第31話 救助試験
開始の鐘より先に、ルカは中止の旗を確かめた。
赤い布が、訓練場の四隅に一枚ずつある。誰でも手を上げれば、監督者が試験を止める。
九十日試験、八十九日目。夏の終わりの朝だった。
王都郊外の訓練場には瓦礫に見立てた固定ブロックと、浅い溝が設けてある。炎は赤い布、煙は視界を完全には塞がない薄い模擬霧。要救助者は人形だ。大人の安全係が持ち場につくまで、誰も動かなかった。
向こうの標準技能班の先頭に、レオンがいた。
ルカの兄は、弟を見て一度だけ顎を引いた。ルカも同じように返した。それ以上の挨拶はなかった。
個人課題では、差がついた。
レオンは耐火枠に固定された倒木の切断位置を確かめ、短い炎で必要な箇所だけを焼き切った。隣の隊員が消火し、別の隊員が退ける。大きな力だけでなく、手順も速い。
個別解析班のニアは、小さな破片ならまとめられる。だが、倒木を消すことはできない。ミラも荷重を二つに分けられるだけで、支えを用意する時間が要った。
採点板の数字が開いていく。
「悔しい?」
ヨハンが聞くと、ルカはうなずいた。
「でも、僕たちが前に出ない方がいい仕事も分かりました」
紙には、使わなかった技能と、その理由も書いてあった。
複合課題は、避難路の一部が途切れた場所から人形を搬送するものだった。迂回路を使うか、支給資材で短い仮設路を作るか。両方の班に同じ地図と資材がある。
標準技能班は地盤を確認し、迂回路を選んだ。危険の少ない、妥当な判断だった。
個別解析班は仮設路を作る。
「接続部を、人が歩く部分には使いません」
ルカが最初に確認した。
《つなぎ目》を持つ青年が、うなずく。彼は先月から実証に協力し、今日使う部材では事前に二日かけて確認していた。
同材質の破断面を仮につなぐ。接続は最大二十分、強度は元の三割程度まで。動く荷重を支える用途には使えない。
ニアが最初に指摘したのは、同じ『金属』でも種類が違えばつながらないことだった。ルカは次に、つながって見えるだけでは強度を判断できないことを記録した。ヨハンの照合も加え、今回は対象を試験済みの部材だけに絞っている。
使うのは橋そのものではなく、組立位置を揃えるための枠だった。
割れた位置決め枠を青年が接続し、無荷重の台へ固定する。ニアが支給された同種の金属片をまとめ、型に合う仮の留め具を作る。その間に、成人の作業員が通常の梁を架け、規定の金具で本締めした。
「残り八分。仮枠を外します」
ルカは時計から目を上げた。
青年が技能を解除する。割れた枠は回収された。人が通る路面を支えるのは、技能の接続ではなく、検査済みの梁と支柱だけだった。
安全係が確認の旗を上げる。
ミラは搬送に先立ち、静止させた資材箱の荷重を二つの独立した受け台へ均等に分けた。一つを軽くした分を消したわけではない。ミラが接触を保つ間に、成人の作業員が箱の中身を二台の台車へ積み替えた。受け台が空の箱を支えられることを確認してから、ミラは手を離した。搬送中は技能を使わない。
ノルは下見した道から、戻りの長い方を指した。
「距離は増えます。でも、行きの班とすれ違わずに済みます」
先導する大人が目視で確かめる。技能に、今日生じた危険を見つける役目までは負わせない。
ルカは全員の通過時刻を書いた。息が上がると、歩調を落とした。《後回し》は使わない。疲労を隠せば、休む判断まで遅れる。
最後の人形が安全区域へ置かれた時、標準技能班は迂回路の最後の曲がり角にいた。
第二課題の所要時間では、個別解析班が上回った。
だが採点表には、準備に費やした日数と、追加した指導者の人数も並んだ。
「どの現場でも、この方法が速いわけではありません」
マティアスが講評した。
「適した資材と、検証済みの組合せがある場合に利点がある。逆に、即応性では標準技能班が優れる。その違いを記録に残します」
ニアが小さく拳を握った。自分たちの仕事に、条件つきでも使い道がある。その条件を隠さず、認めてもらえた。
ルカも笑った。順位表の一番上でなくても、今日は笑えた。
片づけが終わる頃、レオンが来た。
「ルカ。あの枠は、橋を直したのではないのだな」
「はい。橋を組み立てる時間を短くしました。つないだ所に、人は乗せていません」
「なるほど」
兄は、弟の手元の記録を見た。
「役に立つかどうかを、力の大きさだけで決めた。そこは私が間違っていた」
ルカはすぐには答えなかった。春の日、兄が家の門の内側に立っていた姿が浮かぶ。今日の一言で、あの日がなかったことにはならない。
それでも、いま聞いた言葉まで拒む必要はなかった。
「記録票、見ますか」
「教えてくれ。うちの班にも、使えそうだ」
ルカは束の一番上ではなく、中止条件を書いた頁を抜いた。
「最初は、こっちからです」
レオンが隣に腰を下ろした。二人の間に広げた紙の端を、風が少しめくった。




