第48話 名前を変えただけでは足りない
第一から第五までの等級を、本来の「標準化難度」という意味へ戻し、第五等級者へ九十日の個別相談・解析と支援を案内する新制度。
施行日を知らされてから四日が過ぎ、地方聖堂の個別技能解析室は対応に追われていた。
「ヨハンさん、東部と南部のいくつかの教区から上がってきた事前報告書ですが……やはり、懸念していた通りの事態が起きています」
机に積み上げられた書類を精査していたルカが、顔をしかめて報告した。
ヨハンは書類を受け取り、そこに記された文面に目を通す。
「……等級の名称を『第五標準化等級』と改め、対象者には九十日後に再出頭するよう口頭で伝達した。その間の生活支援の予算は申請せず、事実上の自宅待機とする……か」
悪意の手抜きなのか、予算の申請方法が分からないのか、人手が足りないのか。書類だけでは判別できなかった。
ただ、どの理由でも、待たされる相談者には違いがない。
「事情を確認しないまま、怠慢と決めるのも危険ですね」
トーマが言った。
「ええ。名前が変わっただけで、運用が伴わなければ意味がない。監査局に報告して、支援が止まっている理由を確かめる具体的な指標を作らなければ……」
ヨハンが対策を練ろうとした、その時だった。
「その必要はない。指標ならば、すでに私が作成してある」
開け放たれた解析室の扉から、張りのある声が響いた。
そこに立っていたのは、見覚えのある制服を着た壮年の男だった。
「あなたは……」
ヨハンは警戒して目を細めた。数ヶ月前、この聖堂へ視察に訪れ、ニアやミラの成功例を「偶発的適職であり、制度上の再現性はない」と一刀両断して記録した、中央の監査官だった。
「お久しぶりですね、ヨハン・エーベル殿。いや、今は技能解析官と呼ぶべきか」
監査官は、以前のような見下すような態度は見せず、小脇に抱えていた分厚い書類の束をヨハンの机の上に置いた。
「あなたがたが公聴会で提出した、職人組合や治療院からの帳簿の実績。そして、そこのルカ記録士が水門の試験で示した安全停止の判断記録。……それらを全て精査させてもらいました」
監査官は、ルカを一瞥してからヨハンに向き直った。
「結論から言おう。私の過去の評価は、完全に間違っていた」
その率直な言葉に、ヨハンとルカは思わず顔を見合わせた。
中央のエリート監査官が、自らの非をあっさりと認めたのだ。
「第五等級の能力は、決して個人の運や偶然だけで機能しているわけではない。五項目という論理的な解析手順と、それを現場の需要と結びつける運用法が確立されていれば、彼らは明確に再現性のある『戦力』になる。……その事実を、私は数字と記録から学ばせてもらった」
監査官の瞳には、かつての頭ごなしの否定はなく、実務家としての冷静で客観的な評価の光が宿っていた。
「私は今回、新制度が各地方で正しく運用されているかを測るための『監査指標作成側』の責任者としてここに派遣された。あなた方が懸念している一部地方のサボタージュの兆候も、すでに把握している」
監査官は机に置いた書類をトントンと指で叩いた。
「支援が実際に届いたかを確認するため、私は新しい監査指標に中心になる二つの項目を設けた。……目を通してみてくれ」
ヨハンは渡された書類を開き、そこに記された新しい監査項目に目を見張った。
『第一指標:九十日後の職業・教育接続率』
『第二指標:重大危険に伴う停止判断の記録率』
「……接続率、ですか」
「そうだ。ただし、就職率だけで教区を順位づけはしない。本人が望んだ進路か、継続支援や紹介先へ実際につながったかを、聞き取りでも確かめる」
「難しい相談者を断れば、率だけは上げられますね」
ルカが言った。
「そのために、受付数、辞退理由、待機日数も残す。地域の求人や支援資源の違いも見なければならない」
停止判断は、件数が多いほど加点する仕組みではなかった。危険を認識した時に、理由と措置、再確認の時期を残したかを見る。何でも停止してよいわけでもない。
「指標のために人を動かす制度にはしたくない」
監査官は言った。
ヨハンは書類の端へ、相談者自身の申立て先を目立つ場所に置く提案を書いた。
「これも加えていただけますか。私たちの記録に問題がある時、私たちだけへ申し立てるのでは困ります」
監査官がうなずいた。
「加えよう。私の指標も、使った結果で見直す必要がある」
監査官は訂正箇所を自分の控えにも写した。ルカは、受付数を記入する欄が狭すぎると指摘した。紙を返す前に、もう一度だけ三人で机を囲んだ。
「この指標が現場でどう働くかも、見ていく必要がありますね」
監査官が去った後、トーマが安堵の息を吐いた。
「ああ。だが、指標ができたからといって、現場の神官たちがいきなり完璧な解析を行えるわけじゃない。最初は私たちが直接出向いて、五項目記録の取り方と安全試験の手順を指導する必要がある」
ヨハンは壁に掛けられた広域地図を見上げた。
「明日から、私はルカとエルサを連れて、支援の手続きが滞っている東部の教区へ確認と指導に向かう。当面の間、解析室を空けることになる」
「はい。この本部の解析室は、私がお守りします」
トーマが力強く頷く。
「いや、君にも頼みたいことがあるんだ」
ヨハンは机の引き出しから、一枚の出張命令書を取り出した。
「施行五日前となる明日、南部の地方聖堂で月例の授与式が行われる。私は東部へ向かうため、そちらには行けない。……トーマ、私の代理として、君がその授与式に立ち会い、新制度に基づく初めての初期確認を現地で主導してきてくれないか」
トーマは出張命令書を読み直した。責任者の欄に、ヨハンの名はなかった。
「……承知いたしました。ヨハン様の教えの通り、必ず安全な手順で導いてみせます」
かつてヨハンの手紙に救われ、神官を志した青年が、今度は自らの足で新たな第五等級者を迎え入れるために出発していった。
それから翌日。新制度の施行まで、あと五日となった。
南部の地方聖堂では、トーマが立ち会う中、冬の月例授与式が厳かに行われていた。
次々と標準技能が授与されていく中、一人の十五歳の少年の前に、見慣れない技能名が顕現した。
『《こぼれる》』
神官は新しい教本を確認し、第五標準化等級と告げた。少年の顔に、不安の色がよぎる。
だが、現地の神官が「落胆することはありません。新制度に先駆け、認められた試行として、九十日間の個別解析を行います」と告げ、トーマが優しく少年を別室へと案内しようとした。
その直後だった。
ビキッ、と。
少年の足元の石畳が、奇妙な音を立てて微かにひび割れた。
「え……?」
少年が戸惑いの声を上げた瞬間、彼の周囲の空間が不自然に歪み、聖堂を照らしていた魔力灯の光が一斉に明滅を始めた。
少年の身体から、制御を失った濃密な魔力が、まるで決壊したダムのように周囲へと『こぼれ』出し始めたのだ。
「なんだ、魔力が暴走しているぞ!」
「離れろ! 巻き込まれる!」
現地の神官が周囲の人を下げ、設備係が授能板の供給を止めた。トーマも安全線の外へ下がる。
退くことは、少年を見捨てることではない。近づいてよい距離がまだ分からなかった。
ヨハンは隣の東部教区にいる。急報を出しても、来るまで半日はかかる。
トーマは震える手で記録板を持ち直した。先生を待つ間にも、現地の人たちと決めなければならないことがあった。




