第43話 例外にしておけば問題はない
教会の最高意思決定機関である『最高会議』の議場は、重苦しい静寂に支配されていた。
円卓を囲むのは、教会の枢機卿たちと王国の法務高官。
そしてその中心に、中央授能審査局長デルムントが立たされていた。
「……デルムント枢機卿。マティアス監査官より提出されたこれらの証拠物件について、弁明はあるか」
議長を務める大司教が、机の上に積まれた書類の束を指差した。
保護施設と鉱山工房の不当な債務契約と利益供与を示す裏帳簿。そして何より、廃棄区分倉庫から発見された、第五等級の成功例を『例外』として統計から除外するよう命じた、デルムント本人の署名入り指示文書。
原本の登録と決裁の経緯が照合され、デルムントにも反論と資料提出の期間が与えられていた。
議場の視線がデルムントに突き刺さる。だが、彼は取り乱すことも、醜く弁解することもなかった。
「統計の区分と、その運用の継続は私が決裁しました。署名を否定するつもりはありません」
デルムントの琥珀色の瞳は、冷徹な理性を保ったまま、静かに事実を肯定した。
「鉱山工房との癒着による私腹の肥やしについては、私の管轄下にある一部の役人が行ったことであり、私自身の関与は否定します。……しかし、彼らの凶行を招いた土壌、すなわち『第五等級者の成功例を例外として闇に葬り続けた』という監督義務違反については、全面的に私の責任です」
潔いほどの自白。
「なぜ、そのような真似を」
大司教が眉をひそめて問う。
「お前ほどの男が、第五等級の潜在的な価値に気づいていなかったわけではあるまい」
「価値は知っていました。過去の文献を紐解けば、等級が標準化難度であることなどすぐに分かる」
デルムントは、傍聴席にいるヨハンとマティアスを一瞥した。
「ですが、私はあえてそれを伏せた。……統計とは、国家と教会の制度を『安定』させるために用いるものです。例外的な成功例を一つ認めてしまえば、制度は際限なく複雑化する」
デルムントの声が、確固たる信念を帯びて議場に響いた。
「第五等級の能力は、使用条件が複雑すぎ、個人の資質に依存しすぎている。これを公式に解析しようとすれば、莫大な予算と人員が浪費され、さらに検証過程で必ず致命的な『事故』が起きます。現に過去、条件の誤認によって多くの命が失われている」
デルムントは、かつてヨハンに突きつけた死者の記録を指すように、床を見つめた。
「ほんのひと握りの『例外』を救うために、国家の財政を傾け、人命を危険に晒すなど、為政者としてあってはならない。……だから私は、彼らを例外として切り捨てることで、多数の人々へ共通の手順を提供する『安定した制度』を守ったのです。例外で、制度の根幹を壊すべきではない」
それは、私利私欲ではなく、彼なりの冷酷な『正義』だった。
費用と事故のリスク。デルムントの懸念は決して妄想ではなく、組織を運営する上で極めて合理的な根拠を持っていた。
だからこそ、彼は自らの手を汚してでも、現行制度を維持しようとしたのだ。
「……あなたの仰る通りです、デルムント枢機卿」
静まり返った議場で、ヨハン・エーベルが進み出た。
教会のトップである枢機卿たちを前にしても、ヨハンの態度は堂々としていた。
「第五等級の解析には、常に事故のリスクが伴う。個人の能力に依存した検証は、いつか必ず破綻する。……事故を恐れたこと自体が間違いなのではありません」
「ヨハンさん……?」
傍聴席のルカが、ヨハンが敵の論理を肯定したことに驚きの声を漏らす。
だが、ヨハンの眼差しは真剣だった。
「私自身、条件を教えられなかった少年を冬に失い、手紙を渡した青年には、説明不足のまま危険な使用をさせてしまいました。どちらにも、今なら取るべきだと分かる手順があります」
ヨハンは自らの罪を、公の場で再び口にした。
「私一人の判断で彼らを導こうとした結果が、それです。……指導には危険が伴う。あなたの懸念を、私は身をもって知っています」
ヨハンは深く頭を下げ、そして真っ直ぐにデルムントを見た。
「だからこそ、です。枢機卿。……私たちが提案する新制度の『重大危険時の使用停止基準』と『外部監査』の項目。これらは、あなたのその強固な懸念を、安全基準としてそっくりそのまま引き継がせていただいたものです」
デルムントの目が、わずかに見開かれた。
「私の、懸念を引き継ぐ……?」
「はい。第五等級を無差別に解放するのではなく、危険性を正確に記録し、中央と外部の目による厳格な監督下に置く。……あなたが恐れた『事故』を防ぐためのストッパーとして、あなたの論理は新制度の根幹に組み込まれています」
「ただし、危険を避けたいという理由で、比較に都合の悪い資料を見えなくしてよいとは思いません。新しい制度も、成功だけ数えれば同じことになります」
デルムントはしばらく答えなかった。
「それを、君たち自身が監査される時にも言えるか」
「言えるように、私たちの外へ記録を渡します」
その返答を聞いて、デルムントは席へ戻った。承認も謝罪も口にしなかった。
大司教が審理の終結を告げ、裁定を読み上げる。
統計の不適切な除外と、監督義務違反により、デルムントを中央授能審査局長の職から解く。金銭的関与については、確認された役人らの審査を別に継続する。
安全性への懸念が妥当だった部分と、職務上の責任は、同じ裁定の中で分けられた。
デルムントは局長の徽章を外し、係官へ渡した。
続いて、九十日個別相談・解析と支援制度の段階導入が承認された。全国の受付体制を整え、まず指定拠点で試験を担う。初年度の支出上限と外部監査、定期見直しを条件とする。
歓声は上がらなかったが、誰もが新しい時代の幕開けを確信していた。
議事の終了後。
控室に戻ったヨハンの元に、地方から駆けつけていた上司のラウル司祭や、ルカ、セラ、トーマたちが集まってきた。
「やったな、ヨハン。次からは、相談先がないって言わせずに済む。……本当に開けるようにしなきゃな!」
セラが豪快にヨハンの背中を叩く。
「ヨハン神官。いえ、ヨハン殿」
マティアスが、書類の束を抱えて歩み寄ってきた。
「あなたの安全管理上の責任については、戒告と再研修、監督つきの復職という処分が確定しました。すでに受けた研修を算入し、神官資格の停止を解除する通知も出ています。……おめでとうございます。これであなたは、元の地方聖堂の職務に復帰できます」
その言葉に、ラウル司祭が安堵の涙を浮かべる。
「よかった、本当によかった……。さあヨハン、一緒に我々の聖堂へ帰ろう。君の席は、あの窓口にちゃんと残してある」
だが、ヨハンは首を横に振った。
「ラウル司祭。……私は、あの席には戻りません」
「えっ?」
ヨハンの思いがけない返答に、その場にいた全員がポカンと口を開けた。
「私がただの地方神官に戻り、片手間で解析を行っていては、いずれまた手順が形骸化し、属人的なものになってしまいます。……元の席へ戻るだけでは、足りないんです」
ヨハンは、マティアスと、その奥にいる教会の幹部たちに向かって、はっきりとした声で告げた。
「復職に当たり、専門の『個別技能解析室』の創設を申請します。予算と人員の案も出します」
「個別技能解析室……?」
「はい。神官の片手間ではなく、五項目記録の手順を専門に扱い、解析と指導を行うための独立した部署です。そして、その部屋には……私以外の人間が、記録の手順を学ぶための『研修の場』としての機能を持たせます」
それは、ヨハンがたった一人で行ってきた「秘密の救済」を、完全に組織のシステムへと移植するための最終段階だった。
唯一の先生であることをやめ、手順を次代へと渡す。
ヨハンの新しい役割が、今、明確な形を持って始まろうとしていた。




