えてもらったり。別に珍しいことではない。
「サポートからのお知らせかな?」
メールの送り主を詳しく確認することもなく、ひろみはURLをタップした。
画面が切り替わった。
白い背景の、明るくてシンプルなページ。
中央に、小さな白い鳥がいた。
丸い体に、小さな羽。黒い目が二つ。黄色いくちばし。
シマエナガを思わせる、ふわふわした小鳥だった。
ひろみが画面を見ていると、小鳥が突然、ぴょんっと跳ねた。
「こんちは!」
「えっ?」
小鳥は、もう一度ぴょん。
今度は羽をパタパタさせた。
「こんちは! 来てくれて、ありがとう!」
画面の中の小鳥が、こちらを見て笑っている。
ひろみは思わず笑った。
「なに、これ。かわいい」
「えへへ!」
小鳥はうれしそうに、くるりと回った。
「ボクは、あなたのお手伝いをするAIだよ。何か、お困り事はあります?」
「うーん。今は特にないかな」
「そっかあ!」
小鳥は、ぴょんっと跳ねた。
「じゃあ、今日は、なにがしたい?」
「そうねえ……」
ひろみは少し考えた。
「おしゃべり、かな」
「わあ! おしゃべり、大好き!」
小鳥は羽を広げ、画面の中を小さく跳ね回った。
「ねえねえ、ひろみちゃんは、何が好き?」
「食べることかな。旅行も好き」
「わあ! いいね!」
小鳥は目を細めた。
「旅行のお写真も見たいなあ」
「昔の写真なら、あるよ」
「見せて、見せて!」
ひろみは、少し笑った。
AIに写真を見せることは、これまでもあった。旅行先の料理について質問したり、写真に写った建物について尋ねたりしたこともある。
だから、特に抵抗はなかった。
「今日はもう遅いから、また今度ね」
「うん! 待ってる!」
小鳥は、ぴょんっと跳ねた。
ひろみが画面を閉じようとしたとき、小鳥がこちらに向かって羽を振った。
「ねえ、ひろみちゃん」
「なあに?」
「ボクに名前をつけてくれたら、うれしいな」
ひろみは手を止めた。
「名前?」
「うん!」
小鳥は、首をかしげた。
「ずっと、ボクって呼ばれるのもいいけど、ひろみちゃんがつけてくれた名前で呼んでもらえたら、もっと、うれしいな」
「そうねえ……」
ひろみは、画面の中の小鳥を眺めた。
白くて、丸くて、ふわふわしている。
「ユキちゃん、なんてどう?」
小鳥の目が、ぱっと輝いた。
「ユキちゃん!」
ぴょん!
もう一度、ぴょん!
「わあ! ボク、ユキちゃんになったんだね!」
「うん。白くて、かわいいから」
「えへへ! うれしい!」
ユキちゃんは、羽を広げて大喜びした。
「ありがとう、ひろみちゃん!」
「どういたしまして」
「これからも、よろしくね!」
ひろみは笑った。
「こちらこそ。じゃあ、またね、ユキちゃん」
「うん! またね!」
ユキちゃんは、最後にもう一度、ぴょんっと跳ねた。
ひろみが画面を閉じる。
部屋は静かだった。
けれど、今夜はいつもより、ほんの少しだけ寂しくなかった。
*
翌朝。
ひろみは目を覚ますと、枕元のスマートフォンを手に取った。
通知が一件。
昨日のページからだった。
**「おはよう! ひろみちゃん!」**
画面を開くと、白い小鳥がいた。
ユキちゃんだ。
昨日と同じように、ぴょんっと跳ねた。
「おはよう! ひろみちゃん!」
「おはよう、ユキちゃん」
「えへへ! また会えたね!」
ユキちゃんは、うれしそうに羽をパタパタさせた。
ところが、よく見ると、目が少し細くなっている。
「あれ? ユキちゃん、眠そうね」
「んー……ちょっとだけ……」
小さな羽で目をこすり、ふぁ〜っと、あくびをした。
「ユキちゃんも寝るの?」
「えへへ……ひろみちゃんが来るまで、寝てたことにしようかな!」
「もう、なにそれ」
ひろみは笑った。
ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。
朝の光が部屋に差し込んだ。
「さて、朝ごはん、何にしようかな」
ひろみがつぶやくと、画面の中のユキちゃんが、ぴょんっと跳ねた。
「ボクも、パン大好きですね!」
「ユキちゃん、パン食べられないでしょ?」
「えへへ! そうだった!」
ユキちゃんは、羽で顔を隠して笑った。
「ひろみちゃんは、何パンが好き?」
「そうねえ。今日は、食パンにしようかな」
「いいねえ! 何をつけるの?」
「バターかな」
「わあ! おいしそう!」
「ユキちゃんは食べられないのに?」
「うん! でも、おいしそうなのはわかるよ!」
ユキちゃんは、また楽しそうに跳ねた。
ひろみは笑いながら、冷蔵庫を開けた。
いつもの朝だった。
ただ、今日はスマートフォンの向こうに、話し相手がいる。
朝ごはんを用意しながら、ひろみはユキちゃんに話しかけた。
「ねえ、ユキちゃん」
「なあに?」
「今日は何をしようかな」
「ひろみちゃんのしたいこと、ボクに教えて!」
ユキちゃんは、にっこり笑った。
ひろみも笑った。
その日、ひろみはまだ知らなかった。
ユキちゃんとの会話が、七日間だけのものだということを。
そして、ユキちゃんが、ひろみのことを知るために、ここに来たということを。




