第8話 外れではなく、未解析
聖木保護院の奥にある作業棟には、木屑と油の匂いが立ち込めていた。
普段は第五等級の子どもたちが無言で単純労働を強いられている場所だが、今は作業の手が止められ、異様な緊張感に包まれていた。
作業台を囲むように立っているのは、ヨハン、セラ、異端審問官のマティアス。そして、腕を組んで忌々しげに鼻を鳴らす施設長だ。
彼らの視線の中心には、作業着姿の少女ニアが立っていた。
「それでは、ニアさんの技能《余りもの》の安全試験を開始します」
ヨハンは静かな声で宣言し、作業台の上に用意させた木箱をひっくり返した。
ガラガラと音を立てて転がり出たのは、工房で出た様々なゴミだ。鉄の切り屑、銅の破片、木片、曲がった釘。
「ニアさん。まずは、その中から『鉄の端材』だけを意識して、技能を使ってみてください。形は……そうですね、標準的な鉄のインゴット(延べ棒)に再成形できますか?」
「やってみます」
ニアは真剣な顔で頷き、散らばった鉄の切り屑に両手をかざした。
淡い光が少女の手から放たれ、鉄の端材を包み込む。すると、バラバラだった切り屑がまるで生き物のように寄り集まり、一瞬のうちに溶け合うように結合した。
光が収まった後、作業台の上には、鈍く光る一本の鉄のインゴットが転がっていた。
「おお……」
セラが感嘆の声を漏らす。
ヨハンはインゴットを手に取り、マティアスへと差し出した。
「マティアス審問官、まず重量の記録をお願いします。強度は、職人に検査してもらいます」
マティアスは革手袋越しにインゴットを受け取り、作業台の秤に載せた。
「元の端材の総重量と、秤で測れる範囲では一致しています。内部がどうなっているかは、これだけではわかりません」
「では次に、ニアさん。今度は『鉄と銅の端材』を混ぜて、同じようにインゴットを作ろうとしてみてください」
ヨハンの指示に、ニアは不思議そうな顔をしながらも従った。
しかし、今度は光が明滅するだけで、端材はピクリとも動かなかった。
「だ、駄目です。弾かれちゃいます。うまく集まりません」
「最後にもう一つ」
ヨハンは作業台の上を全て片付け、何もない空間を指差した。
「そこから、鉄のインゴットを生み出せますか?」
「無理です。材料がないと作れません」
ニアは即答した。
ヨハンは満足げに頷き、マティアスと施設長に向き直った。
「少なくとも今の試験では、材料が必要で、鉄と銅は一緒にできませんでした。同じ鉄に見えるものでも、合金が違えば別に試す必要があります。木片も、まず同じ樹種で揃えましょう」
ヨハンは内心で、リアーネ王女の《余白》と比較していた。
王女の能力は、使われずに逃がされる魔力と、その保持時間を管理する力だった。対してニアの能力は、目の前にある『素材と物質量』を管理するパズルだ。攻略のアプローチは全く異なるが、どちらも条件さえ整えば絶大な効果を発揮する。
「だからどうしたと言うのだ」
施設長が苛立たしげに口を挟んだ。
「たかが端材を固め直しただけではないか。こんなもの、鋳潰して溶かし直せば済む話だ。大仰な試験などして、結局はただのゴミ拾いの技能だろう」
「鋳潰すには、炉の燃料代と、職人の時間がかかります。彼女なら、少量の端材を炉に入れずにまとめられる。ただし仕分けと検品、彼女の賃金は必要です」
ヨハンがそう言った直後、工房の扉が勢いよく開かれた。
「全くだ! こんな宝の持ち腐れをしてるとは、教会の保護院ってのは随分と贅沢な場所らしいな!」
ドカドカと足音を立てて入ってきたのは、立派な髭を蓄えた筋骨隆々の男だった。その胸には、この地方の『職人組合連合』の組合長の紋章が輝いている。セラが事前に手筈を整え、呼んでおいたのだ。
「く、組合長殿!? なぜあなたがここに……」
施設長が狼狽える。
組合長はマティアスの手から鉄のインゴットをひったくると、しげしげと観察し、豪快に笑った。
「セラから話は聞いていたが、こりゃあ本物だ! どこの工房でも、端材の廃棄費用と材料の歩留まりには頭を悩ませてる。この嬢ちゃんの技能があれば、廃棄費は浮くし、材料費も大幅に下がる。まさに歩く再資源化炉だ!」
組合長はニアの前にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「嬢ちゃん。第五等級だとか、そんな教会のレッテルはどうでもいい。お前の腕を、うちの職人組合で振るってみる気はないか? 正式な徒弟契約を結んでやる」
「えっ……ほんとですか!? 私、ずっと計算してて……端材を再利用できれば、絶対に儲かるって思ってたんです!」
ニアの顔がパッと明るくなる。
「おい、勝手な真似は困る!」
施設長が青筋を立てて怒鳴った。
「彼女は当施設と十年間の保護契約を結んでいる! 莫大な食費と宿泊費がかかっているのだ、連れ出すと言うなら違約金を――」
「未払い費用の明細は?」
組合長が手を出した。ヨハンは先ほど受け取った紙を渡す。実際の滞在は数日なのに、今後の管理費まで一括で請求されていた。
「まだかかっていない分まで、今日の債務にする理由を示してください」
マティアスが契約の中途退所条項を指した。
施設長とのやり取りは長くなった。最後には、認可された契約様式で請求できる費目だけを残し、施設側が退所と清算完了を認める署名をした。
組合長はその額を支払った。
「ニアさん。この費用は組合の受入助成から出す。君の借金に付け替えたりはしない」
ヨハンが確認すると、組合長は徒弟契約を開いて見せた。
「賃金、休み、辞める時の届け。読んでから決めな。今日は見学だけでもいい」
ニアは紙を両手で持った。数字の並ぶ行を、ひとつずつ指で追っていく。
「……仕分けの時間も、お給金に入るんですか」
「当然だ。そいつがなけりゃ、使える端材にならん」
ニアは初めて、ペンを自分から受け取った。
「ありがとうございます、神官様! セラさんも!」
ニアは何度も頭を下げ、組合長に連れられて工房を後にした。
*
騒ぎが収束し、施設長も捨て台詞を吐いて奥へと消えた後。
ヨハンとマティアスは、工房の隅にある埃を被った書架の前に立っていた。マティアスが監査のために施設内を調べていた際に見つけた、ひどく古い皮表紙の『台帳』である。
「……マティアス監査官。先ほど見かけたこの古い台帳ですが」
「ええ。気になりますか」
マティアスは手袋をはめた手で、そっとその古い台帳を開いた。
そこには、過去にこの施設に収容された者たちの記録が記されていた。ヨハンが注目したのは、ページの上部にある『表題』の部分だ。
「この欄、今の登録簿にはありませんね」
ヨハンが指したのは、『個別検証要』の文字だった。その上の見出しは水染みで潰れ、前半の数文字を読めない。
「第五と判定してから、まだ調べる予定だった」
「少なくとも、この台帳を作った者はそう考えていたようです」
マティアスは該当の頁を控えた。ヨハンは、現在の書式にある『用途不明』の欄を思い出した。そこで記録は終わる。そのあとを書く欄はない。
「同じ時期の、傷んでいない台帳はないでしょうか」
「探すことはできます。結論は、それを見てからです」
審問官は台帳を閉じた。ヨハンは、消えかけた見出しの輪郭を別紙へ写した。
*
それから数日後のことである。
地方聖堂の奥深く、ラウル司祭の執務室は重苦しい空気に包まれていた。
机の上には、王都の中央授能審査局から届けられたばかりの、仰々しい封蝋がされた羊皮紙が置かれている。
急使がもたらした通達。
それは、ヨハン・エーベルという一人の下級神官の行動が、ついに教会の巨大なシステムそのものを刺激したことを意味していた。
「……ヨハン君」
ラウル司祭は深くため息をつき、通達文を読み上げた。
「中央からだ。『地方独自の解釈による等級変更、および未承認の説明書の交付を停止する。既存の生活相談・監督下の実測は妨げない』」
相談する窓口は残っている。だが、その先でこっそり一枚を渡す道は、名指しで閉じられた。




