第46話 先生の卒業生
地方聖堂に開設された『個別技能解析室』が、正式な教会のシステムとして息づき始めた頃。
この数ヶ月間、それぞれの仕事を持ちながら制度改革の実証を支えてきた若者たちの間に、静かな別れの季節が訪れていた。
「ヨハン先生! 私、王都の工房連合から正式に声がかかりました!」
一番に解析室へ報告に飛び込んできたのは、ニアだった。
彼女は弾けるような笑顔で、工房連合の正式な徒弟契約書を掲げてみせた。
「《余りもの》の技能を使った廃材の再資源化だけじゃなく、私がルカと一緒に組んだ『材質一致の選別マニュアル』が高く評価されたんです。……今度の契約は、賃金も、研修時間も、辞める時の条件も読みました。職人として、ちゃんと腕を磨いてきます!」
「おめでとう、ニア。君の計算力と探求心なら、その先でも、困った時には相談に来てほしい」
ヨハンが微笑んで送り出した数日後には、今度はミラとノルが連れ立って挨拶に訪れた。
「ヨハンさん。私、王都の大きな治療院へ入ることが決まりました。……《半分》を使った均一な薬液の分割と、秤による確認の手順を、もっと多くの患者さんのために使いたいんです」
かつて人前に出るのが苦手で、いつも俯きがちだったミラの顔には、はっきりとした自信が宿っていた。
「俺も、伝令組合の市内便で、正式な案内補助に採用されました」と、ノルも誇らしげに胸を張る。
「《遠回り》のルート選定は、災害時の避難誘導だけじゃなく、通常の物流でも使える場面があるって、組合長が認めてくれたんです」
それぞれが、第五等級という『外れ』の烙印を跳ね返し、自分たち自身の専門性を見出して、確かな居場所を獲得していく。
そして。
「……ということで、私もこの技能記録会の常駐役は辞めさせてもらうよ」
夕刻、窓枠に腰を下ろしたセラが、いつもと変わらぬ豪胆な笑みを浮かべて告げた。
七年前の春、マレクの死を抱えていたヨハンが、最初に『一枚の説明書』を渡した少女。彼女は自分の救助の仕事を続けながら、他の受取人を探し、必要な時にはヨハンたちの護衛を引き受けてきた。
「辞めて、どうするんだい?」
「新しい救助隊を立ち上げる。第一等級から第五等級まで、等級を問わず、能力の『役割』を組み合わせて災害対応に当たる専門の部隊だ」
セラは腰の長剣の位置を直した。
「あんたの解析室が全国に広まれば、自分の能力の本当の使い道を知って、それを誰かのために役立てたいって奴らが必ず出てくる。……私がその受け皿になってやるのさ。隊長としてね」
「……そうか」
ヨハンは、眩しいものを見るように目を細めた。
セラには、もとから彼女の仕事があった。次はその経験を、等級の違う仲間と組む救助隊へ広げるという。
「寂しくなるな、セラ」
「はっ、何を言ってる。あんたはもう、手紙をこっそり渡して一人で怯えていた下級神官じゃない。立派な『技能解析官』様だろ」
セラは最後に一度だけ、ヨハンの肩を力強く叩き、迷いのない足取りで解析室を出ていった。
ヨハンは彼らの背中を、決して自らの「作品」としては見なかった。
ヨハンが与えたのは、能力の条件という単なる情報に過ぎない。その情報を元に仮説を立て、努力し、社会に自分の居場所を切り開いたのは、他でもない彼ら自身なのだ。
教え子たちが次々と巣立っていった数日後。
すっかり静かになった解析室の扉が、控えめに開かれた。
「……お邪魔してもよろしいですか、ヨハン神官」
顔をすっぽりと隠す深いフードを被った人物が、部屋に滑り込んできた。
扉が閉まり、フードが下ろされる。そこに現れたのは、アステリア王国の第三王女、リアーネだった。
「殿下。このような場所へ、お忍びでいらっしゃるとは」
ヨハンが慌てて立ち上がり、臣下の礼をとろうとすると、リアーネはそれを手で制した。
「堅苦しい挨拶は不要です。今日は、あなたに直接ご報告したいことがあって参りました」
リアーネはヨハンの向かいの席に座り、真っ直ぐに彼の目を見据えた。
「先日の公文書による決着を受け、王家の典範運用が正式に改められました。『標準化等級を、王位継承資格の欠格理由とはしない』と。……これで私は、第五等級であることを理由に、不当に王宮から排除されることはなくなりました」
それは、リアーネの完全な勝利の報告だった。
第五等級を「無価値な外れ」として切り捨ててきた歴史的な価値観が、国家の最高峰である王室のルールをも覆したのだ。
「おめでとうございます、殿下。これであなたは、胸を張って王位継承の権利を主張できる」
ヨハンが心からの祝福を伝えると、リアーネは小さく、ふふっと笑った。
「ええ。ですから私は、その継承権を放棄し、王位争いから完全に降りることにしました」
「……はい?」
予想外の言葉に、ヨハンは思わず間抜けな声を漏らした。
「継承権を、放棄するのですか? あれほど、理不尽に排除されることに抗って戦ってこられたのに」
「ええ。私が抗っていたのは、『能力がないから』という理由で、私の意志に関係なく舞台から引きずり降ろされることに対してです。……ですが、私に資格があることが公的に証明された今、私が自分の意志で舞台から降りることは、敗北ではありません」
リアーネの瞳には、聡明で、そして晴れやかな光が宿っていた。
「王位を巡る政治ゲームは、兄や姉に任せておけばいい。私が一番やりたい仕事は、玉座に座ることではないと気づいたのです」
「では、殿下はこれから……」
「『公共設備局』での実務研修を希望しました」
リアーネは誇らしげに胸を張った。
「私の《余白》の技能は、都市設備や結界の未使用になった実際の魔力出力を蓄え、同系統の設備へ再配分することができます。王宮の奥で綺麗なドレスを着て政争に明け暮れるより、王都の地下や防壁を歩き回り、この国の人々の暮らしを支える設備を守る実務者になりたい。……それが、私自身で見つけた、私の技能の『本当の使い方』です」
王族という圧倒的な権力や権威を使って、全てを解決するような道は選ばない。
彼女は当事者として第二鑑定に臨み、公聴会で予算の組み替えを提案し、自らの能力の実務価値を証明した。そして最後は、「排除されないため」の戦いを終え、「自分がどう生きたいか」を選ぶための決断を下したのだ。
「……素晴らしいご決断です」
ヨハンは、一人の王族としてではなく、一人の優れた実務家へ向けて、深い敬意とともに頭を下げた。
リアーネもまた、満足げに微笑み、解析室を後にした。
実証協力者たちが皆、自分の足で歩き出した。
解析室の常駐者は減った。ヨハンとトーマ、新しい研修神官たちは、訪問してくる職人たちと連絡を取り合っていた。
そして。
「……みんな、立派に卒業していきましたね」
部屋の隅の机で、これまでずっと五項目記録票の清書役を務め、ヨハンの解析を一番近くで支え続けてきた少年、ルカがぽつりと呟いた。
「ああ。君が正確な記録を残してくれたおかげだよ、ルカ」
「ヨハンさん」
ルカは立ち上がり、一枚の真新しい羊皮紙の書類を、ヨハンの机の上に置いた。
そこには教会の公印とともに、『技能記録士・本試験受験票』という文字が印字されていた。
「僕は、第五等級の《後回し》を授与された時、侯爵家の役に立たないからと廃嫡されました。……家からの評価が全てだった僕は、絶望して、世界が終わったように思っていました」
ルカの目は、もうあの頃の怯えた子供のものではなかった。
「でも、ここで記録の仕事を手伝ううちに、分かったんです。家へ戻るために何かを証明し続けなくてもいい。僕は、この記録の仕事を続けたいんだと」
ルカは真っ直ぐにヨハンを見つめた。
「明日、技能記録士の正式な試験を受けてきます。……僕も、自分の職を、自分自身の手で勝ち取ってきます」
かつて侯爵家という籠の中でしか生きられなかった少年が、自立への最後の扉を叩こうとしていた。
ヨハンは、共に記録を作ってきた少年の顔を見つめ、力強く頷いた。




