第7話 保護という名の契約
地方都市の郊外に建つ『聖木保護院』は、白亜の壁と美しい庭園を備えた、一見すると清廉な施設だった。
第五等級と判定され、実家や徒弟先から見放された若者たちに、慈悲の心で食と住居を提供する。それが教会の認可を受けたこの施設の名目である。
ヨハンは神官の正装で、隣を歩くセラと共にその門をくぐった。
「慈悲の心、ね。外壁のペンキは綺麗だが、中からは随分と重い労働の音が聞こえるじゃないか」
セラが鼻を鳴らしながら呟く。確かに、施設の奥にある作業棟からは、木材を挽く音や金属を叩く音がひっきりなしに響いていた。
二人が面会室に通されると、そこにはすでに先客がいた。
「……奇遇ですね、ヨハン・エーベル神官」
ソファに深く腰掛け、分厚い契約書の束を冷たい目で捲っていたのは、漆黒の外套を着た異端審問官マティアス・ロウだった。
ヨハンは内心で舌打ちを堪え、平静を装って一礼した。
「マティアス審問官。あなたもこちらの施設に?」
「匿名文書が、この施設の入所者にも渡っているかを確認しています。認可施設の担当監査官から、関連する入所記録の閲覧許可を受けました」
マティアスはヨハンの顔をじっと見つめた。
「下級神官であるあなたが、管轄外の施設に何の用です? まさか、また『独自の実態調査』などと言うつもりでは」
「技能支援の担当として、新たに登録された第五等級者の生活環境を確認するのは、決して無駄な業務ではないと考えています」
ヨハンが答えると、マティアスは微かに息を吐いた。
「相変わらず、言い逃れがお上手だ。まあいいでしょう。今は互いの邪魔をする理由はありません。そちらの要件を進めなさい」
ほどなくして、恰幅の良い施設長に連れられて、一人の少女が部屋に入ってきた。
煤で汚れた作業着を着た、小柄な少女。名をニアという。十五歳になったばかりの彼女は、怯えるどころか、好奇心に満ちた目でヨハンたちの服の刺繍や、マティアスの銀の徽章を観察していた。
「ニア。この方々は教会から視察にいらした。失礼のないようにな」
施設長が威圧的に言うと、ニアは「はい」と短く返事をした。
「ニアさんですね。私は神官のヨハン。……君は先日、第五等級の《余りもの》という技能を受けたそうですが、元々は工房にいたのですか?」
「はい、神官様。親方のところで、簡単な計算と木材の仕分けをやってました。でも、第五等級じゃ一人前の職人にはなれないからって、契約を切られて……ここに送られました」
ニアはそう言いながら、面会室の隅に積まれた端材の箱へ目をやった。木の箱に、曲がった釘が何本も混じっている。
「あれ、木だけ分ければ処分代が変わるんです。計算も私の仕事なので」
施設長の靴音が近づくと、彼女は口を閉じた。
「君がよければ、その技能についてもう少し詳しく見せてくれませんか」
ヨハンが同意を求めると、ニアはこくりと頷いた。
ニアは机に落ちていた二片の木屑へ触れ、小さな光を顕した。ヨハンの《注釈》が発動する。《余りもの》の構造情報が、彼の頭の中で補足文となって展開された。
『同じ素材の切れ端・端材を一定量集め、同一材質の一個分として再成形する。無から作り出すことはできない。材質の一致が必須。一度に扱える量には上限があり、混合材や汚れは別に確かめる必要がある』
(なるほど……)
ヨハンは納得した。ただ「余ったものをどうにかする」能力ではない。これは『廃材の削減』と『再資源化』に特化した、極めて実用的な生産技能だ。木材でも金属でも、材質さえ一致していれば端材を集めて規格品にできる。どれほど廃棄を減らせるかは、使える端材の量と、仕分けにかかる手間によるだろう。
「同じ材質の端材を、まとめられる可能性があります。重さと強度を確かめて、工房で使えるか試しませんか」
ヨハンがそう告げると、ニアの目がぱあっと輝いた。
「ほんとですか!? 私、ずっと端材がもったいないって思ってて……集めて固められたら、材料費が浮くのにって計算してたんです!」
「君が考えた方法を、まず小さな木片で――」
「お待ちください、神官殿」
口を挟んだのは、施設長だった。彼は愛想の良い笑みを浮かべながら、ヨハンの前に進み出た。
「彼女に価値があるのは喜ばしいことです。ですが、彼女はすでに当施設と『保護契約』を結んでおります。勝手に連れ出されては困る」
「保護契約?」
セラが眉をひそめて施設長を睨む。
「ええ。彼女のように見捨てられた子どもたちに、温かい食事とベッドを提供する。その対価として、施設内での軽作業を通じて『保護費用の返済』を行ってもらう。これは教会の認可を得た、極めて正当な契約です」
施設長は胸を張り、マティアスが読んでいたのと同じ様式の契約書をヨハンに提示した。
ヨハンは契約書を机に広げた。《注釈》に文書は読めない。細かな条項も、その行間の不都合も、自分で拾うしかなかった。
「……拝見します」
ヨハンは契約書を受け取り、細かな文字でびっしりと書かれた条項に目を走らせた。費用の総額から明細へ指を戻し、契約の日付と請求期間を照らし合わせる。
「第七条、『保護費用の返済期間は原則十年間とする。その間、施設側の指定する業務に従事すること』。……十五歳の子どもを、二十五歳になるまで最低賃金以下の労働で縛り付ける。これが慈悲ですか?」
ヨハンの指摘に、施設長は平然と答えた。
「衣食住には金がかかります。第五等級の子どもが外で自活できるわけがない。我々は彼らを生かしてやっているのですよ」
「第十二条」
横から、マティアスが冷徹な声で引き継いだ。
「『技能の有用性が認められた場合、施設が指定する組織への優先的な斡旋権を有する。その際の仲介料は施設側が受領する』。……ヨハン神官、あなたの見立て通りです。この施設は、第五等級者を借金で囲い込み、中から『使える者』が出たら特定の工房へ売り飛ばす斡旋構造を持っている」
マティアスの法務知識が、ヨハンの読解を裏付けた。
「違法とは言いきれない」とマティアスは手元の書類をトントンと揃える。
「署名があるだけで適法とは限りません。費用の実額、説明をした記録、退所条件を照合する必要があります。今、この写しだけで契約全体を無効と宣言する権限は、私にはない」
「そんな……! 私はただ、ご飯が食べられるって言われたからサインしただけで……!」
ニアが青ざめて声を上げる。
セラが立ち上がりかけた。ヨハンは手で制した。
「ニアさんが退所を望んだことを、まず記録してください。施設長、そのうえで技能を検証する作業場を借りたい」
「検証して、有用とわかれば我々の斡旋対象になりますな」
「その前に、受入先を本人が選べるか、退所時にいくら必要かを確かめます」
施設長は契約書の一行を示した。受入先が未払い費用を清算すれば、中途退所は認められる。金額は、まだ空欄だった。
「明細を出してください」とマティアスが言った。「署名後に費用を増やしていないか、担当部署へ照会します」
施設長は苦い顔で承諾した。
面会室を出ると、ニアがセラの袖を掴んだ。
「私、まだ働けますか。前の工房では、もう来なくていいって」
「次の工房を、今度はあんたも選ぶんだよ」
セラは少女にしゃがんで答えた。ヨハンは試験に使う材料の借用票を書いた。所有者の許可と作業場の安全は、技能の条件ではなく、彼らが守るべき約束だった。
ヨハンが借用票を書き終えた時、ふと、彼の視線がマティアスの広げていた資料の山の一部で止まった。
それは、施設の監査用に押収された書類の中に混ざっていた、ひどく古い皮表紙の台帳だった。数十年、いや百年以上前のものかもしれない。
ヨハンは何気なくその表紙の文字を目で追い――そして、凍りついた。
『技能院・第五等級登録台帳 = 個別検証要』
「個別、検証……?」
ヨハンは思わず呟いた。
現在の教会の常識では、第五等級は『無価値』であり、わざわざ時間と金をかけて検証する必要などないものとして扱われている。だが、この古い台帳には、まるで第五等級こそが「個別に検証しなければならない」特別な枠組みであるかのように記されていたのだ。
この国は、いつから第五を外れと呼ぶようになったのか。
制度の歴史的な歪みが、古いインクの染みの中に確かに存在していた。




