第49話 ヨハンが着く前に
光は、上へ弾けなかった。
少年の指先からこぼれ、足元の石へ落ちる。表面が焼け、細いひびが走った。
「供給は止めました。授能板から入った分が、まだ残っています」
設備係の報告を、トーマは記録した。
未知の技能が、どこからともなく無限の魔力を作っていると決める必要はない。まず、止められる入力を止める。
現地の主任神官が保護膜を展開した。別の係員が周囲を退避させる。トーマは安全線の外から、少年へ声をかけた。
「聞こえるかい。僕はトーマ。君をここへ案内した神官だ」
「……はい」
「今は動かなくていい。足元を守る板を入れる。痛い所はある?」
少年は何か答えたが、警鐘に消された。
トーマは設備係に鐘を止める合図をし、もう一度聞いた。それでも声が震えて、最後が聞き取れない。
「君が今言った一文を、もう一度、同じ言葉で言い直す技能が僕にはある。使っていいかい。嫌なら、ゆっくり話してくれればいい」
少年は、今度ははっきりうなずいた。
「使ってください」
三十秒以内に自分へ向けられた一文を、一度だけ復唱してもらう。同じ相手に短時間で繰り返し使うことはできない。《聞き返し》で取り戻せるのは、言われた言葉だけだ。心の中も、真偽も分からない。
「足は痛くないです。手が、熱いです」
復唱された文を記録し、主任神官へ伝えた。救護係が皮膚の状態を遠目に確認する。
解析への同意を、今の復唱で得たことにはしない。
「これから、光の逃げる先を変えられるか、設備を使って確かめたい。君に無理に力を出させる試験はしない。怖ければ止めてほしいと言っていい。どうしたい?」
少年は両親を見た。母親が、遮蔽の向こうからうなずく。
「……調べてください。ここから、出たいです」
自分の言葉で選んだ返事だった。
主任神官の保護膜の内側へ耐魔力板を差し入れ、少年に一歩ずつ移ってもらった。同じ階の緊急対応室までの床も保護する。トーマ一人で運べる状況ではなかった。
部屋へ移ってから、主任神官が尋ねた。
「照合のできる先生が来るまで、このまま保持するか」
保護膜にも消耗がある。足元へ出続ける魔力を、もっと安定して受ける方法が必要だった。
トーマは、壁の貯蔵水晶を見た。授能板と同系統の魔力を受ける、緊急処理用の物だ。
「少量を受けられるか、遮断器つきの水晶を近づけてもらえますか。出力を測りながら。別の系統は使いません」
「空き容量は確認できる。満杯にする前に交換するぞ」
設備係が答えた。主任神官は保護膜を保ったまま、水晶を操作棒で移す。
四メートルでは、変化がない。
三メートルほどへ入ると、足元へ落ちていた光の一部が横へ流れた。
「そこで止めてください」
トーマは言った。
水晶が淡く光る。計器の針が上がる。少年の足元への放出が減り、やがて見えなくなった。
すぐに違う物を試したくなった。木の桶ではどうか。満杯の水晶なら、どうなるか。
その誘惑を、トーマは紙へ書いた。
そして、横に『今日はしない』と記した。
安全になった場所を、確かめるためにもう一度危険へ戻してはいけない。
供給を止めた分、少年に残っていた余剰魔力も少しずつ減った。設備係が水晶を交換し、救護係が少年の疲労を確認する。
流出が収まるまで、トーマは時刻と配置を記録し続けた。
後で、少年の希望を聞き直し、水に対するごく少量の確認だけを行った。浅い受け皿を二重にした台で、杯へ一口分を超えて注ぐ。近くの空いた杯へ水が流れ、同系統の魔力水晶へは向かわなかった。
すべての流体に効くとは書けない。距離の境目も、まだ測定誤差がある。近い二つの器のどちらへ向かうかは、次の試験で確かめる。
記録には空欄が残った。
だが、その空欄のせいで少年を危険な状態に戻す必要はなかった。
ヨハンが着いたのは、その日の夕刻だった。
隣の教区から急報を受け、予定を組み替えて来たのだという。扉を開けた彼は、食堂で温かい汁物を飲む少年を見て、足を止めた。
「トーマ。状況は」
「流出は収まっています。再発時の受け皿と監督者も確保しました。こちらが、主任神官と設備係の署名をもらった記録です」
ヨハンは紙を受け取った。
成功した操作だけでなく、中止した案、消耗した資材、次の担当者まで書いてある。
「全部は、分かっていません」
トーマが先に言った。
「でも、先生が着くまで何もしない、にはしませんでした」
少年が照合を希望したため、夕食後、安全な少量の水で発動してもらった。
ヨハンの《注釈》には、容量を超えた同系統の流体・魔力、その余剰を、半径三メートル以内で最も近い適合する空き受け皿へ逃がす構造が見えた。適合先がなければ、保持者の足元へ放出される。
読み取った制約を、トーマの記録と並べる。
「次に確かめる項目は増えた。だが、今日の対応を覆す見落としは、今の照合では見当たらない」
ヨハンは紙を返した。
「よく、ここまで記録したね」
トーマの肩が下がった。ようやく、緊張をほどいた顔になった。
「僕一人では無理でした。保護膜がなければ、あの距離から見ていられません」
主任神官が隣で苦笑した。
「こちらも、何を近づけるか決められなかった。書きながら相談できたのがよかった」
ヨハンは二人の間に立たず、空いている椅子へ座った。
六年前に手紙を渡した青年が、別の人と仕事を終えていた。
聞きたいことはたくさんあった。まずは、少年が汁物をもう一杯ほしいと言ったので、ヨハンが鍋を取りに行った。
五日後には、自分の聖堂でも新制度の施行後、最初の授与式がある。
帰りの鞄へ、トーマから預かった記録の写しを入れた。先生から教え子へ渡す紙だけでなく、教え子から持ち帰る紙が増えていた。




