第36話 例外にされた職人
封印書庫で『例外処理一覧』のリストを発見してから数日後。
ヨハンは、ルカ、そして測量士であるエルサを伴って、王都の裏通りにある小さな工房を訪れていた。
金属を打つ音と、油の匂いが染み付いた薄暗い室内。そこで黙々と作業をしていた初老の男が、ヨハンたちが入ってくると訝しげに顔を上げた。
「なんだ、あんたたち。見ない顔だが、注文なら親方を通してくれ」
「突然の訪問をお許しください。私はヨハン・エーベル。少し、あなたの持つ技能についてお話を伺いたく参りました」
ヨハンの言葉に、初老の職人はピタリと手を止めた。
「……俺の、技能だと?」
職人は自嘲するように鼻を鳴らし、手にしていたヤスリを乱暴に作業台へ置いた。
「俺の技能は第五等級の《端っこ》だ。三十年以上前、俺のいた村の神官様が『これは精密な仕事に使える素晴らしい技能だ』って、わざわざ中央へ報告書を上げてくれた。王都へ移った数年前にも、再提出した。……だが、王都のお偉い審査局様からの返答は、『本人固有の例外につき、等級の再評価には該当しない』だったよ」
男の言葉には、長い年月をかけて澱んだ諦めと怒りが混じっていた。
地方の神官が有用性を認めても、中央局がそれを「例外」として握りつぶした証拠が、目の前の男なのだ。
「だから、俺は教会の記録上、技能による加点のない職人として生きてきた。今更、何を聞きに来たって言うんだ」
「彼らは間違っていました」
ヨハンは真っ直ぐに職人の目を見据えた。
「あなたの技能は、決して無価値な例外などではない。それを証明するために、あなたの仕事を見せていただけませんか」
ヨハンの真摯な態度に、職人はしばらく沈黙した後、仕方なさそうにため息をついた。
「……勝手にしろ」
職人が作業台に向き直る。
彼の目の前には、複雑な形状をした金属部品や、魔力を封入するための特殊な金属容器が並んでいた。どれも、通常の鍛冶仕事では気が遠くなるような微細な調整が必要なものばかりだ。
「エルサさん。記録と検証を、お願いします」
ヨハンが一歩後ろへ下がると、測量士のエルサが「はい」と頷き、自身の鞄から分度器やノギスのような専門的な測量器具を取り出した。
職人が、金属容器の蓋に指を這わせる。
「《端っこ》」
短く呟いた瞬間、容器の蓋の縁だけが、まるで粘土のようにぐにゃりと歪み、本体と寸分の隙間もなくピタリと密着した。
さらに職人は別の金属部品を手に取り、刃のようになっているバリの部分に指を滑らせる。すると、鋭かった金属の縁が滑らかな曲線へと瞬時に変形した。
「対象は『非生体物』。そして効果は……部品の縁の変形、ですね」
ルカが記録票に書き込みながら言う。
「待って、ルカくん」
エルサが職人の手から金属部品を受け取り、鋭い目でその加工痕を観察した。彼女は器具を当てて数値を読み取りながら、首を傾げた。
「ただの『縁』や『輪郭線』ではありません。職人さん、この部品の変形は、縁から内側へ向かって、似た幅で止まっていますね。切断して比べられる試験片はありますか?」
「あ、ああ。そうだ。俺の力は、そこまでしか届かねえ」
職人が過去の試験片を出し、許可を得て新しい一片も切断した。エルサは複数の断面へ器具を当て、測定の幅を記した。
「『外縁』という言葉の定義が違います。ヨハン様、この技能が作用しているのは、物体の縁から内側へ向かう、およそ『五ミリ』の帯域のようです。表面全体ではありません」
「五ミリ……」
「はい。そして、変形しているのは外側の五ミリだけで、今回の試験片では、帯域より奥の寸法に測定できる変化がありません。つまり、表面を削ったり曲げたりはできても、中の空洞を埋めたり、材質そのものを変えたりすることはできない」
エルサの専門的な測量知識が、能力の厳格な『上限』と『例外』を次々と丸裸にしていく。
「さらに、一度の能力行使で変形できている面積にも限りがありますね。見たところ……職人さんの手のひら大、といったところでしょうか」
「……お嬢ちゃん、すげえな。三十年間使ってきた俺の感覚と、全く同じだ」
職人が目を丸くして感嘆の声を漏らす。
エルサはルカに向き直り、簡潔に指示を出した。
「ルカくん。対象は『非生体物』。効果は『外縁五ミリの変形・整形』。上限・例外として『内部構造への作用は不可』『面積は一度に手のひら大まで』。これで記録票の仮説を埋めてください」
「はいっ!」
ルカがペンを走らせる。
ヨハンは職人へ照合の同意を求めた。了承を得て試験片の縁を変形させてもらい、その発動へ《注釈》を重ねた。
脳裏に浮かび上がる補足文。
『非生体物の外縁五ミリ、手のひら大。外縁だけを変形・整形。内部構造へ作用不可』
それは、エルサが現場の寸法と加工痕から導き出した仮説と、寸分違わぬものだった。
「……照合では、五ミリ、手のひら大という制限が読み取れます。ただし、実証済みとするのは今回扱った材質と寸法までです。違う材質や容器の耐圧性能は、別に確かめましょう」
ヨハンが告げると、エルサは誇らしげに眼鏡を押し上げた。
これこそが、ヨハンの目指した分担の利点だった。神官の秘密の眼に頼らなくても、専門的な知識と適切な検証手順さえあれば、人間は自らの知恵で技能の真価に到達できる。
「職人さん」
ヨハンは初老の男に向かって言った。
「あなたの技能は、王都の魔力設備を支える精密部品の嵌合や、気密性が求められる容器の調整において、役立っている技術です。納品先の検査記録とも照合させてください。あなたの技能だけでなく、長年の加工技術も分けずに消されないように」
「……俺の、役割」
「中央局は、あなたのこの素晴らしい技術を『特殊な本人技能につき一般化不能』として統計から除外しました。マニュアル化できないからと、考えることを放棄し、あなたを無価値だと嘘をついたのです」
ヨハンは机の上の五項目記録票を指差した。
「ですが、この記録があれば、あなたが引退した後も、似た技能を授かった子が、何を確認すればよいかを学べます。同じ名前でも条件が同じとは限りませんし、あなたの手仕事まで一枚で代わるものでもありません。……あなたの三十年は、決して無価値な例外なんかじゃありませんでした」
職人はしばらく黙っていた。机の上の部品を、一つずつ元の位置へ戻す。
「名前を入れてくれ」
「もちろんです。公開の範囲は、あなたに確認してから」
「技能の名前じゃねえ。作った俺の名前だ」
ルカは新しい欄を作った。職人はその文字を見届けてから、もう一つ、試験片を出してきた。
その日の夕刻。
決定的な実証を終え、足取りも軽く拠点へと戻ってきたヨハンたちを待っていたのは、信じがたい重圧を放つ男の姿だった。
異端審問官、マティアス・ロウ。
彼の足元には、革紐で縛られた分厚い書類の束がいくつも置かれていた。
「……マティアス監査官。それは?」
ヨハンの問いに、マティアスは表情一つ変えずに答えた。
「次の公開討論で検討する事故記録です。過去数十年分から、審査側が論点に挙げた事例の写しを持ってきました。死亡した方の事例もあります」
ヨハンは束を見下ろした。成功の記録を除くことに怒ったばかりだ。失敗した人の記録を、今度は自分たちが避けるわけにはいかない。
「準備期間は」
「十日です。中央の主張と提出資料も添付されています。反証だけでなく、受け入れるべき問題も分けておいてください」
制度の真相を掴んだヨハンに対する、中央からの容赦のない反撃。
敵のトップとの直接対決が、避けられない形でヨハンの前に立ち塞がっていた。




