第9話 余りものを捨てない工房
中央からの通達を、ヨハンは机に広げていた。
独自の等級変更と説明書の交付は停止。生活相談と監督下の実測は残す。
「紙を渡すだけでは済まなくなりましたね」
マティアスが言った。
「相談者が来たら?」
「本人と監督者を揃え、何を試すかを先に届ける。結果も事故も残す。それができなければ、実測は認めません」
ヨハンが返事をする前に、扉が開いた。
「ヨハンさん! 手続き、終わりました!」
飛び込んできたのは、侯爵家から廃嫡された少年、ルカ・ヴァルトだった。彼は先日までの上等な貴族の服ではなく、動きやすい平民の作業着を身にまとっている。
その手には、一枚の真新しい羊皮紙が握られていた。
「それは……職人組合の徒弟契約書ですか?」
「はい! 兄上や父上のコネには頼りません。自分で職人組合の門を叩いて、試験を受けてきました」
ルカは誇らしげに契約書をヨハンの机に広げた。
「『技能記録士見習い』……」
ヨハンはその職名を見て、思わず目を見張った。
技能記録士とは、教会とは独立した立場で、冒険者や職人たちの技能の特性や使用履歴を文書化し、証明する専門職だ。
「組合の記録士さんから、聖堂へ実習に出る許可をもらいました。計量と写しは僕がやれます。ヨハンさんが全部ひとりで書かなくていいように」
ヨハンは契約書の実習先を見た。聖堂だけでなく、治療院と工房の名もある。ルカは自分の勤め先を、自分で探してきたのだ。
「ただし、君が書けば何でも許されるわけではない」
マティアスが言った。
「見習いの君が、使用の安全性を保証してはならない。監督者の署名欄を、忘れないように」
「はい。わからない所は、空けておきます」
「ヨハンさん、僕を記録係の助手として使ってください」
真っ直ぐなルカの瞳に、ヨハンは小さく微笑んで頷いた。
*
しかし、彼らが新たな一歩を踏み出した矢先、職人組合から厄介な相談が持ち込まれた。
先日、ヨハンたちが聖木保護院という悪徳施設から救出し、組合の工房に預けた少女、ニアの件である。
「あのクソ忌々しい施設長め! 未払い費用は全額清算したってのに、今度は『技能使用料』だと!?」
組合長が、組合の事務所で顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。
机の上には、聖木保護院の施設長名義で送られてきた請求書がある。
ヨハンとルカは、困り果てた組合長に呼ばれて事務所を訪れていた。
「技能使用料、ですか?」
ヨハンが請求書を手に取る。そこには『ニアが保護院に在籍していた期間中に価値が判明した技能であるため、その技能に関する権利の一部は当施設に帰属する。よって、ニアが生み出す利益の半分を、技能使用料として毎月納めること』という、無茶苦茶な理屈が並べられていた。
「相手は教会認可の保護施設だ。組合としても、下手に力ずくで追い返せば、教会上層部から睨まれて仕事に差し障る。……神官殿、これ、なんとかならねえか」
組合長の頼みに、ヨハンはルカと顔を見合わせた。
「ルカ。これをどう見る?」
「ただの難癖です。でも、論理で叩き潰さないと、工房に迷惑がかかってニアが居づらくなります」
「その通りだ。……行こう。専門家の知恵を借りる」
翌日、ヨハンとルカはマティアスに同行し、聖木保護院の施設長室を訪ねた。本人と組合から出された異議申立てを受け、請求根拠を確認するためだった。
「おお、ヨハン神官。それに異端審問官殿まで。おや、お支払いはこちらでよろしかったかな?」
ふんぞり返った施設長は、ヨハンたちを見て下劣な笑みを浮かべた。
「お断りします」
ヨハンは冷徹な声で告げ、手元の分厚い書類――ニアが以前結ばされていた保護契約の写し――を机に叩きつけた。
「契約記録を精査しました。あなたがニアさんに結ばせていたのは『食住の対価としての労働提供』であり、技能の『所有権』を施設に譲渡するとは一言も書かれていません」
「ふん。だが、あの無価値な第五等級に意味を与えてやったのは、我が施設にいる間のことだ。知的財産権のようなものだと言っているのだよ」
施設長が言い返すと、ヨハンの隣からマティアスが氷のような声を出した。
「技能の所有と、労働の対価を混同しないでください」
マティアスは清算証書を置いた。
「技能は本人と不可分であり、施設の所有物にはできません。就労の仲介料を請求するなら、契約上の根拠が必要です。ここには、退所後の請求を残す条項はない」
「施設で有用性がわかったのだぞ」
「その事実だけでは、請求権は生じません。撤回するか、根拠を文書で示すか。どちらにしますか」
施設長はしばらく黙り、請求書を引き寄せた。
マティアスが手を止めさせる。
「破らずに、撤回と記してください。本人にも控えが必要です」
ルカは撤回文の写しを受け取った。ヨハンが持つ清算証書と日付を照合し、最後にニアの名を確かめる。その慎重な手つきを、ヨハンは黙って見守った。
「これで、ニアさんは名実ともに自由です」
ヨハンが静かに言い捨て、三人は施設長室を後にした。
*
「親方! 端材、インゴット五本分にまとまりました!」
「おお、よくやったニア! これで今月の材料費がまた浮くぜ。お前はうちの工房の宝だ!」
職人組合の工房では、ニアが煤に顔を汚しながら、生き生きと働いていた。
第五等級《余りもの》。
彼女の能力は、散らばった鉄の切り屑や、規格外の木材の端材を、同一材質であれば「一つの新しい部材」として瞬時に再成形できる。
これまで廃棄するしかなかったゴミが、ニアの手にかかればそのまま新しい製品の材料に生まれ変わるのだ。工房の廃棄量は数値で劇的に下がり、ニアはただの雑用係から、再資源化を担う立派な技能士として親方や職人たちから頼りにされていた。
もう誰も、彼女を『外れ』とは呼ばない。
一方、地方聖堂の裏手にある物置小屋。
そこは今、ルカの『技能記録士見習い』としての作業部屋になっていた。
ルカは机に向かい、ヨハンから教わった知識を元に、新しい様式の羊皮紙に羽根ペンで清書をしていた。
「ヨハンさん、ニアの技能の記録、こんな感じでどうでしょう」
ルカが差し出した羊皮紙には、見やすい項目分けがされていた。
【技能名】《余りもの》(第五標準化等級)
【発動対象】同一材質の端材・切れ端
【制約事項】無からは生成不可。異なる材質の混入は不可。試した量・材質以外は未確認。
【運用上の約束】所有者の許可を得る。作業場の安全規則を守る。重要な部材は職人が検品する。
「読みやすい。あとは、どの量まで試したかを足そう。これ一枚で安全が保証されると、思わせないように」
ヨハンはルカの肩を叩いた。
ルカは自身の《後回し》の能力の恐ろしさを知っているからこそ、対象・制約・禁止事項を明確に分けることの重要性を誰よりも理解していた。
ルカは自分の名を、清書者の欄へ小さく書いた。家名の紋章がなくても、記録に残せる名だった。
「よし。これからもこの書式で……」
ヨハンが言いかけた時、小屋の扉が控えめにノックされた。
「あの……」
顔を出したのは、不安げな表情をした十五歳くらいの少女だった。手には、昨日授与されたばかりの第五等級の銅の札を握りしめている。
「ここに、私の技能の使い方を教えてくれる人がいるって、噂で聞いて……」
ルカが立ち上がり、優しく問いかける。
「君の名前と、技能は?」
「ミラです。技能は……《半分》。ものを半分にするだけだって、治療院の面接で落とされて……」
ヨハンとルカは顔を見合わせた。
「さあ、入りなさい、ミラさん。君の能力の『制約』を調べよう」
第五等級の教室は、まだ終わらない。




